保阪正康、佐藤優、片山杜秀の鼎談「独裁者が世界を徘徊している」の後半部を主として佐藤優の発言を以下、抽出・要約(関連する発言には行末に【保阪】【片山】と注記)。
(8)トランプ現象は、議会制の機能不全と、一般国民の許容範囲を超えた貧富の差に原因があると思える。【片山】
トランプが民主党のヒラリー・クリントン候補を批判すると演説会場はワーッと盛り上がるが、貧困層の支持が高いバーニー・サンダース候補を批判しても受けない。サンダースは社会民主主義者を自称し、福祉政策や貧困対策に力を入れると主張する人物だ。つまり、トランプとサンダースの支持者は非常に親和性が高い。【保阪】
トランプの主張は本来の共和党の政策にも適う部分が多い。「モンロー主義」に近い考え。「見返りがない。だから止める」と考えている。米国は米国を守ることしか興味がなくなってきている。同じ共和党でも、ネオコン的なブッシュ政権のように、中東やアジアの問題に介入しても、結局、米国にはいいことがないと思い始めた。【片山】
白人が支配する米国を回復しようとするトランプの主張は、差別意識の現れだ。初期に米国へ来た白人の移民は天命があるので平等だけれど、後から来たユダヤ系、アジア系、イスラム系は金儲けのために来ただけの人間で同列にできないと考えている。
米国は経済的に上手くいっていれば、トランプの主張は相手にされなかった。しかし、経済が苦しくなり限られたパイを争うようになって、排除の論理が表面に出てきた。そこでは人種という物差しを使って、自分たちとは違うものを攻撃している。これは独裁者の論理そのものだ。【片山】
(9)その人種政策で、大きな失敗をしつつあるのが、中国共産党だ。毛沢東は文化大革命などで多くの人を死に追いやった。一方で少数民族には寛大だった。事実上発禁になっていた『毛沢東選集5巻』に収録されている論文「十大関係論」の中で、漢民族は人数が多いが、資源の少ない地域に住んでいる。一方で、少数民族は資源の多い地域に住む。民族主義はいけないけれども、彼らを優遇する政策がちょうどよい、と書いている。
習近平による共産党独裁体制の方が、荒っぽくなっているともいえる。彼らがイスラムの脅威を理解しているとは思えない。ウイグルの独立運動は、単なる民族運動ではなくイスラム主義運動と連動している。ウイグル自治区と隣接するキルギスなどに「イスラム国」が入り込み、ウイグル人と連帯すると手がつけられなくなる。
共産党の独裁体制が変質したのは、小平の時代だ。【片山】
小平は、社会主義と資本主義を同時に行うという、新しい独裁の形を考え出し、共産党を延命させることに成功した。しかし、アイデンティティの軽視という大きな問題を抱えてしまった。いま多くの中国人富裕層が、米国やヨーロッパなどの外国に資産を移して住みついている。自分がよって立つものがないから、他民族への無知無策が露わになるのだ。中国では、民族問題が原因の大混乱が起こる可能性もある。
(10)独裁の本質はきわめて単純ではないか。独裁が生じるのは、既存の法体系では間に合わない「例外状態」で、緊急性があって、みんなで議論していたら間に合わないとき。恐慌、戦争、革命のとき。しかも「例外状態」を長引かせれば、独裁の期間も延長しうる。【外山】
ヨーロッパの絶対王政時代は、「王権神授説」つまり王様は神の化身として、その能力を与えられて政治をしているという考え方をした。フランス革命などで王政が壊されてしまうと、神様が持っていた能力は、市民が持っていることになった。そして、「例外状態」に対応するのは、独裁者ということになったのだ。
一方で、日本には天皇の存在が常にあるから、西欧型の独裁者が存在するのは難しかった。そこで、日本型の独裁者として「征夷大将軍」が生まれた。
「征夷大将軍」は、危機の対応のために選ばれる臨時職だ。ところが、征夷大将軍は、後世「幕府」と呼ばれる政治体制を構築した。【片山】
それが、鎌倉時代から江戸時代まで武家政権として続いてしまう。つまり、日本では700年にわたって「例外状態」が続いていた。【保阪】
近代になるとそれが激変した。大日本帝国憲法で天皇の独裁が可能になった。ところが、実際には独裁政権は棚上げにされて、天皇は政治もしないし、責任もとらないようになていた。かといって新しく作られた「総理大臣」は、独裁者にはなれないようなシステムだった。【片山】
昭和初期の軍部主導体制を独裁体制という人もいるが、そんな単純なものではない。【保阪】
片山さんは、日本軍の思想を分析した『未完のファシズム』を書いている。日本は西洋のような全体主義=ファシズム体制を構築することすらできなかったことが、手に取るようにわかる。
(11)これだけ複雑化した現代社会においては、自然災害や他国の脅威、大恐慌などいくらでも「例外状態」の要素が存在する。【片山】
少し突飛に聞こえるかもしれないが、現在の日本でも新しい形の「独裁」が行われている可能性がある。それは中国共産党とは違った意味での集団指導体制、もしくはエリート独裁体制だ。TPP参加、消費増税、普天間基地の代替となる辺野古のV字滑走路などは、現政権が決めたことではなく、当時の民主党政権で決まった政策だ。それが政権交代したはずの自民党でも継続して行われている。
