(1)2016年2月15日は記憶すべき日となった。「保育園落ちた日本死ね!!!」のブログに共感した働くママたちの怒りが、「燎原の火のごとく」拡散しはじめた日として。
安倍首相は、それが「匿名の書き込み」であることを理由に軽く受け流そうとしたが、かえって火に油をそそいだ。
議員たちの「誰が書いたんだよ!」のヤジがさらに火勢をあおった。
これまで何度も保育園の不足、保育士給与の低さが指摘されてきたが、そのつど政治は先送りにしてきた。だが、今回は収まらない。なぜか?
乳幼児をかかえていつ「下流」に転落するかもしれない子育て世代は、「一億総中流」の次は「一億総活躍」と言われても悪い冗談にしか聞こえなかったのだ。
この1年、国会前のわずかな舗道にさまざまな市民が集まって「民主主義はこれだ!」と叫びながら、それぞれの「これ」を確認してきた。その一つが「待機児童隠し」という現代残酷物語だ。急増する希望格差社会のキーワード、「ワーキングプア」「ブラック企業」「シングルマザー」「下流老人」「子どもの貧困」などが折り重なり、「子捨て」にたどり着いた。
去年安倍政権が放った「平和安全法制」という名の毒矢が、乳幼児たちにも向けられていると気づいたママたちが立ち上がった。「日本死ね!!!」は、「最高責任者は私だ!」と立憲主義を否定する首相の国家観に対するノーだった。
(2)「日本死ね!!!」は、安倍政権のみならず「メディアの現在」も直撃している。そのプロセスはこうだ。
(a)NHK「NEWS WEB」・・・・ブログのつぶやきを翌2月16日深夜に取り上げた。「つぶやきビッグデータ」コーナーで、ほかのキーワードとともに「保育園」の文字がテレビ画面に7秒間映し出された。翌日も「保育園」「保育士」「日本死」と表示されたが、いずれもノーコメント。NHKはもっとも重要(クリティカル)な時期に沈黙を続けた。
(b)TBS「NEWS23」・・・・2月17日夜、「日本死ね!!!」をまとまった形で取り上げた。番組には駒崎弘樹・NPO法人フローレンス代表が登場し、「一億総活躍社会と言うのであれば、待機児童ゼロにしなくてはいけない。保育園不足の理由の一つが保育士不足、それは保育士の処遇が引くから」と、この段階で論点のほとんどを整理した。
(c)フジテレビ「とくダネ!小倉が斬るニュース」・・・・2月22日、ブログを書いた人に取材した。都内在住30代前半の女性で、3月に1歳になる子どもがいて、育児休暇が切れるのに保育園がない。その怒りで独り言のつもりで書いた、というコメントを紹介。その実在を裏づけ、もはや匿名は形式にすぎないことを示唆した。
(d)日テレ「スッキリ!!」・・・・2月23日、保育園は全国で4,000か所増えているが、東京都は165か所にすぎないというデータを提示。しかも、保育園に入れなくて仕事をあきらめると、行政はその分「待機児童が減った」とカウントするというせちがらい現実を紹介した。
(e)テレ朝「羽島慎一モーニングショー」・・・・2月26日、コメンテーターの一人が「日本死ね!!!」の書き込みは、「現在の日本社会の矛盾点を見事についている」と述べた。たしかに。ブログの主は日本国憲法の「勤労・納税の義務」を知った上で、「社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに・・・・」とつぶやいている。
(3)「少子化対策」、「イクメン議員の不倫騒動」、「重要閣僚の金銭授受疑惑」、「オリンピック・スタジアム設計やエンブレム選考のやり直し」、「ウチワ配布議員」など、連日国会やメディアを騒がせた問題ばかりだ。かくて、ネットとマスメディアが「共振」する条件は出そろった。
(4)2月29日、衆議院予算委員会で山尾志桜里・議員(民主党)が「日本死ね!!!」を安倍首相にぶつけた。安倍首相は(1)のとおり対応に失敗した。
「日本死ね!!!」は「愛国者」の逆鱗に触れたのだおる。議場は怒号に包まれた。保育行政の不備を衝かれたからではあるまい。「日本死ね!!!」は彼らの日本主義にもろに突き刺さったのだ。自民党憲法改正草案が参考になる。
<日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。/我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる>【前文の第2・第3段落】
聖徳太子から江戸の御触書、さらには国家総動員思想まで盛り込まれている。こんな鎖国憲法案を引っ提げて国連の常任理事国入りを希望するとは大した度胸だ。
(5)メディア的に見れば(4)のあたりで第二ラウンドに入ったのだが、安倍政権はそれに気づかず、「バカの壁」を高く、かつ、分厚く築き続けた。それを政府、与党関係者の失言、暴言の土塁が支えた。恥の上塗りという言葉があるが、最近は「恥を重ねる」から「恥を忘れる」という意味に転化した。
不祥事のたびに安倍首相は潔く「任命責任」を認める。自分を選んだ国民にも「信任責任」があるとパスすれば足りるからだ。
□神保太郎「メディア批評第101回」(「世界」2016年5月号)の「(1)「日本死ね!!!」という立憲・民主主義もある」
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安倍首相は、それが「匿名の書き込み」であることを理由に軽く受け流そうとしたが、かえって火に油をそそいだ。
議員たちの「誰が書いたんだよ!」のヤジがさらに火勢をあおった。
これまで何度も保育園の不足、保育士給与の低さが指摘されてきたが、そのつど政治は先送りにしてきた。だが、今回は収まらない。なぜか?
