保阪正康、佐藤優、片山杜秀の鼎談「独裁者が世界を徘徊している」の前半部を主として佐藤優の発言を以下、抽出・要約(関連する発言には行末に【保阪】【片山】と注記)。
(1)昨今の世界情勢は、プーチン大統領、習近平国家主席など「独裁者」のような強権的政治家が目立つ。米国ではドナルド・トランプ候補が人気を集めている。「独裁者」が世界の命運を握る時代が、また来るのではないかと危惧される。【保阪】
非常に重要な問題提起だ。独裁者とは一体何者なのか、そしてどういった背景で登場するのかをきちんと分析することは、今日、大きな意義がある。
(2)ヒトラーへの関心は明らかに高まっている。【片山】
ドイツでは昨年、ヒトラーの著作権が切れて、それまで版権を持っていたバイエルン州にある、現代史研究所が『我が闘争』を刊行した。現物は大辞典2冊分くらいのサイズがある。
ドイツ語版は、日本語版とは底本が別だ。本文批評のついた分厚いもので、わざと判型を大きくして、携帯できないようにしているのだろう。
1万5千部くらいで刷るのを止めているようだ。
そんな発売形態を見れば、ドイツ人はいまだにヒトラーへの危機感を持っていることがわかる。足枷を付けないとヒトラーが再び神格化されてしまうと考えているのだ。
ヒトラーは、ワイマール憲法の中の「非常事態においては、大統領が個人の自由の不可侵権等を一時的に停止できる」という部分を使って政権の基盤を固めた。この「非常事態」「例外状態」とは何か。戦争、内乱、経済恐慌、対外危機などをヒトラーは過剰に言い立てて恐怖心を煽った。その「例外状態」を解決できる唯一の人物として独裁者の存在を正当化した。民主主義の健全な運用のためには、経済の安定が不可欠だ。第二次世界大戦前のドイツや日本は、議会制民主主義が経済問題に対応できなくなったことから混乱が始まった。世界的な不況が叫ばれる今、新たなる独裁が生まれる土壌は、確かにある。【片山】
(3)21世紀の、我々の身近なところにいる独裁者は金正恩だ。【保阪】
北朝鮮は、世襲制の古くさい独裁国家だったのが、金正恩体制になって、新しい独裁国家に移行しつつある。まず大きく変化したのは、イデオロギーが、それまでの金日成主義から金日成・金正日主義に変わったことだ。
金正日体制までは、金日成の遺訓によって政治を動かしていた。新しい政策を行うたびに、どこからか金日成の原稿が“発見”される。それが『金日成全集』として刊行され、正当性を担保していた。ところが、金正恩体制になり、それがストップした。
もはや金日成の著作物だけに頼ることはなくなったのだと。【片山】
独裁者が自分の権力を見せつけるには、それまであったイデオロギーに「俺はこう思う」と新たなる解釈を与えることが手っ取り早い。金正恩はそれを実行に移しているのだろう。
もう一つ、北朝鮮の首領は、血統だけでなく正しい思想を持っていることが必要だと言い出した。金日成以来の「白頭の血筋」だけでは不十分であるというのだ。これは、「金正日の長男である金正男は、北朝鮮の正統な後継者ではない」ことをアピールするために行われているのだろう。
(4)北朝鮮は、以前に比べて近隣諸国への挑発の度合いが増してきている。庇護者であった中国すら、もてあましているように見える。【保阪】
北朝鮮は、以前よりも暴発の危機は増している。案外重要なのは、金正恩の健康状態だ。彼は佐藤より数十キロは肥っているだろう(笑)。心臓病と痛風が心配だ。肉体の痛みは、時に正常な判断を妨げるから。偶発的な衝突がおこらないとも限らないのだ。
(フィデル・カストロ前議長は)表舞台にこそ出ないが、裏では国家を指導している可能性が高い。2月にカトリックのフランシスコ教皇とロシア正教のキリル1世が、1054年の東西分裂以来、初めて会談を行った。その場所が、無神論国家のキューバだった。ラウル・カストロ現議長の立ち会いの下で行われているが、兄のフィデルの許可なしにできることではない。また、オバマ米国大統領をキューバ訪問“させている”ところを見ても、フィデル・カストロがまだ実験を握っている可能性は高いのではないか。
