語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【佐藤優】ナチスドイツ・ロシア・中国・北朝鮮 ~世界の独裁者~

2016年05月23日 | ●佐藤優
 保阪正康、佐藤優、片山杜秀の鼎談「独裁者が世界を徘徊している」の前半部を主として佐藤優の発言を以下、抽出・要約(関連する発言には行末に【保阪】【片山】と注記)。

 (1)昨今の世界情勢は、プーチン大統領、習近平国家主席など「独裁者」のような強権的政治家が目立つ。米国ではドナルド・トランプ候補が人気を集めている。「独裁者」が世界の命運を握る時代が、また来るのではないかと危惧される。【保阪】
 非常に重要な問題提起だ。独裁者とは一体何者なのか、そしてどういった背景で登場するのかをきちんと分析することは、今日、大きな意義がある。

 (2)ヒトラーへの関心は明らかに高まっている。【片山】
 ドイツでは昨年、ヒトラーの著作権が切れて、それまで版権を持っていたバイエルン州にある、現代史研究所が『我が闘争』を刊行した。現物は大辞典2冊分くらいのサイズがある。
 ドイツ語版は、日本語版とは底本が別だ。本文批評のついた分厚いもので、わざと判型を大きくして、携帯できないようにしているのだろう。
 1万5千部くらいで刷るのを止めているようだ。
 そんな発売形態を見れば、ドイツ人はいまだにヒトラーへの危機感を持っていることがわかる。足枷を付けないとヒトラーが再び神格化されてしまうと考えているのだ。
 ヒトラーは、ワイマール憲法の中の「非常事態においては、大統領が個人の自由の不可侵権等を一時的に停止できる」という部分を使って政権の基盤を固めた。この「非常事態」「例外状態」とは何か。戦争、内乱、経済恐慌、対外危機などをヒトラーは過剰に言い立てて恐怖心を煽った。その「例外状態」を解決できる唯一の人物として独裁者の存在を正当化した。民主主義の健全な運用のためには、経済の安定が不可欠だ。第二次世界大戦前のドイツや日本は、議会制民主主義が経済問題に対応できなくなったことから混乱が始まった。世界的な不況が叫ばれる今、新たなる独裁が生まれる土壌は、確かにある。【片山】

 (3)21世紀の、我々の身近なところにいる独裁者は金正恩だ。【保阪】
 北朝鮮は、世襲制の古くさい独裁国家だったのが、金正恩体制になって、新しい独裁国家に移行しつつある。まず大きく変化したのは、イデオロギーが、それまでの金日成主義から金日成・金正日主義に変わったことだ。
 金正日体制までは、金日成の遺訓によって政治を動かしていた。新しい政策を行うたびに、どこからか金日成の原稿が“発見”される。それが『金日成全集』として刊行され、正当性を担保していた。ところが、金正恩体制になり、それがストップした。
 もはや金日成の著作物だけに頼ることはなくなったのだと。【片山】
 独裁者が自分の権力を見せつけるには、それまであったイデオロギーに「俺はこう思う」と新たなる解釈を与えることが手っ取り早い。金正恩はそれを実行に移しているのだろう。
 もう一つ、北朝鮮の首領は、血統だけでなく正しい思想を持っていることが必要だと言い出した。金日成以来の「白頭の血筋」だけでは不十分であるというのだ。これは、「金正日の長男である金正男は、北朝鮮の正統な後継者ではない」ことをアピールするために行われているのだろう。

