(1)1993年4月、ハルバースタム【注1】がNHK放送文化研究所で講演し、テレビ報道について警告を発した。
<テレビが伝える真実は、映像であって言葉ではない。テレビが伝える内容は単純で、複雑なことは伝えない。苦痛や飢餓を映し出して世界中に伝えることはできるが、複雑な政治問題や思想、さまざまな行為の重要性について伝えることはできない>
彼は最後に、テレビに携わる人へ向けてこう投げかけた。
<テレビによってより深く国際社会を理解できるようになるのでしょうか。複雑な出来事の説明はされているでしょうか。テレビによって私たちは世界をより深く理解するというよりも、恐怖心をあおられるのでしょうか>
【注1】デイビッド・ハルバースタム。ベトナム戦争報道で著名な米国のジャーナリスト。
(2)ハルバースタムの警告と同じ今から23年前の4月、「クローズアップ現代」の放送が開始された。国谷裕子はキャスターとして、「想像力」、「常に全体から俯瞰する力」、「ものごとの背後に隠れている事実を洞察する力」、そういった力を持つことの大切さを感じながら日々仕事をしていた。
(a)テレビは映像の持つ力をフルに生かし、起きていること即時に伝えることができるという点で他のメディアを圧倒的に凌駕してきた(テレビの特性)。
(b)しかし、その特性に頼れば頼るほど、人びとのコミュニケーション力の重要な要素である想像力を奪ってしまう、という負の特性も持っている(テレビの負の特性)。
(c)だから、こそ、「クローズアップ現代」はテレビの特性とは裏腹の「言葉の持つ力」を大事にしたいと国谷は考えてきた(テレビの負の特性の補償)。
(3)映像の存在感が高まれば高まるほど、その映像がいかなる意味を持つのか、その映像の背景に何があるのかを語る「言葉の持つ力」はますますその役割が重要になってくる。
ハルバースタムがテレビには不可能だとした複雑な事象にも、国谷は挑戦した。
是枝裕和【注2】はテレビについてこう書いている。
<わかりにくいことを、わかりやすくするのではなく、わかりやすいと思われていることの背景に潜むわかりにくさを描くことの先に知は芽生える>
これこそ、「クローズアップ現代」が実践してこようとしてきたことだ。物事を「わかりやすく」伝えるだけでなく、一見「わかりやすい」ことの裏側にある難しさ、課題の大きさを明らかにして視聴者に提示することこそ番組の役割だ。
そうした「言葉へのこだわり」の表れの一つがインタビューだった。
「クローズアップ現代」は毎回スタジオにゲストを招いていたし、人物そのものをテーマとしてインタビューを軸に番組が構成されることもあり、人に話を聞くことがキャスターの中心的な役割だった。
インタビューを軸にした番組を繰り返すうちに、日本の社会に特有の、インタビューの難しさ、インタビューに対する「風圧」を国谷はたびたび経験するに至った。
【注2】映画監督、テレビドキュメンタリー作家。
(4)人気の高い人物に対して切り込んだインタビューを行うと視聴者から強い反発が寄せられる・・・・これが、国谷が最初に出会った「風圧」だ。
1997年7月、同年4月にペルーの日本大使館人質事件を解決、多くの日本人を救出したフジモリ大統領が来日し、日本中に歓迎ムードが広がるなか、大統領をスタジオに招き、インタビューを行った。
救出にいたる大統領の決断を中心に進んだが、インタビューの間に挿入されるVTRリポートの3本目は、ペルーが抱える貧困の拡大などの課題、そして大統領の強権的手法への批判の高まりについてだった。リポートを受けたやり取りは当然このことがテーマになり、残り時間が2分ほどになったとき、国谷は大統領に質問した。
「憲法改正による大統領権限の強化や任期延長に疑問を呈した最高裁判事を解任するなど、大統領の手法が独裁的になってきたという声が出ているが」
大統領は、そもそも独裁者は選挙で選ばれない存在であり、自分は選挙で選ばれていると話を始めたので、国谷は割って入り、
「国民がそういうイメージを持っているとの話ですが」
などとやり取りするうちに大統領の話の途中で番組の終了時刻がきてしまった。
この放送に対する視聴者からの抗議や週刊誌などでの批判はとても厳しいものだった。終わり方が唐突で大統領に対し失礼、との指摘は当然だったが、批判や抗議の多くは、日本人を救出した恩人に対してなんと失礼な質問をしたのか、という趣旨のものだった。
当時、人質を救出したフジモリ大統領に感謝したい、日本の恩人だ、という空気が広がっていた。そういう感情の一体感、高揚感のようなものがあるなか、大統領が独裁的になっているのでは、との質問は、その高揚感に水を差すものだった。
しかし、フジモリ大統領の人物を浮き彫りにするためには、ペルー国民の批判について直接本人に質すことは必要なことだった。
(5)インタビューで相手にとってネガティブな側面から迫っていくと、大なり小なり、批判や反発が寄せられることがその後も起きた。波風を立てる、水を差す、そういったことを嫌う、あるいは避ける日本の慣習とでもいったものが、インタビューの受け取られ方にも表れた。
感情の一体感という「風圧」がフジモリ大統領のときと同じくらいに強かったインタビューは、2001年の「田中知事【注3】・県政改革の波紋」という放送だ。