(5)ヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最後の12日間』では、最晩年のヒトラーはパーキンソン病のような状態になった姿で描かれている。妄想に取り憑かれ、正常な判断ができなくなっていた。
日本でも指導者の健康が国運を左右したことがある。近衛文麿の秘書だった細川護貞によれば、昭和16年10月16日に近衛が内閣を投げ出した前後、近衛は痔だった。東條英機と激論を交わしながら、腰を浮かせていた。その結果、強硬派の東條を抑え込めないまま、近衛が逃げ出した。そして東條内閣が誕生し、ついには太平洋戦争に突入していくのだ。【保阪】
(6)かつて元島民の北方領土へのビザなし渡航交渉を担当したとき、小渕恵三首相が直接エリツィン大統領に話しても反応しなかった。二度目の交渉で小渕首相が「元島民は80歳、90歳になって先が短いんだ」と訴えたら、エリツィン大統領が目に涙をためて、「やろう」と言った。後でロシア側から、「うちの大統領は健康状態が悪く弱気になった。そんな時につけこむな」とずいぶん嫌味を言われた。
独裁者ではないが、ヤルタ会談でのルーズベルト大統領は体調が悪く根気がなかったというし、日本陸軍の石原完爾も肝腎なときに中耳炎になった。満州事変の際も石原は体調を崩している。【片山】
(7)ロシア型の独裁について知るには、ロシア人の選挙観を知るのが手っ取り早い。彼らは自分たちの代表を国政に送り出している認識が、きわめて稀薄だ。まず「悪い候補」と「うんと悪い候補」と「とんでもない候補」の三種類が空から降ってくる。そこから、「うんと悪い」と「とんでもない」のを排除するのが選挙の役割だと考えているのだ。
ロシアのインテリたちに言わせると、古代ギリシャで、国家に害をなすと思った人間の名を投票し、一定数を超えると国外追放にした陶片追放(オストラキスモス)と同じだという。だから、ロシアの民主主義は間違っていない、と。
ロシアの大統領府には、軍や警察とは違う暴力装置も存在している。エリツィン大統領時代にできたスポーツ観光国家委員会だ。この役所が、タバコの無税輸入権や天然ガス、石油、漁業権などの各種ライセンスを持ち、強大な権限を振るっている。ここにいる腕っぷしの強い連中が、警察が出ていくことに馴染まない案件が起こると出動して、迅速に処理する。プーチン大統領は当初、自分の柔道の師匠をこの委員会のトップに据えて、自分の権力基盤として利用していた。
なぜここまで、ロシアで独裁体制が支持されるかというと、第二次世界大戦のトラウマに原因がある。独ソ不可侵条約を破ってヒトラーがソ連に侵攻してきた結果、2千万人が犠牲になった。その経験があるので、国民はバターよりも大砲を望んだ。逆にいうと、独裁制であった方が、軍事力が強く平和が維持できると考えられたから共産党独裁は、支持され続けたのだ。現在もそれは同じだろう。プーチン大統領が高い支持を得ているのは、国民が、強い指導者のほうが平和が続くと考えているからにほかならない。
□佐藤優「独裁者が世界を徘徊している」(「文藝春秋」2016年6月号)/鼎談者;保阪正康(昭和史研究家)、片山杜秀(政治学者/慶應義塾大学教授)
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【参考】
「藤優】大宅壮一ノンフィクション賞選評 ~『原爆供養塔』ほか~」
「【佐藤優】急進展する日露関係 ~安倍首相が取り組むべき宿題~」
「【佐藤優】英才教育という神話」
「【佐藤優】資本主義の内在的論理」
「【佐藤優】米国の戦略策定、『資本論』をめぐる知的格闘、格差・貧困問題の起源」
「【佐藤優】偉くない「私」が一番自由、備中高梁の新島襄、コーヒーの科学」
「【佐藤優】日露首脳会談をめぐる外務省内の暗闘 ~北方領土返還の可能性~」
「【佐藤優】フードバンク活動、内外情勢分析、正真正銘の「地方創生」」
「佐藤優】日本の政治エリートと「天佑」、宇宙の生命体、10代が読むべき本」
「【佐藤優】殺しあいを生む「格差」と「貧困」 ~「殺しあう」世界の読み方~」
「【佐藤優】組織成功の鍵となる人事、ユダヤ人の歴史、リーダーシップ論」
「【佐藤優】第三次世界大戦の可能性、現代東欧文学、世界連鎖暴落」
「【佐藤優】司馬遼太郎の語られざる本音、深層対話、米政府による暗殺」
