(承前)
(6)「日本」を指弾したブロガー。みんな驚いてその言葉に反応した。その状態を新聞、テレビが報じて量的拡大が加速した。
次に、関心は最初に指さした書き手に向かった。それを受けて、国会の場で、ブログの言葉が現政権に投げかけられた。
逃げる首相とヤジる議員たちに国民の目が注がれた。
(a)東京新聞「こちら特報部」・・・・(2)-(c)フジテレビ(2月22日)、(e)テレ朝(2月26日)に続いて、3月2日、本人に取材した。
(b)朝日新聞デジタル・・・・3月4日、「「保育園落ちた日本死ね!!!」匿名ブロガーに記者接触」という記事がアップされた。
次々に同様のプロフィールが上書きされ、匿名女性の実在についてのダブルチェック、トリプルチェックが積み重ねられた。後追いは決して恥ずかしいことではなく、メディア間の自然な「共闘」が政権を追い詰める力となった。
(7)かつてはスクープにはスクープで抜き返す、それがジャーナリストの勲章だった。
しかし、ネット時代にはその感覚が変質した。皮肉なことに、政権によるメディア分断はあまり意味をなさなくなった。「電子民主主義」が誕生しつつあるのかもしれない。国家が悪政をなせば、主権者たる路上の市民がネットワークでつながり、ノーを突きつける。立憲・民主主義が意外なところから根づきはじめている。
ちなみに、議場でヤジったアナクロ・マッチョ議員たちの多くは、国連の女性差別撤廃委員会からの勧告にも同様の反応を続けている。いまだに「慰安婦の強制連行を証明する資料はない」とズレた反論を繰り返し、人権感覚のなさをさらしている。
目の前の「日本死ね!!!」のママたちの合唱に、彼らはカラ威張りしながら怯えているのだ。
(8)3月4日のテレ朝「羽島慎一モーニングショー」が、国会でのヤジに対するママたちの批判の声を伝えた。
いつのまにか投稿ネームは「保育園落ちたの私だ」に統一されていた。
<やっと見つけた一時保育は時給より高い保育料。何の罰ゲーム?>
<安倍さんの「匿名だから信憑性が低い」って聞いてがっかり>
それを受けて、玉川徹コメンテーターが、
<匿名だってヤジった議員は、まさか自分は匿名で済まないよね>
とカメラ目腺で挑発を行った。テレビ的な場面だ。
(9)そして、3月5日、ついに国会のまわりに「保育園落ちたの私だ」と書いたプラカードを持ったママたちが姿を現した。なかには、「保育園落ちたのオレだ」と書いた紙を首から下げるバギーの乳幼児もいた。
この1年、政治の貧困ゆえに国会正門が無名の人びとの言語空間になっていたのだ。ここに行けば、だれかしら語り合える相手がいる。
(10)ここに至って、ようやくNHKが重い腰を上げた。なんと「つぶやきビッグデータ」から20日が経過していた。
満を持しての報道か・・・・否、
<自民、公明両党の幹部は、待機児童の解消に向けて引き続き対策を進めていく考えを強調した>
という与党広報をやってのけた。このそっけなさは、意図的ネグレクトと疑われても仕方ない。NHKには、待機児童をかかえる子育て世代はいないらしい。
(11)3月10日、国会中継のカメラの向こうでヤジっていた平沢勝栄・議員(自民党)が、「羽島慎一モーニングショー」に生出演した。
平沢議員は、山尾議員(民主党)が匿名ブログの資料の配付やテレビ向けパネルの提示を求めたが、委員会の事前理事会で不許可にした事情を述べた。「日本死ね!!!」の表現は「いじめ」を助長するから反対した・・・・とピンボケの抗弁をした。結果、内容が問題だったという本音を隠すことができなかった。
キャスターやゲストが、「保育園が足りない」との主張に反発したのではないかなどと指摘すると、平沢議員は「これ本当に女性の方が書いた文章ですかね」と口を滑らした。
すると、高木美保・コメンテーターが即座に「それ関係ないでしょ。女性とか男性関係ないですよ」と噛みついた。自民党議員のマッチョ精神が馬脚を現した瞬間だった。
(12)「羽島慎一モーニングショー」は、3月18日に、「子どもの貧困」をテーマに、「所得の再分配」がいかに重要かを伝えた。学費、給食費、修学旅行費、医療費の無償化を日本はすべて先送りしてきたと批判した。待機児童問題が子どもの貧困の出発点にあることを指摘した。