田中知事のあらゆる前例を壊して改革を進めるという姿勢は、当時、県民から圧倒的な支持を得て、全国的にも支持する声が高くなっていた。一方で、 県議会を中心に保守勢力の抵抗もあり、田中知事の動きはメディアで連日取り上げられていた。番組では、VTRリポートで知事の推し進める改革とその生み出している混乱ぶりを描いたあと、長野にいる田中知事に改革の真意についてインタビューした。
改革の狙いや手法について納得のいく説明をもとめて国谷はかなり切り込む形で質問した。田中知事にとっては意外だったのか、途中からいつもの笑顔が消えた。
「やり方がトップダウンで、決断のプロセスが見えにくいという声が出ていますが」
「しかし、議会側にはこれまでの合意形成の方法が知事に無視されたとの気持ちがあります。そういった調整が知事はお嫌いなのですか」
「今の民主主義はリハビリが必要と話していますが、どこが具体的におかしいですか」
これは質問の一部だが、聞くべきことは聞いたとの思いが国谷にはあり、田中知事もこれまでの民主主義のあり方を変えるという自らの考え方を質問に即して明快に答えていたので、充実したインタビューができたのでは、と国谷はほっとしていた。
しかし、その頃、番組への問い合わせや苦情を受け付けるNHKの窓口には、あの放送は何だという抗議が殺到していた。田中知事にあんな質問をするとは失礼だ、田中知事を攻撃するとは国谷は保守派の県議会の応援をするのか、など多くの電話が全国からかかってきていた。
番組では、インタビューの後、政治学者とのやり取りで、国谷は改革を進める上でのスピードの必要性や知事に対する無党派層の期待の高さに触れていたが、そのことを含めた番組全体ではなく、批判は国谷の知事へのインタビューに集中していた。
世の中の多くが支持している人に対して、寄り添う形ではなく批判の声を直接投げかけたり、重要な点を繰り返し問うと、こういった反応がしばしば起きる。
しかし、(田中知事の改革を支持したいといった)「感情の共同体」があるなかでインタビューする場合、そういう一体感があるからこそ、あえてネガティブな方向からの質問をすべきだ。その質問にどう答えるのか、その答えから、その人がやろうとしていることを浮き彫りにできる。
【注3】田中康夫。作家、長野県知事(当時)。
□国谷裕子(キャスター)「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」の23年」(「世界」2016年5月号)
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<テレビが伝える真実は、映像であって言葉ではない。テレビが伝える内容は単純で、複雑なことは伝えない。苦痛や飢餓を映し出して世界中に伝えることはできるが、複雑な政治問題や思想、さまざまな行為の重要性について伝えることはできない>
彼は最後に、テレビに携わる人へ向けてこう投げかけた。
<テレビによってより深く国際社会を理解できるようになるのでしょうか。複雑な出来事の説明はされているでしょうか。テレビによって私たちは世界をより深く理解するというよりも、恐怖心をあおられるのでしょうか>
【注1】デイビッド・ハルバースタム。ベトナム戦争報道で著名な米国のジャーナリスト。
(2)ハルバースタムの警告と同じ今から23年前の4月、「クローズアップ現代」の放送が開始された。国谷裕子はキャスターとして、「想像力」、「常に全体から俯瞰する力」、「ものごとの背後に隠れている事実を洞察する力」、そういった力を持つことの大切さを感じながら日々仕事をしていた。
(a)テレビは映像の持つ力をフルに生かし、起きていること即時に伝えることができるという点で他のメディアを圧倒的に凌駕してきた(テレビの特性)。
(b)しかし、その特性に頼れば頼るほど、人びとのコミュニケーション力の重要な要素である想像力を奪ってしまう、という負の特性も持っている(テレビの負の特性)。
(c)だから、こそ、「クローズアップ現代」はテレビの特性とは裏腹の「言葉の持つ力」を大事にしたいと国谷は考えてきた(テレビの負の特性の補償)。
(3)映像の存在感が高まれば高まるほど、その映像がいかなる意味を持つのか、その映像の背景に何があるのかを語る「言葉の持つ力」はますますその役割が重要になってくる。
ハルバースタムがテレビには不可能だとした複雑な事象にも、国谷は挑戦した。
是枝裕和【注2】はテレビについてこう書いている。
<わかりにくいことを、わかりやすくするのではなく、わかりやすいと思われていることの背景に潜むわかりにくさを描くことの先に知は芽生える>
これこそ、「クローズアップ現代」が実践してこようとしてきたことだ。物事を「わかりやすく」伝えるだけでなく、一見「わかりやすい」ことの裏側にある難しさ、課題の大きさを明らかにして視聴者に提示することこそ番組の役割だ。
そうした「言葉へのこだわり」の表れの一つがインタビューだった。
「クローズアップ現代」は毎回スタジオにゲストを招いていたし、人物そのものをテーマとしてインタビューを軸に番組が構成されることもあり、人に話を聞くことがキャスターの中心的な役割だった。