「【佐藤優】一時中止は沖縄側の勝利だが ~辺野古新基地建設~」
「【佐藤優】著名神学者のもう一つの顔 ~パウル・ティリヒ~」
「【佐藤優】総理が靖国参拝する理由、NPO活動の哲学やノウハウ、テロ対策の必読書」
「【佐藤優】情報のプロならどうするか ~「私用メール」問題~」
「【佐藤優】今後、起こりうる財政破綻 ~対応策を学ぶ~」
「【佐藤優】テロリズムに対する統一戦線構築 ~カトリックとロシア正教~」
「【佐藤優】北方領土「出口論」を安倍首相は訪露で訴えよ」
「【佐藤優】社会の価値観、退行する社会」
「【佐藤優】夫婦の微妙な関係、安倍政権の内在的論理、警察捜査の正体」
「【佐藤優】ラブロフ露外相の真意 ~日本政府が怒った「強硬発言」~」
「【佐藤優】プーチンが彼を「殺した」のか? ~英報告書の波紋~」
「【佐藤優】情緒ではなく合理と実証で ~社会の再構築~」
「【佐藤優】中曽根康弘、21世紀の資本主義分析、北樺太の石油開発」
「【佐藤優】北朝鮮による核実験と辺野古基地問題」
「【佐藤優】日本人の思考の鋳型、死刑問題、キリスト教と政治」
「【佐藤優】サウジとイランと「国交断絶」の引き金になった男 ~ニムル師~」
「【佐藤優】中国株式市場の怪しさ、イノベーションの障害、ホラー映画の心理学」
「【佐藤優】矛盾したことを平気で言う「植民地担当相」 ~島尻安伊子~」
「【佐藤優】普天間基地移設問題の本質、外務省犯罪黒書、老後に快走!」
「【佐藤優】シリア難民が日本へ ~ハナ・アーレント『全体主義の起源』~」
「【佐藤優】陰険で根暗な前任、人柄が悪くて能力のある新任 ~駐露大使~」
「【佐藤優】世界史の基礎を身につける法、決断力の磨き方」
「【佐藤優】国内で育ったテロリストは潰せない ~米国の排外主義的気運~」
「【佐藤優】沖縄が敗訴したら起きること ~辺野古代執行訴訟~」
「【佐藤優】知を身につける ~行為から思考へ~」
「【佐藤優】プーチンの「外交ゲーム」に呑まれて」
「【佐藤優】世界イスラム革命の無差別攻撃 ~日本でテロ(3)~」
「【佐藤優】日本でもテロが起きる可能性 ~日本でテロ(2)~」
「【佐藤優】『日本でテロが起きる日』まえがきと目次 ~日本でテロ(1)~」
「【佐藤優】小泉劇場と「戦後保守」・北方領土、反知性主義を脱構築」
「【佐藤優】【中東】「スリーパー」はテロの指令を待っている」
「【佐藤優】東京オリンピックに係るインテリジェンス ~知の武装・抄~」
「【佐藤優】分析力の鍛錬、事例、実践例 ~知の教室・抄(3)~」
「【佐藤優】武器としての教養、闘い方、対話の技術 ~知の教室・抄(2)~」
「【佐藤優】知的技術、情報を拾う・使う、知をビジネスに ~知の教室・抄(1)~」
「【佐藤優】多忙なビジネスマンに明かす心得 ~情報収集術(2)~」
「【佐藤優】多忙なビジネスマンに明かす心得 ~情報収集術(1)~」
「【佐藤優】日本のインテリジェンス機能、必要な貯金額、副業の是非 ~知の教室~」
「【佐藤優】世の中でどう生き抜くかを考えるのが教養 ~知の教室~」
「【佐藤優】『知の教室 ~教養は最強の武器である~』目次」
「【佐藤優】『佐藤優の実践ゼミ』目次」
「『佐藤優の実践ゼミ 「地アタマ」を鍛える!』」
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「【佐藤優】サハリン・樺太史、酸素魚雷と潜水艦・伊400型、飼い猫の数」
「【佐藤優】第2次世界大戦、日ソ戦の悲惨 ~知を磨く読書~」
「【佐藤優】すべては国益のため--冷徹な「計算」 ~プーチン~」
「【佐藤優】安倍政権、沖縄へ警視庁機動隊投入 ~ソ連の手口と酷似~」
「【佐藤優】世の中でどう生き抜くかを考えるのが教養 ~知の教室~」
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「【佐藤優】「クルド人」がトルコに怒る理由 ~日本でも衝突~」
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「【佐藤優】日本人が苦手な類比的思考 ~昭和史(10)~」
