語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【メディア】フェアなインタビューとは ~インタビューという仕事(3)~

2016年05月08日 | 社会
 (承前)

 (12)キャスターは、最初に抱いた疑問を最後まで持ち続け、視聴者の思いを掬い取り、納得がいくように伝えるということが大事だ。そのため、重要なことは納得を求めて繰り返し、質問の形を変えてまでしつこく聞く。ときに、インタビュー相手にも、まだそのことを聞くのか、とあきれられたり、ときには露骨に嫌な顔をされることもある。
 2004年のシュレダー・ドイツ首相へのインタビューにおいてもこだわった。インタビューの中心は、フランスとならんで強く米国のイラク戦争に反対したドイツの首相に、米国との関係について、本音でどう考えているのか、首相の口から聞きたい、ということだった。
 ドイツと違い、日本政府はイラク戦争を支持していた。されば、インタビューの核になるテーマだと思われた。
 しかし、首相は今後の独米関係を考慮して口は堅く、言質を取られないぞ、との決意もうかがわれ、最初の答えで、「そのことは既に過去のこと」とかわしてきた。しかし、国谷はめげずにしつこく聞いた。首相はややあきれ顔ながら、一つひとつ丁寧に答えた。
 首相は、さすが老練な政治家だった。国谷は、首相の、今後米国と対等となるようEUの結束を固めていくという言葉で旗を巻くこととした。
 「こだわるインタビュー」が、突っ込んだ良いものだったと評価されることもある一方で、しつこい、くどい、相手に失礼といった評にもなる。しかし、いったん絞り込んだテーマには、納得のいくまでこだわり、しつこく聞くことは大切なことだ。
 ただ相当な準備とエネルギーがいる。

 (13)2014年7月、閣議決定で憲法解釈の変更を行い、集団的自衛権の部分的行使を可能にしたことについて、スタジオで政治部記者とともに菅官房長官にインタビューした。
 インタビュー部分は14分ほど。安全保障にかかわる大きなテーマだったが、与えられた時間は長くはなかった。国谷は、この憲法解釈の変更に、世論の中で漠然たる不安が広がっていることを強く意識していた。視聴者はいま政府に何を一番聞いてほしいのか。その思いを背に国谷は何にこだわるべきなのか。

国谷:確認ですけれど、他国を守るための戦争には参加しないと?
官房長官:それは明言しています。

国谷:ではなぜ今まで憲法では許されないとしてきたことが容認されるとなったのか。安全保障環境の変化によって日米安保条約だけではなく集団的自衛権によって補わなくてはならない事態になったという認識なのでしょうか。
官房長官:いま、わが国の国民は150万人の人が海外で生活しています。そして1,800万人の人が旅行を含めて渡航しています。そうした時代になりました。そしてまた、わが国をとりまく安全保障の環境というものは極めて厳しい状況になっていることも事実だと思います。そういうなかにあって、どこの国といえども一国だけで平和を守れる時代ではなくなってきたという、まずここが大きな変化だと思います。(中略)やはり日米同盟、ここを強化することによって、抑止力が高まりますから、それによってわが国が実際この武力行使をせざるをえなくなる状況は大幅に減少するだろうと、そういう考え方のもとに今回、新要件の三原則というものを打ち立てたわけであります。

国谷:憲法の解釈を変えるということは、ある意味では、日本の国のあり方を変えることにもつながるような変更だと思いますが、外的な要因が変わった、国際的な状況が変わったということだけで本当に変更していいのだろうかという声もあります。
官房長官:これはですね、逆に42年間、そのままで本当によかったかどうかです。(中略)従来の政府見解の基本的論理の枠内で、今回、新たにわが国と密接な関係がある他国に武力攻撃が発生して、わが国の存立そのものが脅かされ、国民の生命、自由、幸福の追求の権利が根底から覆される明白な危険という、そういうことを形に入れて、今回、閣議決定したということです。

国谷:その密接な国とはどういう国なのか、当然、同盟国であるアメリカというのは想像できるのですが、あらかじめ決めておくのか、それともその時々の政権が決めるのでしょうか。
官房長官:そこについては、同盟国でありますからアメリカは当然であります。そのほかのことについて、そこは時々の政府の判断、これは状況によって判断していくということになってくると思います。

国谷:本当に歯止めがかけられるのか、多くの人達が心配していると思いますが、非常に密接な関係のある他国が強力に支援要請をしてきた場合、これまでは憲法9条で認められないということが大きな歯止めになっていましたが、果たして断りきれるのでしょうか。
官房長官:これは新要件の中に、わが国の存立を全うすると、国民の自由などですね、そこがありますから、そこは従来と変わらないと思っています。

国谷:断りきれると・・・・
官房長官:もちろん。

国谷:もう一つの心配は、アメリカと一体にならないよう非戦闘地域での活動に限るなどして、日本独自の活動を行って、一種の存在感を得られてきましたが、今回そうしたプレゼンスを失う恐れはありませんか。
官房長官:それはまったくないと思います。申し上げたように、日本と関係ある他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされて、そして国民の生命、そして自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険ということで、しっかり歯止めをかけていますから、これは問題ないと思っています。

国谷:ただ、集団的自衛権の行使が、密接な関係のある他国のために行使した場合、第三国を攻撃することになって、第三国から見れば日本から先制攻撃を受けたということになるかと思いますが。戦争というものは、自国の論理だけでは説明しきれない、どんな展開になるかわからない危険を持っています。
官房長官:こちらから攻撃することはありえないです。