インタビューを軸にした番組を繰り返すうちに、日本の社会に特有の、インタビューの難しさ、インタビューに対する「風圧」を国谷はたびたび経験するに至った。
【注2】映画監督、テレビドキュメンタリー作家。
(4)人気の高い人物に対して切り込んだインタビューを行うと視聴者から強い反発が寄せられる・・・・これが、国谷が最初に出会った「風圧」だ。
1997年7月、同年4月にペルーの日本大使館人質事件を解決、多くの日本人を救出したフジモリ大統領が来日し、日本中に歓迎ムードが広がるなか、大統領をスタジオに招き、インタビューを行った。
救出にいたる大統領の決断を中心に進んだが、インタビューの間に挿入されるVTRリポートの3本目は、ペルーが抱える貧困の拡大などの課題、そして大統領の強権的手法への批判の高まりについてだった。リポートを受けたやり取りは当然このことがテーマになり、残り時間が2分ほどになったとき、国谷は大統領に質問した。
「憲法改正による大統領権限の強化や任期延長に疑問を呈した最高裁判事を解任するなど、大統領の手法が独裁的になってきたという声が出ているが」
大統領は、そもそも独裁者は選挙で選ばれない存在であり、自分は選挙で選ばれていると話を始めたので、国谷は割って入り、
「国民がそういうイメージを持っているとの話ですが」
などとやり取りするうちに大統領の話の途中で番組の終了時刻がきてしまった。
この放送に対する視聴者からの抗議や週刊誌などでの批判はとても厳しいものだった。終わり方が唐突で大統領に対し失礼、との指摘は当然だったが、批判や抗議の多くは、日本人を救出した恩人に対してなんと失礼な質問をしたのか、という趣旨のものだった。
当時、人質を救出したフジモリ大統領に感謝したい、日本の恩人だ、という空気が広がっていた。そういう感情の一体感、高揚感のようなものがあるなか、大統領が独裁的になっているのでは、との質問は、その高揚感に水を差すものだった。
しかし、フジモリ大統領の人物を浮き彫りにするためには、ペルー国民の批判について直接本人に質すことは必要なことだった。
(5)インタビューで相手にとってネガティブな側面から迫っていくと、大なり小なり、批判や反発が寄せられることがその後も起きた。波風を立てる、水を差す、そういったことを嫌う、あるいは避ける日本の慣習とでもいったものが、インタビューの受け取られ方にも表れた。
感情の一体感という「風圧」がフジモリ大統領のときと同じくらいに強かったインタビューは、2001年の「田中知事【注3】・県政改革の波紋」という放送だ。
田中知事のあらゆる前例を壊して改革を進めるという姿勢は、当時、県民から圧倒的な支持を得て、全国的にも支持する声が高くなっていた。一方で、 県議会を中心に保守勢力の抵抗もあり、田中知事の動きはメディアで連日取り上げられていた。番組では、VTRリポートで知事の推し進める改革とその生み出している混乱ぶりを描いたあと、長野にいる田中知事に改革の真意についてインタビューした。
改革の狙いや手法について納得のいく説明をもとめて国谷はかなり切り込む形で質問した。田中知事にとっては意外だったのか、途中からいつもの笑顔が消えた。
「やり方がトップダウンで、決断のプロセスが見えにくいという声が出ていますが」
「しかし、議会側にはこれまでの合意形成の方法が知事に無視されたとの気持ちがあります。そういった調整が知事はお嫌いなのですか」
「今の民主主義はリハビリが必要と話していますが、どこが具体的におかしいですか」
これは質問の一部だが、聞くべきことは聞いたとの思いが国谷にはあり、田中知事もこれまでの民主主義のあり方を変えるという自らの考え方を質問に即して明快に答えていたので、充実したインタビューができたのでは、と国谷はほっとしていた。
しかし、その頃、番組への問い合わせや苦情を受け付けるNHKの窓口には、あの放送は何だという抗議が殺到していた。田中知事にあんな質問をするとは失礼だ、田中知事を攻撃するとは国谷は保守派の県議会の応援をするのか、など多くの電話が全国からかかってきていた。
番組では、インタビューの後、政治学者とのやり取りで、国谷は改革を進める上でのスピードの必要性や知事に対する無党派層の期待の高さに触れていたが、そのことを含めた番組全体ではなく、批判は国谷の知事へのインタビューに集中していた。
世の中の多くが支持している人に対して、寄り添う形ではなく批判の声を直接投げかけたり、重要な点を繰り返し問うと、こういった反応がしばしば起きる。
しかし、(田中知事の改革を支持したいといった)「感情の共同体」があるなかでインタビューする場合、そういう一体感があるからこそ、あえてネガティブな方向からの質問をすべきだ。その質問にどう答えるのか、その答えから、その人がやろうとしていることを浮き彫りにできる。
【注3】田中康夫。作家、長野県知事(当時)。
□国谷裕子(キャスター)「インタビューという仕事 「クローズアップ現代」の23年」(「世界」2016年5月号)
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