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「【佐藤優】これから重要なのは地政学と未来学 ~昭和史(8)~」
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「【佐藤優】進むEUの政治統合、七三一部隊、政治家のお遍路」
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「【佐藤優】同志社大学神学部 私はいかに学び、考え、議論したか」「【佐藤優】プーチンのメッセージ」
「【佐藤優】ロシア人の受け止め方 ~ノーベル文学賞~」
「【佐藤優】×池上彰「新・教育論」」
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「【佐藤優】沖縄の自己決定権確立に大貢献 ~翁長国連演説~」
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「【佐藤優】「アンテナ」が壊れた官邸と外務省 ~北方領土問題~」
「【佐藤優】基地への見解違いすぎる ~沖縄と政府の集中協議~」
「【佐藤優】慌てる政府の稚拙な手法には動じない ~翁長雄志~」
「【佐藤優】安倍外交に立ちはだかる壁 ~ロシア~」
「【佐藤優】正しいのはオバマか、ネタニヤフか ~イランの核問題~」
「【佐藤優】日中を衝突させたい米国の思惑 ~安倍“暴走”内閣(10)~」
「【佐藤優】国際法を無視する安倍政権 ~安倍“暴走”内閣(9)~」
「【佐藤優】日本に安保法制改正をやらせる米国 ~安倍“暴走”内閣(8)~」
「【佐藤優】民主主義と相性のよくない安倍政権 ~安倍“暴走”内閣(7)~」
「【佐藤優】官僚の首根っこを押さえる内閣人事局 ~安倍“暴走”内閣(6)~」
「【佐藤優】円安を喜び、ルーブル安を危惧する日本人の愚劣 ~安倍“暴走”内閣(5)~」
「【佐藤優】中小企業100万社を潰す竹中平蔵 ~安倍“暴走”内閣(4)~」
「【佐藤優】自民党を操る米国の策謀 ~安倍“暴走”内閣(3)~」
「【佐藤優】自民党の全体主義的スローガン ~安倍“暴走”内閣(2)~」
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「【佐藤優】優先順序は「イスラム国」かウクライナか ~ドイツの判断~」
「【佐藤優】ヨルダン政府に仕掛けた情報戦 ~「イスラム国」~」
「【佐藤優】ウクライナによる「歴史の見直し」をロシアが警戒 ~戦後70年~」
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「【佐藤優】イスラム過激派による自爆テロをどう理解するか ~『邪宗門』~」
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「【佐藤優】戦争の時代としての21世紀」
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「【佐藤優】米国の「人種差別」は終わっていない ~白人至上主義~」
「【佐藤優】【原発】推進を図るロシア ~セルゲイ・キリエンコ~」
「【佐藤優】【沖縄】辺野古への新基地建設は絶対に不可能だ」
「【佐藤優】沖縄の人の間で急速に広がる「変化」の本質 ~民族問題~」
「【佐藤優】「イスラム国」という組織の本質 ~アブバクル・バグダディ~」
「【佐藤優】ウクライナ東部 選挙で選ばれた「謎の男」 ~アレクサンドル・ザハルチェンコ~」
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「【佐藤優】ロシアはウクライナで「勝った」のか ~セルゲイ・ラブロフ~」
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「【佐藤優】遠隔地ナショナリズム ~ウクライナから沖縄へ(2)~」
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(1)昨今の世界情勢は、プーチン大統領、習近平国家主席など「独裁者」のような強権的政治家が目立つ。米国ではドナルド・トランプ候補が人気を集めている。「独裁者」が世界の命運を握る時代が、また来るのではないかと危惧される。【保阪】