まさに同じ日、安倍首相は「国際金融経済分析会合」にジョセフ・スティグリッツ・コロンビア教授(ノーベル経済賞受賞)を招き、消費増税に否定的な意見を聴取した。もともとスティグリッツ教授は消費増税には反対で、相続税、贈与税などを増やして所得の再分配を行い、格差是正を主張する立場だ。はたからは選挙目当ての「いいとこどり」にしか見えなかった。
安倍首相としては、賃上げをして、消費税を払ってもらい、それを財源に社会保障にまわすつもりなのだろうが、賃上げもままならず、消費増税も先が見えない状況で、結局は財源はないということだ。
したがって、待機児童の抜本的対策はたてられない。
対策費を3,000億円と仮定すると、
去年ならオスプレイ購入費
今年なら普天間・辺野古関連費用(思いやり予算も含む)
で賄えるのだが、そうは口が裂けても言わない。問題は、こういう愚直な取材をするメディアが見当たらないことだ。
(13)同じ3月18日、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターが23年続いた番組の締めくくりを行った。「未来への風から“痛み”を越える若者たち」と題して、彼らの社会への関心の広がりに期待を寄せた。そして、学生団体SEALDsが「戦争するな! みんなの暮らしに税金使え!」と声をあげる映像を流した。「防衛費を社会保障費に」というメッセージか。さらに、国谷キャスターは、
この社会が「同調圧力」に弱い
ということに二度ふれた。これは、彼女がNHKで嫌というほど味わってきた四文字なのだろう。
安倍政治の属性は、
「薄情」
としか言いようがない。
それは「愚直」の対極にある。メディア的には、愚直な現場主義だけが薄情な政治にストップをかけられる。これまではネットのなかの情報に対する不信が語られることが多かったが、これほど現実が崩壊の兆しを見せているときにジャーナリストに求められる役割は、ネットのかすかな声を聞き分ける能力を磨くことであろう。
□神保太郎「メディア批評第101回」(「世界」2016年5月号)の「(1)「日本死ね!!!」という立憲・民主主義もある」
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【参考】
「【メディア】「日本死ね!!!」という立憲・民主主義 ~ネットの力~」
(6)「日本」を指弾したブロガー。みんな驚いてその言葉に反応した。その状態を新聞、テレビが報じて量的拡大が加速した。
次に、関心は最初に指さした書き手に向かった。それを受けて、国会の場で、ブログの言葉が現政権に投げかけられた。
逃げる首相とヤジる議員たちに国民の目が注がれた。
(a)東京新聞「こちら特報部」・・・・(2)-(c)フジテレビ(2月22日)、(e)テレ朝(2月26日)に続いて、3月2日、本人に取材した。
(b)朝日新聞デジタル・・・・3月4日、「「保育園落ちた日本死ね!!!」匿名ブロガーに記者接触」という記事がアップされた。
次々に同様のプロフィールが上書きされ、匿名女性の実在についてのダブルチェック、トリプルチェックが積み重ねられた。後追いは決して恥ずかしいことではなく、メディア間の自然な「共闘」が政権を追い詰める力となった。
(7)かつてはスクープにはスクープで抜き返す、それがジャーナリストの勲章だった。
しかし、ネット時代にはその感覚が変質した。皮肉なことに、政権によるメディア分断はあまり意味をなさなくなった。「電子民主主義」が誕生しつつあるのかもしれない。国家が悪政をなせば、主権者たる路上の市民がネットワークでつながり、ノーを突きつける。立憲・民主主義が意外なところから根づきはじめている。
ちなみに、議場でヤジったアナクロ・マッチョ議員たちの多くは、国連の女性差別撤廃委員会からの勧告にも同様の反応を続けている。いまだに「慰安婦の強制連行を証明する資料はない」とズレた反論を繰り返し、人権感覚のなさをさらしている。
目の前の「日本死ね!!!」のママたちの合唱に、彼らはカラ威張りしながら怯えているのだ。
(8)3月4日のテレ朝「羽島慎一モーニングショー」が、国会でのヤジに対するママたちの批判の声を伝えた。
いつのまにか投稿ネームは「保育園落ちたの私だ」に統一されていた。
<やっと見つけた一時保育は時給より高い保育料。何の罰ゲーム?>
<安倍さんの「匿名だから信憑性が低い」って聞いてがっかり>
それを受けて、玉川徹コメンテーターが、
<匿名だってヤジった議員は、まさか自分は匿名で済まないよね>
とカメラ目腺で挑発を行った。テレビ的な場面だ。