国谷:しかし、そこは集団的自衛権を行使しているなかで、防護の・・・・。
官房長官:ですからそこは最小限度という、ここに三原則というしっかりした歯止めがありますから、そこは当たらないと思います。

 (14)そして、放送が終わりに近づき、記者の質問に対して官房長官が、法案の国会審議のなかで国民に間違いなく理解していただけると思う、と答え、ほとんど時間がなくなった時、国谷はふたたび問いを発していた。

国谷:しかし、そもそも解釈を変更したということに対する原則の部分での違和感や不安はどうやって払拭していくのか。

 残り時間が30秒を切り、あらたな問いを発すること自体無理な状況であり、この問いに対し、官房長官が「42年間たって世の中が変わり、一国で平和を守る時代ではない」と語り始めたとき、放送は終わってしまった。
 生放送における時間キープも当然キャスターの仕事であり、国谷のミスだった。しかし、なぜあえて問いを発してしまったのだろうか。もっともっと聞いてほしいというテレビの向こう側の声を感じてしまったのだろうか。

 (15)日本では、政治家、企業経営者など説明責任のある人たちに対してでさえ、インタビューでは深追いしない、相手があまり話したがらないことは、しつこく追求しないのが礼儀といった雰囲気がまだ残っている。インタビュアー自身がそう思っているのか、視聴者や読者の反発を意識してのことなのか、両方の要素があるのかもしれない。
 批判的な内容を挙げてのインタビューは、その批判そのものが聞き手自身の意見だとみなされてしまい、番組は公平性を欠いているとの指摘がたびたびある。
 しかし、聞くべきことはきちんと角度を変えて繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせる、それがフェアなインタビューではないか。

 (16)「クローズアップ現代」では、日本にとってとりわけ重要な国、米国、韓国、中国の要職にある人物には積極的にインタビューしてきた。駐日米大使もそうで、国谷は4人の就任直後の新米大使へのインタビューを行っている。
 2013年11月に就任した初の女性大使(キャロライン・ケネディ)へのインタビューは翌年3月になったが、その間、12月の安倍首相の①靖国神社の参拝、②歴史認識をめぐって、日韓関係の冷え込みが日米関係に影を落とし始めていた。
 在日米大使館は、
   ①に対し、失望とのコメントを出していた。
   ②に対しても、NHKの会長や経営委員の発言に対して米国側から批判の声が出ていた。
 大使へのインタビューは、そういう難しいタイミングで行うことになった。インタビューをフェアなスタンスで貫くことができるか、放送の場がNHKの番組であったがゆえに、これまで以上に問われている状況だった。
 <日本とアメリカの関係は、安倍政権の一員、それにNHKの経営委員や会長の発言によって影響を受けていると言わざるを得ません>
 このように国谷はケネディ大使への質問の中でNHKのことに触れた。番組の信頼のためにも、この言葉を避けて通るわけにはいかなかった。

 (17)1988年、国谷は大統領選を米国で取材中、ホワイトハウスでいつも大統領に手厳しい質問をするサム・ドナルドソンに、なぜ、あなたは大統領に厳しい質問ばかりをするのかと聞いたことがある。
 <国谷さん、小さな田舎町でアップルパイコンテストがあり、そのコンテストの優勝者が隣に住む素敵なおばあちゃんだったとしましょう。僕はそのおばあちゃんに、優勝おめでとう、でもおばあちゃん、そのアップルパイに添加物は使わなかったかい、と聞きますよ>
 ドナルドソン記者は、そう答えた。どんな場であっても、相手がどんな人であっても、聞くべきことをきちんと問う。インタビューの基本だ。しかし、日本だったら、果たして、こう聞くことができるだろうか。
 歴史の証言者になりうる人びとから徹底的に話を聞き、それを記録として残している御厨貴・政治学者は、質問文化が日米では違っていて、米国型の攻撃的インタビューは日本ではまだそぐわない、と以前書いていた。
 しかし、情報が国境を越えて行き交い、ジャーナリズムの発信元が国内だけにとどまらなくなっている現在、聞くべきことは聞くという意味において、文化の違いを乗り越える時が来ているのではないか。

 (18)国内外で時代のうねりが大きくなり、生き方も価値観も多様になる中で、報道番組におけるインタビューの役割とは何か。
 直接情報を発信する手軽な手段を誰しもが手に入れ、ややもすればジャーナリズムというものを「余計なフィルター」と見なそうとする動きさえ出てきている。
 しかし、アップルパイを作ったおばあちゃんにあえて「添加物を使ってないか」と尋ねる(ジャーナリズムとしての)インタビューの機能が失われてもいいのだろうか。
 社会が複雑化し、何が起きているのか見えにくくなるなか、人びとの情報へのリテラシーを高めるためにも、権力を持ち、多くの人びとの生活に影響を及ぼすような決断をする人物を多角的にチェックする必要性はむしろ高まっている。

 (19)23年間にわたる「クローズアップ現代」のキャスターとしての仕事の核は、問いを出し続けることであった。それはインタビューの相手にだけでなく、視聴者への問いかけであり、絶えず自らへの問いかけでもあった。
 言葉による伝達ではなく、言葉による問いかけ。
 これが、キャスターとは何をする仕事なのか、という問いに対する国谷の答えかもしれない。

□国谷裕子(キャスター)「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」の23年」(「世界」2016年5月号)
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 【参考】
【メディア】テッド・コペルと言葉の力 ~インタビューという仕事(2)~
【メディア】インタビューという仕事 ~「クローズアップ現代」の23年~
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