非常に重要な問題提起だ。独裁者とは一体何者なのか、そしてどういった背景で登場するのかをきちんと分析することは、今日、大きな意義がある。
(2)ヒトラーへの関心は明らかに高まっている。【片山】
ドイツでは昨年、ヒトラーの著作権が切れて、それまで版権を持っていたバイエルン州にある、現代史研究所が『我が闘争』を刊行した。現物は大辞典2冊分くらいのサイズがある。
ドイツ語版は、日本語版とは底本が別だ。本文批評のついた分厚いもので、わざと判型を大きくして、携帯できないようにしているのだろう。
1万5千部くらいで刷るのを止めているようだ。
そんな発売形態を見れば、ドイツ人はいまだにヒトラーへの危機感を持っていることがわかる。足枷を付けないとヒトラーが再び神格化されてしまうと考えているのだ。
ヒトラーは、ワイマール憲法の中の「非常事態においては、大統領が個人の自由の不可侵権等を一時的に停止できる」という部分を使って政権の基盤を固めた。この「非常事態」「例外状態」とは何か。戦争、内乱、経済恐慌、対外危機などをヒトラーは過剰に言い立てて恐怖心を煽った。その「例外状態」を解決できる唯一の人物として独裁者の存在を正当化した。民主主義の健全な運用のためには、経済の安定が不可欠だ。第二次世界大戦前のドイツや日本は、議会制民主主義が経済問題に対応できなくなったことから混乱が始まった。世界的な不況が叫ばれる今、新たなる独裁が生まれる土壌は、確かにある。【片山】
(3)21世紀の、我々の身近なところにいる独裁者は金正恩だ。【保阪】
北朝鮮は、世襲制の古くさい独裁国家だったのが、金正恩体制になって、新しい独裁国家に移行しつつある。まず大きく変化したのは、イデオロギーが、それまでの金日成主義から金日成・金正日主義に変わったことだ。
金正日体制までは、金日成の遺訓によって政治を動かしていた。新しい政策を行うたびに、どこからか金日成の原稿が“発見”される。それが『金日成全集』として刊行され、正当性を担保していた。ところが、金正恩体制になり、それがストップした。
もはや金日成の著作物だけに頼ることはなくなったのだと。【片山】
独裁者が自分の権力を見せつけるには、それまであったイデオロギーに「俺はこう思う」と新たなる解釈を与えることが手っ取り早い。金正恩はそれを実行に移しているのだろう。
もう一つ、北朝鮮の首領は、血統だけでなく正しい思想を持っていることが必要だと言い出した。金日成以来の「白頭の血筋」だけでは不十分であるというのだ。これは、「金正日の長男である金正男は、北朝鮮の正統な後継者ではない」ことをアピールするために行われているのだろう。
(4)北朝鮮は、以前に比べて近隣諸国への挑発の度合いが増してきている。庇護者であった中国すら、もてあましているように見える。【保阪】
北朝鮮は、以前よりも暴発の危機は増している。案外重要なのは、金正恩の健康状態だ。彼は佐藤より数十キロは肥っているだろう(笑)。心臓病と痛風が心配だ。肉体の痛みは、時に正常な判断を妨げるから。偶発的な衝突がおこらないとも限らないのだ。
(フィデル・カストロ前議長は)表舞台にこそ出ないが、裏では国家を指導している可能性が高い。2月にカトリックのフランシスコ教皇とロシア正教のキリル1世が、1054年の東西分裂以来、初めて会談を行った。その場所が、無神論国家のキューバだった。ラウル・カストロ現議長の立ち会いの下で行われているが、兄のフィデルの許可なしにできることではない。また、オバマ米国大統領をキューバ訪問“させている”ところを見ても、フィデル・カストロがまだ実験を握っている可能性は高いのではないか。
(5)ヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最後の12日間』では、最晩年のヒトラーはパーキンソン病のような状態になった姿で描かれている。妄想に取り憑かれ、正常な判断ができなくなっていた。
