(承前)
(6)風向きがメディアによって広められているうちに、その風が強くなり、誰も逆らえなくなるほどになると、「みんながそう言っている」ということになってしまう。その中で、少数派、異質なものの排除が進んでいく。
これが、井上ひさし・劇作家のいわゆる「風向きの原則」だ。
最近、そうした同調圧力がますます強くなってきている。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前だ、といった圧力。そのなかで、メディアまでが、その圧力に加担するようになってはいないか。
(7)もともとテレビは、世の中の空気を読むため、知るための手っ取り早いメディアとして機能してきた。
しかし、テレビは世の中の動向を知りたい視聴者の欲求を満足させ、その影響力の大きさゆえに、感情やものの見方を均一的にしてしまいがちだ。
一方で、テレビの送り手側も多くの視聴者を獲得したいがために、視聴者の動向に敏感にならざるを得ない。
この視聴者側と送り手側の相互作用はとても強力だ。感情の一体化を進めてしまうテレビ、それが進めば進むほど、こんどはその感情に寄り添おうとするテレビ。
こうした流れが生まれやすいことを、メディアにかかわる人間は強く意識しなければならない。
(8)『紋切型社会』【注4】で、社会を硬直させてしまう、固まらさせてしまう言葉が数多く取り上げられている。そのなかに
「国益を損なう」
という言葉が出てくる。この言葉もとても強い同調力を持っている。本来ならば、どう具体的に損なうのかと問うべきときに、その問いさせ国益を損なうと言われてしまいそうで、問うこと自体をひるませる力を持っているのだ。
テレビ報道の仕事を通じて国谷が感じてきたことに重なる想いを、さまざまな人びとが抱き始めている。
【注4】武田砂鉄・編集者の著書。『紋切型社会--言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、2015)
(9)米国がベトナム戦争に負けた1975年、国谷は米国で大学生活を始めた。
ベトナム戦争は、テレビによって生々しく報道された初めての戦争だ。そのテレビが戦争終結の一翼を担った、とされている。加えて、国防総省、ペンタゴンがベトナム戦争を分析した秘密文書をニューヨーク・タイムズが掲載し、ワシントン・ポストもウォーターゲート事件をスクープ、ニクソン大統領を辞任に追い込んでいた。
このようなメディアに対する信頼は厚く、この頃のジャーナリズムには意気揚々とした空気が満ち溢れていた。
ペンタゴン秘密文書の掲載について司法省は、「国家の安全保障に関する問題だ」としてニューヨーク・タイムズに対して連載の差し止めを命じた。
連邦最高裁はしかし、言論の自由を最優先し、政府には機密報告書の掲載を差し止めることはできない、とした。判決の中でブラック・連邦最高裁判事は、
<自由かつ制限のない報道のみが政府の欺瞞を白日の下にさらすことができる>
と書いている。ジャーナリズムが健全に機能したことで、ようやくベトナム戦争に終止符を打てたという認識が社会全体に広がっていた。
そうした米国の空気を肌で感じながら国谷は大学生活を送った。
(10)1970年代、次第にテレビは衛星中継を通して世界中の人と生でつながることができるようになった。
テッド・コペルがキャスターを務める米国ABC「ナイトライン」は、毎日その日のテーマの当事者や専門家などを結び、コペルによるインタビューを中心に構成されていた。相反する立場の人たちが画面を通して議論していた。国谷は、毎回当事者が生放送で語る言葉に聞き入っていた。
短時間に複数のゲストに対して的確な質問を投げかけ、相手がはぐらかしたり、自分の言いたいことだけを答えると、実に巧みに割り込み、質問に真正面から答えるよう促す。
誰に対してもコペルの距離感は均等で、出演者への質問がフェアな姿勢で貫かれていた。
1988年6月9日の「ナイトライン」に出演したブッシュ副大統領(当時、次期大統領選挙の候補者の一人)が、厳しい質問をかわそうと政権が評価されてきた点に話をもっていこうとすると、コペルは、
<評価されている点については選挙戦で話したり選挙コマーシャルで伝えられます。私がこの場で取り上げるのは政権が評価されてない点です>
と副大統領にむかってさらりと切り返した。
(11)そのコペルに対して国谷は、2004年3月、イラク戦争1年のタイミングで混迷を深めるイラク情勢についてインタビューした。その時紹介した「ナイトライン」のなかで、コペルはブレマー長官【注5】へのインタビューをしている。米軍の撤退の見通しなどを聞いた後、コペルはイラク国民の声に耳を傾けないと批判されてきた長官に辛辣な質問をなげかけた。