乳幼児をかかえていつ「下流」に転落するかもしれない子育て世代は、「一億総中流」の次は「一億総活躍」と言われても悪い冗談にしか聞こえなかったのだ。
この1年、国会前のわずかな舗道にさまざまな市民が集まって「民主主義はこれだ!」と叫びながら、それぞれの「これ」を確認してきた。その一つが「待機児童隠し」という現代残酷物語だ。急増する希望格差社会のキーワード、「ワーキングプア」「ブラック企業」「シングルマザー」「下流老人」「子どもの貧困」などが折り重なり、「子捨て」にたどり着いた。
去年安倍政権が放った「平和安全法制」という名の毒矢が、乳幼児たちにも向けられていると気づいたママたちが立ち上がった。「日本死ね!!!」は、「最高責任者は私だ!」と立憲主義を否定する首相の国家観に対するノーだった。
(2)「日本死ね!!!」は、安倍政権のみならず「メディアの現在」も直撃している。そのプロセスはこうだ。
(a)NHK「NEWS WEB」・・・・ブログのつぶやきを翌2月16日深夜に取り上げた。「つぶやきビッグデータ」コーナーで、ほかのキーワードとともに「保育園」の文字がテレビ画面に7秒間映し出された。翌日も「保育園」「保育士」「日本死」と表示されたが、いずれもノーコメント。NHKはもっとも重要(クリティカル)な時期に沈黙を続けた。
(b)TBS「NEWS23」・・・・2月17日夜、「日本死ね!!!」をまとまった形で取り上げた。番組には駒崎弘樹・NPO法人フローレンス代表が登場し、「一億総活躍社会と言うのであれば、待機児童ゼロにしなくてはいけない。保育園不足の理由の一つが保育士不足、それは保育士の処遇が引くから」と、この段階で論点のほとんどを整理した。
(c)フジテレビ「とくダネ!小倉が斬るニュース」・・・・2月22日、ブログを書いた人に取材した。都内在住30代前半の女性で、3月に1歳になる子どもがいて、育児休暇が切れるのに保育園がない。その怒りで独り言のつもりで書いた、というコメントを紹介。その実在を裏づけ、もはや匿名は形式にすぎないことを示唆した。
(d)日テレ「スッキリ!!」・・・・2月23日、保育園は全国で4,000か所増えているが、東京都は165か所にすぎないというデータを提示。しかも、保育園に入れなくて仕事をあきらめると、行政はその分「待機児童が減った」とカウントするというせちがらい現実を紹介した。
(e)テレ朝「羽島慎一モーニングショー」・・・・2月26日、コメンテーターの一人が「日本死ね!!!」の書き込みは、「現在の日本社会の矛盾点を見事についている」と述べた。たしかに。ブログの主は日本国憲法の「勤労・納税の義務」を知った上で、「社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに・・・・」とつぶやいている。
(3)「少子化対策」、「イクメン議員の不倫騒動」、「重要閣僚の金銭授受疑惑」、「オリンピック・スタジアム設計やエンブレム選考のやり直し」、「ウチワ配布議員」など、連日国会やメディアを騒がせた問題ばかりだ。かくて、ネットとマスメディアが「共振」する条件は出そろった。
(4)2月29日、衆議院予算委員会で山尾志桜里・議員(民主党)が「日本死ね!!!」を安倍首相にぶつけた。安倍首相は(1)のとおり対応に失敗した。
「日本死ね!!!」は「愛国者」の逆鱗に触れたのだおる。議場は怒号に包まれた。保育行政の不備を衝かれたからではあるまい。「日本死ね!!!」は彼らの日本主義にもろに突き刺さったのだ。自民党憲法改正草案が参考になる。
<日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。/我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる>【前文の第2・第3段落】
聖徳太子から江戸の御触書、さらには国家総動員思想まで盛り込まれている。こんな鎖国憲法案を引っ提げて国連の常任理事国入りを希望するとは大した度胸だ。
(5)メディア的に見れば(4)のあたりで第二ラウンドに入ったのだが、安倍政権はそれに気づかず、「バカの壁」を高く、かつ、分厚く築き続けた。それを政府、与党関係者の失言、暴言の土塁が支えた。恥の上塗りという言葉があるが、最近は「恥を重ねる」から「恥を忘れる」という意味に転化した。
不祥事のたびに安倍首相は潔く「任命責任」を認める。自分を選んだ国民にも「信任責任」があるとパスすれば足りるからだ。
□神保太郎「メディア批評第101回」(「世界」2016年5月号)の「(1)「日本死ね!!!」という立憲・民主主義もある」
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