日本でも指導者の健康が国運を左右したことがある。近衛文麿の秘書だった細川護貞によれば、昭和16年10月16日に近衛が内閣を投げ出した前後、近衛は痔だった。東條英機と激論を交わしながら、腰を浮かせていた。その結果、強硬派の東條を抑え込めないまま、近衛が逃げ出した。そして東條内閣が誕生し、ついには太平洋戦争に突入していくのだ。【保阪】
(6)かつて元島民の北方領土へのビザなし渡航交渉を担当したとき、小渕恵三首相が直接エリツィン大統領に話しても反応しなかった。二度目の交渉で小渕首相が「元島民は80歳、90歳になって先が短いんだ」と訴えたら、エリツィン大統領が目に涙をためて、「やろう」と言った。後でロシア側から、「うちの大統領は健康状態が悪く弱気になった。そんな時につけこむな」とずいぶん嫌味を言われた。
独裁者ではないが、ヤルタ会談でのルーズベルト大統領は体調が悪く根気がなかったというし、日本陸軍の石原完爾も肝腎なときに中耳炎になった。満州事変の際も石原は体調を崩している。【片山】
(7)ロシア型の独裁について知るには、ロシア人の選挙観を知るのが手っ取り早い。彼らは自分たちの代表を国政に送り出している認識が、きわめて稀薄だ。まず「悪い候補」と「うんと悪い候補」と「とんでもない候補」の三種類が空から降ってくる。そこから、「うんと悪い」と「とんでもない」のを排除するのが選挙の役割だと考えているのだ。
ロシアのインテリたちに言わせると、古代ギリシャで、国家に害をなすと思った人間の名を投票し、一定数を超えると国外追放にした陶片追放(オストラキスモス)と同じだという。だから、ロシアの民主主義は間違っていない、と。
ロシアの大統領府には、軍や警察とは違う暴力装置も存在している。エリツィン大統領時代にできたスポーツ観光国家委員会だ。この役所が、タバコの無税輸入権や天然ガス、石油、漁業権などの各種ライセンスを持ち、強大な権限を振るっている。ここにいる腕っぷしの強い連中が、警察が出ていくことに馴染まない案件が起こると出動して、迅速に処理する。プーチン大統領は当初、自分の柔道の師匠をこの委員会のトップに据えて、自分の権力基盤として利用していた。
なぜここまで、ロシアで独裁体制が支持されるかというと、第二次世界大戦のトラウマに原因がある。独ソ不可侵条約を破ってヒトラーがソ連に侵攻してきた結果、2千万人が犠牲になった。その経験があるので、国民はバターよりも大砲を望んだ。逆にいうと、独裁制であった方が、軍事力が強く平和が維持できると考えられたから共産党独裁は、支持され続けたのだ。現在もそれは同じだろう。プーチン大統領が高い支持を得ているのは、国民が、強い指導者のほうが平和が続くと考えているからにほかならない。
□佐藤優「独裁者が世界を徘徊している」(「文藝春秋」2016年6月号)/鼎談者;保阪正康(昭和史研究家)、片山杜秀(政治学者/慶應義塾大学教授)
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【参考】
「藤優】大宅壮一ノンフィクション賞選評 ~『原爆供養塔』ほか~」
「【佐藤優】急進展する日露関係 ~安倍首相が取り組むべき宿題~」
「【佐藤優】英才教育という神話」
「【佐藤優】資本主義の内在的論理」
「【佐藤優】米国の戦略策定、『資本論』をめぐる知的格闘、格差・貧困問題の起源」
「【佐藤優】偉くない「私」が一番自由、備中高梁の新島襄、コーヒーの科学」
「【佐藤優】日露首脳会談をめぐる外務省内の暗闘 ~北方領土返還の可能性~」
「【佐藤優】フードバンク活動、内外情勢分析、正真正銘の「地方創生」」
「佐藤優】日本の政治エリートと「天佑」、宇宙の生命体、10代が読むべき本」
「【佐藤優】殺しあいを生む「格差」と「貧困」 ~「殺しあう」世界の読み方~」
「【佐藤優】組織成功の鍵となる人事、ユダヤ人の歴史、リーダーシップ論」
「【佐藤優】第三次世界大戦の可能性、現代東欧文学、世界連鎖暴落」
「【佐藤優】司馬遼太郎の語られざる本音、深層対話、米政府による暗殺」
「【佐藤優】一時中止は沖縄側の勝利だが ~辺野古新基地建設~」
「【佐藤優】著名神学者のもう一つの顔 ~パウル・ティリヒ~」
「【佐藤優】総理が靖国参拝する理由、NPO活動の哲学やノウハウ、テロ対策の必読書」