(9)そして、3月5日、ついに国会のまわりに「保育園落ちたの私だ」と書いたプラカードを持ったママたちが姿を現した。なかには、「保育園落ちたのオレだ」と書いた紙を首から下げるバギーの乳幼児もいた。
この1年、政治の貧困ゆえに国会正門が無名の人びとの言語空間になっていたのだ。ここに行けば、だれかしら語り合える相手がいる。
(10)ここに至って、ようやくNHKが重い腰を上げた。なんと「つぶやきビッグデータ」から20日が経過していた。
満を持しての報道か・・・・否、
<自民、公明両党の幹部は、待機児童の解消に向けて引き続き対策を進めていく考えを強調した>
という与党広報をやってのけた。このそっけなさは、意図的ネグレクトと疑われても仕方ない。NHKには、待機児童をかかえる子育て世代はいないらしい。
(11)3月10日、国会中継のカメラの向こうでヤジっていた平沢勝栄・議員(自民党)が、「羽島慎一モーニングショー」に生出演した。
平沢議員は、山尾議員(民主党)が匿名ブログの資料の配付やテレビ向けパネルの提示を求めたが、委員会の事前理事会で不許可にした事情を述べた。「日本死ね!!!」の表現は「いじめ」を助長するから反対した・・・・とピンボケの抗弁をした。結果、内容が問題だったという本音を隠すことができなかった。
キャスターやゲストが、「保育園が足りない」との主張に反発したのではないかなどと指摘すると、平沢議員は「これ本当に女性の方が書いた文章ですかね」と口を滑らした。
すると、高木美保・コメンテーターが即座に「それ関係ないでしょ。女性とか男性関係ないですよ」と噛みついた。自民党議員のマッチョ精神が馬脚を現した瞬間だった。
(12)「羽島慎一モーニングショー」は、3月18日に、「子どもの貧困」をテーマに、「所得の再分配」がいかに重要かを伝えた。学費、給食費、修学旅行費、医療費の無償化を日本はすべて先送りしてきたと批判した。待機児童問題が子どもの貧困の出発点にあることを指摘した。
まさに同じ日、安倍首相は「国際金融経済分析会合」にジョセフ・スティグリッツ・コロンビア教授(ノーベル経済賞受賞)を招き、消費増税に否定的な意見を聴取した。もともとスティグリッツ教授は消費増税には反対で、相続税、贈与税などを増やして所得の再分配を行い、格差是正を主張する立場だ。はたからは選挙目当ての「いいとこどり」にしか見えなかった。
安倍首相としては、賃上げをして、消費税を払ってもらい、それを財源に社会保障にまわすつもりなのだろうが、賃上げもままならず、消費増税も先が見えない状況で、結局は財源はないということだ。
したがって、待機児童の抜本的対策はたてられない。
対策費を3,000億円と仮定すると、
去年ならオスプレイ購入費
今年なら普天間・辺野古関連費用(思いやり予算も含む)
で賄えるのだが、そうは口が裂けても言わない。問題は、こういう愚直な取材をするメディアが見当たらないことだ。
(13)同じ3月18日、NHK「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターが23年続いた番組の締めくくりを行った。「未来への風から“痛み”を越える若者たち」と題して、彼らの社会への関心の広がりに期待を寄せた。そして、学生団体SEALDsが「戦争するな! みんなの暮らしに税金使え!」と声をあげる映像を流した。「防衛費を社会保障費に」というメッセージか。さらに、国谷キャスターは、
この社会が「同調圧力」に弱い
ということに二度ふれた。これは、彼女がNHKで嫌というほど味わってきた四文字なのだろう。
安倍政治の属性は、
「薄情」
としか言いようがない。
それは「愚直」の対極にある。メディア的には、愚直な現場主義だけが薄情な政治にストップをかけられる。これまではネットのなかの情報に対する不信が語られることが多かったが、これほど現実が崩壊の兆しを見せているときにジャーナリストに求められる役割は、ネットのかすかな声を聞き分ける能力を磨くことであろう。
□神保太郎「メディア批評第101回」(「世界」2016年5月号)の「(1)「日本死ね!!!」という立憲・民主主義もある」
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【参考】
「【メディア】「日本死ね!!!」という立憲・民主主義 ~ネットの力~」