(12)インターネットは、実は独裁者を生むために一役買うのではないか。「アラブの春」でSNSが利用され、民主主義のために有効な道具だという認識が広まった。しかし、橋下徹・前大阪市長がツイッターで自分と違う意見を罵倒するのに利用した。そして、大衆の人気を獲得した。インターネットは、人びとを極端な意見に誘導しやすい装置でもある。【保阪】
ツイッターやLINEなどのSNSの時代になり、語彙数がどんどん減っていく。肌感覚では、小学校低学年のレベルだ。
新聞も雑誌も読まないし、テレビも見ない人が増えている。その代わりにSNSやネットで自分に都合のいい情報にだけ接しているのだ。結局、世の中が難しくなりすぎて、真面目に考えても付いていけなくなっているから、よほど差し迫ったこと以外は最初から判断を放棄しているのではないか。そうなると、余計に単純なスローガンや耳当たりのよい言葉が受け入れられやすい社会になる。独裁者たちにしてみれば、これほど活動しやすい場所はない。【片山】
実質的な独裁が生まれる仕組みが、自然と整ってきているのかもしれない。
ひとりで勝手に赤裸々に暴力的にやるのが独裁だ・・・・という思い込みが日本人にはある。独裁はもっと多様だ。社会から意見の多様性が失われたり、行政が法の通例に外れた行動を増やせば、それは独裁の萌芽だ。21世紀の独裁は、雰囲気とか言語とかでやんわりと包み込むような形で忍び寄ってくるだろう。同調していないと、いつのまにかムラ八分のように弾かれてしまう。【片山】
独裁者の原理は、うまい具合にシステム化され、一般生活に入り込んでいる。<例>着色バターは体に悪いとか、健康診断を受けなさいと言われれば、国民のことを考えているように聞こえる。しかし、一夜にして「国民は健康でいなければならない。なぜなら、その体は国家のものだからだ」と変化していく可能性もある。
偏狭なナショナリズムは福祉の仮面を被ってくる可能性もある。こうした時代だからこそ、静かに忍び寄る独裁への誘惑について、考えておく必要がありそうだ。【保阪】
□佐藤優「独裁者が世界を徘徊している」(「文藝春秋」2016年6月号)/鼎談者;保阪正康(昭和史研究家)、片山杜秀(政治学者/慶應義塾大学教授)
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【参考】
「【佐藤優】ナチスドイツ・ロシア・中国・北朝鮮 ~世界の独裁者~」
(8)トランプ現象は、議会制の機能不全と、一般国民の許容範囲を超えた貧富の差に原因があると思える。【片山】
トランプが民主党のヒラリー・クリントン候補を批判すると演説会場はワーッと盛り上がるが、貧困層の支持が高いバーニー・サンダース候補を批判しても受けない。サンダースは社会民主主義者を自称し、福祉政策や貧困対策に力を入れると主張する人物だ。つまり、トランプとサンダースの支持者は非常に親和性が高い。【保阪】
トランプの主張は本来の共和党の政策にも適う部分が多い。「モンロー主義」に近い考え。「見返りがない。だから止める」と考えている。米国は米国を守ることしか興味がなくなってきている。同じ共和党でも、ネオコン的なブッシュ政権のように、中東やアジアの問題に介入しても、結局、米国にはいいことがないと思い始めた。【片山】
白人が支配する米国を回復しようとするトランプの主張は、差別意識の現れだ。初期に米国へ来た白人の移民は天命があるので平等だけれど、後から来たユダヤ系、アジア系、イスラム系は金儲けのために来ただけの人間で同列にできないと考えている。
米国は経済的に上手くいっていれば、トランプの主張は相手にされなかった。しかし、経済が苦しくなり限られたパイを争うようになって、排除の論理が表面に出てきた。そこでは人種という物差しを使って、自分たちとは違うものを攻撃している。これは独裁者の論理そのものだ。【片山】
(9)その人種政策で、大きな失敗をしつつあるのが、中国共産党だ。毛沢東は文化大革命などで多くの人を死に追いやった。一方で少数民族には寛大だった。事実上発禁になっていた『毛沢東選集5巻』に収録されている論文「十大関係論」の中で、漢民族は人数が多いが、資源の少ない地域に住んでいる。一方で、少数民族は資源の多い地域に住む。民族主義はいけないけれども、彼らを優遇する政策がちょうどよい、と書いている。
習近平による共産党独裁体制の方が、荒っぽくなっているともいえる。彼らがイスラムの脅威を理解しているとは思えない。ウイグルの独立運動は、単なる民族運動ではなくイスラム主義運動と連動している。ウイグル自治区と隣接するキルギスなどに「イスラム国」が入り込み、ウイグル人と連帯すると手がつけられなくなる。
共産党の独裁体制が変質したのは、小平の時代だ。【片山】