<あなたは壁の外で自分がなんと呼ばれているか知っていますか。アヤトラ・ブレマー、自分の教義をふりかざすイスラム教の聖職者のようだと言われています。外で何が起きているのかあなたは見ようとしません。失望し、怒る大勢の人が答えをもとめてきているのに。王様気分はいかがですか。いいですか、悪いですか?>
ブレマー長官は、この問いに対して「私は大統領の要請によりここで職務を遂行しているだけ。とても疲れます」と答えるのが精一杯だった。
国谷は、コペルへのインタビューの最後で、イラク戦争の教訓は何かと尋ねた。
多くの戦争報道に携わってきたコペルはこう答えた。
<それはどの戦争からも得られる教訓です。どのような軍事計画も、最初の弾丸が放たれるまでの命です。予期していたことと違うことが常に起きます。そしてある行動を起こすと次の行動を起こさざるを得なくなっていくのです>
コペルの「ナイトライン」は視聴者に信頼され、2005年11月まで25年間続いた。
「ナイトライン」に出演することはコペルという精密な秤に載せられることを意味した。当事者が「ナイトライン」への出演を避ければ、視聴者に説明できない何か都合の悪いことがあるにちがいない、とまで思わせる存在感のある番組だった。
テレビの持つ力、とりわけ映像の力が人びとの気持を大きく動かすようになっていった時代。ハルバースタムが「テレビが伝える真実は映像であって言葉ではない」と講演で指摘した状況が生まれつつあったなか、テッド・コペルはインタビューという言葉の力で真実を浮かび上がらせようとしていた。
国谷は、インタビューの持つ言葉の力を学んだ。
【注5】フセイン政権を倒した後の米国を中心とするCPA(暫定行政当局)のトップで、当時高い壁で守られたバグダッドにある元大統領宮殿にいた。
□国谷裕子(キャスター)「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」の23年」(「世界」2016年5月号)
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□国谷裕子(キャスター)「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」の23年」(「世界」2016年5月号)
【参考】
「【メディア】インタビューという仕事 ~「クローズアップ現代」の23年~」
(6)風向きがメディアによって広められているうちに、その風が強くなり、誰も逆らえなくなるほどになると、「みんながそう言っている」ということになってしまう。その中で、少数派、異質なものの排除が進んでいく。
これが、井上ひさし・劇作家のいわゆる「風向きの原則」だ。
最近、そうした同調圧力がますます強くなってきている。流れに逆らうことなく多数に同調しなさい、同調するのが当たり前だ、といった圧力。そのなかで、メディアまでが、その圧力に加担するようになってはいないか。
(7)もともとテレビは、世の中の空気を読むため、知るための手っ取り早いメディアとして機能してきた。
しかし、テレビは世の中の動向を知りたい視聴者の欲求を満足させ、その影響力の大きさゆえに、感情やものの見方を均一的にしてしまいがちだ。
一方で、テレビの送り手側も多くの視聴者を獲得したいがために、視聴者の動向に敏感にならざるを得ない。
この視聴者側と送り手側の相互作用はとても強力だ。感情の一体化を進めてしまうテレビ、それが進めば進むほど、こんどはその感情に寄り添おうとするテレビ。
こうした流れが生まれやすいことを、メディアにかかわる人間は強く意識しなければならない。
(8)『紋切型社会』【注4】で、社会を硬直させてしまう、固まらさせてしまう言葉が数多く取り上げられている。そのなかに
「国益を損なう」
という言葉が出てくる。この言葉もとても強い同調力を持っている。本来ならば、どう具体的に損なうのかと問うべきときに、その問いさせ国益を損なうと言われてしまいそうで、問うこと自体をひるませる力を持っているのだ。
テレビ報道の仕事を通じて国谷が感じてきたことに重なる想いを、さまざまな人びとが抱き始めている。
【注4】武田砂鉄・編集者の著書。『紋切型社会--言葉で固まる現代を解きほぐす』(朝日出版社、2015)
(9)米国がベトナム戦争に負けた1975年、国谷は米国で大学生活を始めた。
ベトナム戦争は、テレビによって生々しく報道された初めての戦争だ。そのテレビが戦争終結の一翼を担った、とされている。加えて、国防総省、ペンタゴンがベトナム戦争を分析した秘密文書をニューヨーク・タイムズが掲載し、ワシントン・ポストもウォーターゲート事件をスクープ、ニクソン大統領を辞任に追い込んでいた。