「【佐藤優】情報のプロならどうするか ~「私用メール」問題~」
「【佐藤優】今後、起こりうる財政破綻 ~対応策を学ぶ~」
「【佐藤優】テロリズムに対する統一戦線構築 ~カトリックとロシア正教~」
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「【佐藤優】社会の価値観、退行する社会」
「【佐藤優】夫婦の微妙な関係、安倍政権の内在的論理、警察捜査の正体」
「【佐藤優】ラブロフ露外相の真意 ~日本政府が怒った「強硬発言」~」
「【佐藤優】プーチンが彼を「殺した」のか? ~英報告書の波紋~」
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「【佐藤優】中曽根康弘、21世紀の資本主義分析、北樺太の石油開発」
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「【佐藤優】【ピケティ】『21世紀の資本』が避けている論点」
「【ピケティ】本では手薄な問題(旧植民地ほか) ~佐藤優によるインタビュー~」
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「【佐藤優】の実践ゼミ(抄)」
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「【佐藤優】表面的情報に惑わされるな ~英諜報機関トップによる警告~」
「【佐藤優】世界各地のテロリストが「大規模テロ」に走る理由」
「【佐藤優】ロシアが中立国へ送った「シグナル」 ~ペーテル・フルトクビスト~」
「【佐藤優】戦争の時代としての21世紀」
「【佐藤優】「拷問」を行わない諜報機関はない ~CIA尋問官のリンチ~」
「【佐藤優】米国の「人種差別」は終わっていない ~白人至上主義~」
「【佐藤優】【原発】推進を図るロシア ~セルゲイ・キリエンコ~」
「【佐藤優】【沖縄】辺野古への新基地建設は絶対に不可能だ」
「【佐藤優】沖縄の人の間で急速に広がる「変化」の本質 ~民族問題~」
「【佐藤優】「イスラム国」という組織の本質 ~アブバクル・バグダディ~」
「【佐藤優】ウクライナ東部 選挙で選ばれた「謎の男」 ~アレクサンドル・ザハルチェンコ~」
「【佐藤優】ロシアの隣国フィンランドの「処世術」 ~冷戦時代も今も~」
「【佐藤優】さりげなくテレビに出た「対日工作担当」 ~アナートリー・コーシキン~」
「【佐藤優】外交オンチの福田元首相 ~中国政府が示した「条件」~」
「【佐藤優】この機会に「国名表記」を変えるべき理由 ~ギオルギ・マルグベラシビリ~」
「【佐藤優】安倍政権の孤立主義的外交 ~米国は中東の泥沼へ再び~」
「【佐藤優】安倍政権の消極的外交 ~プーチンの勝利~」
「【佐藤優】ロシアはウクライナで「勝った」のか ~セルゲイ・ラブロフ~」
「【佐藤優】貪欲な資本主義へ抵抗の芽 ~揺らぐ国民国家~」
「【佐藤優】スコットランド「独立運動」は終わらず」
「「森訪露」で浮かび上がった路線対立」
「【佐藤優】イスラエルとパレスチナ、戦いの「発端」 ~サレフ・アル=アールーリ~」
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「【佐藤優】ロシアの「報復」 ~日本が対象から外された理由~」
「【佐藤優】ウクライナ政権の「ネオナチ」と「任侠団体」 ~ビタリー・クリチコ~」
「【佐藤優】東西冷戦を終わらせた現実主義者の死 ~シェワルナゼ~」
「【佐藤優】日本は「戦争ができる」国になったのか ~閣議決定の限界~」
「【ウクライナ】内戦に米国の傭兵が関与 ~CIA~」
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「【佐藤優】新・帝国時代の到来を端的に示すG7コミュニケ」
「【佐藤優】集団的自衛権、憲法改正 ~ウクライナから沖縄へ(4)~ 」
「【佐藤優】スコットランド、ベルギー、沖縄 ~ウクライナから沖縄へ(3)~ 」
「【佐藤優】遠隔地ナショナリズム ~ウクライナから沖縄へ(2)~」
「【佐藤優】ユニエイト教会 ~ウクライナから沖縄へ(1)~ 」