(1)戦後ドイツにおいて、ハイデガーは隠然たる力を持っていた。元来、未完に終わった『存在と時間』(1927年)で哲学界を震撼させたハイデガーのもとには、ナチスが政権を獲得する以前、若いユダヤ系の知識人をふくめて、多くの哲学志望者が集っていた。ハイデガーは1933年にナチスの後ろ盾のもと、フライブルグ大学の総長となり、「ドイツ的大学の自己主張」と題する総長就任講演を行った。ハイデガーからすると、教授会の自治などを至上の価値とするような当時の大学はとうてい「ドイツ的大学」ではなかったのだ。言ってみれば「フランス的大学」であり、「イギリス的大学」だった。
ドイツの未曾有の危機のなかで、ナチスと同様の指導者原理に徹底して貫かれた大学、それがハイデガーの考える「ドイツ的大学」であって、ハイデガーはナチスの政策にのっとった大学運営を企てるとともに、その秋には国際連盟から脱退を掲げたヒトラーへの断固とした投票を総長として訴えた。
(2)1年で辞職することになるとはいえ、ハイデガーがナチスの支持者、とりわけヒトラーの支持者だったことは明らかだ。
ハイデガーとナチスとの関係は、戦後繰り返し問い直されてきたが、タブー視されるところがあったのも事実だ。戦後のドイツの大学で哲学の教授職を占めていたひとびとにはハイデガーを師と仰ぐ研究者が多く、ハイデガーの思想は相変わらず根強い影響力を保持していた。戦中からニーチェ論、ヘルダーリン論を講じていたハイデガーは、戦後、技術論、言語論を中心に、独特の思考スタイルを築きあげる。古代ギリシア哲学以来の西欧哲学へのハイデガーの理解が、他の追随を許さないほど深く、透徹したものであることは否定できない。
(3)そういうハイデガーに戦後のドイツで冷や水を浴びせるような批判を提示し続けたのがアドルノだった。アドルノはあるとき、挑発的にこう語りさえした。
「ハイデガーの哲学は、そのもっとも内的な細胞にいたるまでファシスト的だ」
アドルノは、自らのナチス時代初期の態度を批判的に問われたときに、この言葉を発したのだ。
じつは、アドルノは1934年に、「ナチス学生同盟」の指導者バルドゥーア・シーラッハの詩集にもとづいてヘルベルト・ミュンツェルの歌曲集に対する好意的な書評を発表していた。そのことを1963年になって、フランクフルト大学の学生新聞紙上で、彼は公開で問い質されたのだ。
アドルノは、ナチス政権はすぐに崩壊すると考え、一種の「越冬戦術」を試みたのだと弁解した際、ハイデガーに対する先の言葉を述べた。
こういう文脈だから、自己弁護的な響きがなかったとは言えない。しかし、アドルノがハイデガーの思想におぼえていたその感覚は嘘ではなかった。アドルノからすると、ハイデガーの思想は、理論的な側面であれ、実践的な側面であれ、いわば骨の髄までずぶずぶに「ファシスト的」なのだ。それにしても、ハイデガーであれ、誰の思想であれ、「そのもっとも内的な細胞にいたるまでファシスト的だ」などと評するこおが許されるものか。
(4)アドルノは、ハイデガーをナチズムへの関与以前から批判していた。アドルノのフランクフルト大学講師就任講演「哲学のアクチュアリティ」は、すでにしてハイデガー批判をだいじなモティーフとしていた。それ以降アドルノは、哲学の立場から世界のすべてを基礎づけようとする傲慢な姿勢を「根源哲学」と呼び、まさしくハイデガーの哲学こそがどの根源哲学であると批判し続ける。アドルノからすると、すべてを基礎づけると称するような尊大の病から哲学はまず癒えなければならないのであった。
アドルノの戦後におけるハイデガー批判は、『本来性という隠語』(1964年)に集約される。哲学的主著として構想されていた『否定弁証法』を執筆するなかで、独立して先に刊行されることになった。
「本来性」はハイデガーが『存在と時間』で用いている言葉だ。ハイデガーはそのなかで、死すべき定めにある自分に目覚めたあり方を「本来的」、そういう自分から目をそらしたあり方を「非本来的」と呼ぶ。ハイデガーは、両者は「等根源的」(根源を等しくしている)として、価値的な差異はない、と断りながらも、明らかに「本来的」なあり方を優位に置いている。都会の暮らしに対して農村の暮らしを、サラリーマンに対して農夫や木こりの生き方を、人間の「本来的」な姿とする発想が、戦前・戦後のハイデガーには根強く一貫している。
しかも、それはハイデガーひとりが固執している考えではけっしてなく、ドイツ人の心の奥深く、いわば心性をなしているものでもあって、アドルノからすると、そういうアナクロニズムをきちんと告発することが重要だった。
『本来性という隠語』には、マルクスとエンゲルスの共著『ドイツ・イデオロギー』を踏まえて、「ドイツ的なイデオロギーについて」というサブタイトルが付されている。
アドルノからすると、ハイデガーは比類のない独創的な思想家と見えて、じつは古くからのドイツ・イデオロギーの典型的な体現者なのだ。その点で、アドルノのハイデガー批判は戦後のドイツにおいて、文字どおり啓蒙的な力を発揮することとなった。
□細見和之『フランクフルト学派 ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』(中公新書、2014)の「第5章 「アウシュビッツのあとで詩を書くことは野蛮である」」
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【参考】
「【社会哲学】「同一化」から「非同一的なもの」へ ~ミメーシスについて~」
「【社会哲学】言語社会学の諸問題--ひとつの集約的報告 ~ベンヤミン~」
「【社会】格差社会における「承認の欠如」 ~第三世代のフランクフルト学派~」