このようなメディアに対する信頼は厚く、この頃のジャーナリズムには意気揚々とした空気が満ち溢れていた。
ペンタゴン秘密文書の掲載について司法省は、「国家の安全保障に関する問題だ」としてニューヨーク・タイムズに対して連載の差し止めを命じた。
連邦最高裁はしかし、言論の自由を最優先し、政府には機密報告書の掲載を差し止めることはできない、とした。判決の中でブラック・連邦最高裁判事は、
<自由かつ制限のない報道のみが政府の欺瞞を白日の下にさらすことができる>
と書いている。ジャーナリズムが健全に機能したことで、ようやくベトナム戦争に終止符を打てたという認識が社会全体に広がっていた。
そうした米国の空気を肌で感じながら国谷は大学生活を送った。
(10)1970年代、次第にテレビは衛星中継を通して世界中の人と生でつながることができるようになった。
テッド・コペルがキャスターを務める米国ABC「ナイトライン」は、毎日その日のテーマの当事者や専門家などを結び、コペルによるインタビューを中心に構成されていた。相反する立場の人たちが画面を通して議論していた。国谷は、毎回当事者が生放送で語る言葉に聞き入っていた。
短時間に複数のゲストに対して的確な質問を投げかけ、相手がはぐらかしたり、自分の言いたいことだけを答えると、実に巧みに割り込み、質問に真正面から答えるよう促す。
誰に対してもコペルの距離感は均等で、出演者への質問がフェアな姿勢で貫かれていた。
1988年6月9日の「ナイトライン」に出演したブッシュ副大統領(当時、次期大統領選挙の候補者の一人)が、厳しい質問をかわそうと政権が評価されてきた点に話をもっていこうとすると、コペルは、
<評価されている点については選挙戦で話したり選挙コマーシャルで伝えられます。私がこの場で取り上げるのは政権が評価されてない点です>
と副大統領にむかってさらりと切り返した。
(11)そのコペルに対して国谷は、2004年3月、イラク戦争1年のタイミングで混迷を深めるイラク情勢についてインタビューした。その時紹介した「ナイトライン」のなかで、コペルはブレマー長官【注5】へのインタビューをしている。米軍の撤退の見通しなどを聞いた後、コペルはイラク国民の声に耳を傾けないと批判されてきた長官に辛辣な質問をなげかけた。
<あなたは壁の外で自分がなんと呼ばれているか知っていますか。アヤトラ・ブレマー、自分の教義をふりかざすイスラム教の聖職者のようだと言われています。外で何が起きているのかあなたは見ようとしません。失望し、怒る大勢の人が答えをもとめてきているのに。王様気分はいかがですか。いいですか、悪いですか?>
ブレマー長官は、この問いに対して「私は大統領の要請によりここで職務を遂行しているだけ。とても疲れます」と答えるのが精一杯だった。
国谷は、コペルへのインタビューの最後で、イラク戦争の教訓は何かと尋ねた。
多くの戦争報道に携わってきたコペルはこう答えた。
<それはどの戦争からも得られる教訓です。どのような軍事計画も、最初の弾丸が放たれるまでの命です。予期していたことと違うことが常に起きます。そしてある行動を起こすと次の行動を起こさざるを得なくなっていくのです>
コペルの「ナイトライン」は視聴者に信頼され、2005年11月まで25年間続いた。
「ナイトライン」に出演することはコペルという精密な秤に載せられることを意味した。当事者が「ナイトライン」への出演を避ければ、視聴者に説明できない何か都合の悪いことがあるにちがいない、とまで思わせる存在感のある番組だった。
テレビの持つ力、とりわけ映像の力が人びとの気持を大きく動かすようになっていった時代。ハルバースタムが「テレビが伝える真実は映像であって言葉ではない」と講演で指摘した状況が生まれつつあったなか、テッド・コペルはインタビューという言葉の力で真実を浮かび上がらせようとしていた。
国谷は、インタビューの持つ言葉の力を学んだ。
【注5】フセイン政権を倒した後の米国を中心とするCPA(暫定行政当局)のトップで、当時高い壁で守られたバグダッドにある元大統領宮殿にいた。
□国谷裕子(キャスター)「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」の23年」(「世界」2016年5月号)
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□国谷裕子(キャスター)「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」の23年」(「世界」2016年5月号)
【参考】
「【メディア】インタビューという仕事 ~「クローズアップ現代」の23年~」