 (4)北朝鮮は、以前に比べて近隣諸国への挑発の度合いが増してきている。庇護者であった中国すら、もてあましているように見える。【保阪】
 北朝鮮は、以前よりも暴発の危機は増している。案外重要なのは、金正恩の健康状態だ。彼は佐藤より数十キロは肥っているだろう(笑)。心臓病と痛風が心配だ。肉体の痛みは、時に正常な判断を妨げるから。偶発的な衝突がおこらないとも限らないのだ。
 (フィデル・カストロ前議長は)表舞台にこそ出ないが、裏では国家を指導している可能性が高い。2月にカトリックのフランシスコ教皇とロシア正教のキリル1世が、1054年の東西分裂以来、初めて会談を行った。その場所が、無神論国家のキューバだった。ラウル・カストロ現議長の立ち会いの下で行われているが、兄のフィデルの許可なしにできることではない。また、オバマ米国大統領をキューバ訪問“させている”ところを見ても、フィデル・カストロがまだ実験を握っている可能性は高いのではないか。

 (5)ヨアヒム・フェスト『ヒトラー 最後の12日間』では、最晩年のヒトラーはパーキンソン病のような状態になった姿で描かれている。妄想に取り憑かれ、正常な判断ができなくなっていた。
 日本でも指導者の健康が国運を左右したことがある。近衛文麿の秘書だった細川護貞によれば、昭和16年10月16日に近衛が内閣を投げ出した前後、近衛は痔だった。東條英機と激論を交わしながら、腰を浮かせていた。その結果、強硬派の東條を抑え込めないまま、近衛が逃げ出した。そして東條内閣が誕生し、ついには太平洋戦争に突入していくのだ。【保阪】

 (6)かつて元島民の北方領土へのビザなし渡航交渉を担当したとき、小渕恵三首相が直接エリツィン大統領に話しても反応しなかった。二度目の交渉で小渕首相が「元島民は80歳、90歳になって先が短いんだ」と訴えたら、エリツィン大統領が目に涙をためて、「やろう」と言った。後でロシア側から、「うちの大統領は健康状態が悪く弱気になった。そんな時につけこむな」とずいぶん嫌味を言われた。
 独裁者ではないが、ヤルタ会談でのルーズベルト大統領は体調が悪く根気がなかったというし、日本陸軍の石原完爾も肝腎なときに中耳炎になった。満州事変の際も石原は体調を崩している。【片山】

 (7)ロシア型の独裁について知るには、ロシア人の選挙観を知るのが手っ取り早い。彼らは自分たちの代表を国政に送り出している認識が、きわめて稀薄だ。まず「悪い候補」と「うんと悪い候補」と「とんでもない候補」の三種類が空から降ってくる。そこから、「うんと悪い」と「とんでもない」のを排除するのが選挙の役割だと考えているのだ。
 ロシアのインテリたちに言わせると、古代ギリシャで、国家に害をなすと思った人間の名を投票し、一定数を超えると国外追放にした陶片追放(オストラキスモス)と同じだという。だから、ロシアの民主主義は間違っていない、と。
 ロシアの大統領府には、軍や警察とは違う暴力装置も存在している。エリツィン大統領時代にできたスポーツ観光国家委員会だ。この役所が、タバコの無税輸入権や天然ガス、石油、漁業権などの各種ライセンスを持ち、強大な権限を振るっている。ここにいる腕っぷしの強い連中が、警察が出ていくことに馴染まない案件が起こると出動して、迅速に処理する。プーチン大統領は当初、自分の柔道の師匠をこの委員会のトップに据えて、自分の権力基盤として利用していた。
 なぜここまで、ロシアで独裁体制が支持されるかというと、第二次世界大戦のトラウマに原因がある。独ソ不可侵条約を破ってヒトラーがソ連に侵攻してきた結果、2千万人が犠牲になった。その経験があるので、国民はバターよりも大砲を望んだ。逆にいうと、独裁制であった方が、軍事力が強く平和が維持できると考えられたから共産党独裁は、支持され続けたのだ。現在もそれは同じだろう。プーチン大統領が高い支持を得ているのは、国民が、強い指導者のほうが平和が続くと考えているからにほかならない。

□佐藤優「独裁者が世界を徘徊している」(「文藝春秋」2016年6月号)/鼎談者;保阪正康(昭和史研究家)、片山杜秀(政治学者/慶應義塾大学教授)
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