小平は、社会主義と資本主義を同時に行うという、新しい独裁の形を考え出し、共産党を延命させることに成功した。しかし、アイデンティティの軽視という大きな問題を抱えてしまった。いま多くの中国人富裕層が、米国やヨーロッパなどの外国に資産を移して住みついている。自分がよって立つものがないから、他民族への無知無策が露わになるのだ。中国では、民族問題が原因の大混乱が起こる可能性もある。
(10)独裁の本質はきわめて単純ではないか。独裁が生じるのは、既存の法体系では間に合わない「例外状態」で、緊急性があって、みんなで議論していたら間に合わないとき。恐慌、戦争、革命のとき。しかも「例外状態」を長引かせれば、独裁の期間も延長しうる。【外山】
ヨーロッパの絶対王政時代は、「王権神授説」つまり王様は神の化身として、その能力を与えられて政治をしているという考え方をした。フランス革命などで王政が壊されてしまうと、神様が持っていた能力は、市民が持っていることになった。そして、「例外状態」に対応するのは、独裁者ということになったのだ。
一方で、日本には天皇の存在が常にあるから、西欧型の独裁者が存在するのは難しかった。そこで、日本型の独裁者として「征夷大将軍」が生まれた。
「征夷大将軍」は、危機の対応のために選ばれる臨時職だ。ところが、征夷大将軍は、後世「幕府」と呼ばれる政治体制を構築した。【片山】
それが、鎌倉時代から江戸時代まで武家政権として続いてしまう。つまり、日本では700年にわたって「例外状態」が続いていた。【保阪】
近代になるとそれが激変した。大日本帝国憲法で天皇の独裁が可能になった。ところが、実際には独裁政権は棚上げにされて、天皇は政治もしないし、責任もとらないようになていた。かといって新しく作られた「総理大臣」は、独裁者にはなれないようなシステムだった。【片山】
昭和初期の軍部主導体制を独裁体制という人もいるが、そんな単純なものではない。【保阪】
片山さんは、日本軍の思想を分析した『未完のファシズム』を書いている。日本は西洋のような全体主義=ファシズム体制を構築することすらできなかったことが、手に取るようにわかる。
(11)これだけ複雑化した現代社会においては、自然災害や他国の脅威、大恐慌などいくらでも「例外状態」の要素が存在する。【片山】
少し突飛に聞こえるかもしれないが、現在の日本でも新しい形の「独裁」が行われている可能性がある。それは中国共産党とは違った意味での集団指導体制、もしくはエリート独裁体制だ。TPP参加、消費増税、普天間基地の代替となる辺野古のV字滑走路などは、現政権が決めたことではなく、当時の民主党政権で決まった政策だ。それが政権交代したはずの自民党でも継続して行われている。
(12)インターネットは、実は独裁者を生むために一役買うのではないか。「アラブの春」でSNSが利用され、民主主義のために有効な道具だという認識が広まった。しかし、橋下徹・前大阪市長がツイッターで自分と違う意見を罵倒するのに利用した。そして、大衆の人気を獲得した。インターネットは、人びとを極端な意見に誘導しやすい装置でもある。【保阪】
ツイッターやLINEなどのSNSの時代になり、語彙数がどんどん減っていく。肌感覚では、小学校低学年のレベルだ。
新聞も雑誌も読まないし、テレビも見ない人が増えている。その代わりにSNSやネットで自分に都合のいい情報にだけ接しているのだ。結局、世の中が難しくなりすぎて、真面目に考えても付いていけなくなっているから、よほど差し迫ったこと以外は最初から判断を放棄しているのではないか。そうなると、余計に単純なスローガンや耳当たりのよい言葉が受け入れられやすい社会になる。独裁者たちにしてみれば、これほど活動しやすい場所はない。【片山】
実質的な独裁が生まれる仕組みが、自然と整ってきているのかもしれない。
ひとりで勝手に赤裸々に暴力的にやるのが独裁だ・・・・という思い込みが日本人にはある。独裁はもっと多様だ。社会から意見の多様性が失われたり、行政が法の通例に外れた行動を増やせば、それは独裁の萌芽だ。21世紀の独裁は、雰囲気とか言語とかでやんわりと包み込むような形で忍び寄ってくるだろう。同調していないと、いつのまにかムラ八分のように弾かれてしまう。【片山】
独裁者の原理は、うまい具合にシステム化され、一般生活に入り込んでいる。<例>着色バターは体に悪いとか、健康診断を受けなさいと言われれば、国民のことを考えているように聞こえる。しかし、一夜にして「国民は健康でいなければならない。なぜなら、その体は国家のものだからだ」と変化していく可能性もある。
偏狭なナショナリズムは福祉の仮面を被ってくる可能性もある。こうした時代だからこそ、静かに忍び寄る独裁への誘惑について、考えておく必要がありそうだ。【保阪】
□佐藤優「独裁者が世界を徘徊している」(「文藝春秋」2016年6月号)/鼎談者;保阪正康(昭和史研究家)、片山杜秀(政治学者/慶應義塾大学教授)
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【参考】
「【佐藤優】ナチスドイツ・ロシア・中国・北朝鮮 ~世界の独裁者~」