(1)収容所群島をつくったことによって政治的に断罪されたスターリンは、ジョージア(グルジア)人だ。
グルジア人は不思議な言語をしゃべる。世界の言語はだいたい主格と対格がある。アラビア語も日本語も朝鮮語も中国語も全部一緒だ。ところが、ごく一部にだけ、主格・対格構造をとらない特殊な言語がある。能格・絶対格構造をとっている言語が世界のごく一部にあって、それがバスク語、グルジア語、チェチェン語、アディゲイ語などだ。これらの言語は動詞の変化表をつくるのがすごく難しい。グルジア語は一つの動詞が15,000ぐらい変化する。アディゲイ語になると12億らしい。
言語の違いは思想の違いだから、珍しい言語をしゃべるスターリンはユニークな発想ができる人だ。しかも、スターリンはグルジアのゴリの町の出身で、このゴリの町にはグルジア人は少なかった。アルメニア人とユダヤ人の多い町で、オセチア人も多い。オセチア人は自称アラン人ということからもわかるように、アラン(=イラン)はすなわちイラン(ペルシア)系だ。自分たちは古代スキタイ民族の末裔だと信じている。
スターリンの姓はジュガシビリというだが、この名前は生粋のグルジア人ではない。また、スターリンの父親は靴屋だった。コーカサス地域において靴屋はオセチア人のやる仕事だ。だから、名前と父親の職業から察するに、スターリンはおそらくジュガーエフという名前で、グルジアに帰化したオセチア人だ。
スターリンは神学の基礎教育を受けている。彼は小さいとき天然痘に罹っている。母親が、この子がもし生き残れるなら神様に捧げます、と願をかけて、神学校へ入れた。しかし、高校生のとき飛び出してしまい、マルクス主義運動を始めた。
スターリンは、ものすごく頭のいい男で、哲学者でもあり、経済学者でもあり、言語学者でもある。「ソ同盟における言語学上の諸問題」なぞすごくいい論文で、ソシュールを粗野にした感じだ。
(2)スターリン全集には、あちこちに「回教徒共産主義者(ムスリム・コムニスト)という言葉が出てくる。
ロシア革命は、マルクス主義によって行われたという建前になっている。しかし、マルクス主義の理論からすると、高度に資本主義が発達したところでしか革命が起きないはずだ。ロシアは遅れていた。だから、スターリンも、レーニンも、トロッキーも、ブハーリンも、みなドイツで革命が起きて、成功して、ドイツとロシアが連携して世界革命が始まると思ったわけだ。
しかし、ドイツ革命がすぐにずっこけてしまう。次にハンガリーで革命が起きたが、これも頓挫してしまう。ロシアは遅れた社会のまま死んでしまうのか。これは早産だから死ぬしかないと考えたのがドイツ社会民主党の、第二インターナショナルの指導者だったカウッキーだ。ロシアにマルクス主義を導入したプレハーノフも、革命ロシアは生き残らないと考えていた。
しかし、レーニンやスターリンにしれみれば、早産だから死ぬしかないというわけにはいかない。そこでジノヴィエフ、さらにスターリンが新しい仲間を見つけてきた。それがスルタンガリエフという人だ。スルタンガリエフはタタールスタンの共産主義者。共産主義者だが、イスラム教徒でもある人だ。彼は中央アジア・コーカサスに行ってこう言う。
「われわれがやろうとしている階級闘争というのは、西方の異教徒に対する聖戦だ」
で、赤旗と緑の旗を一緒に立てながら、革命を中央アジアでやる、だから回教徒共産主義という同盟軍がいるんだ、という理論を打ち立てていった。スターリンはそのうちの一人だ。
(3)もともとコーカサス、中央アジアはトルキスタン(トルコ系の人たちが住んでいる土地)ということで一つのまとまりを持っていた。
ところが共産主義よりイスラム革命のほうが強くなりすぎて、危なくなってきた。そこでスターリンは1920年代から30年代にかけて、そこに境界線を引き始めた。
〈例〉今のカザフ人は当時キルギス人と言っていた。現在のキルギス人は当時カラキルギス人(黒いキルギス人)と言っていた。キルギス人とカラキルギス人だから親戚みたいなものだ。それにキルギス語とカザフ語は、Sの発音がちょっと違うぐらいのものだった。それなのに、「おまえらSの発音が違うから別民族だ」といって、そこに五つの新しい境界線を引いた。タジキスタン、ウズベキスタン、キルギスタン、カザフスタン、トルクメニスタンだ。これが民族境界線画定だ。
もともと似たような人たちだったのに、上から民族というものをつくって、互いにいがみ合うようにした。その負の遺産が今でも残っている。サマルカンドはもともとタジク人の町で、みなペルシャ語をしゃべっていた。1910年代の終わりぐらいの統計では、8割がタジク人。しかし、30年代になると、8割がウズベク人になってしまった。
ちなみに、今のウズベキスタン大統領のイスラム・カリモフはタジク系だ。大統領になったときはウズベク語をしゃべれなかったから、家庭教師についてウズベク語を勉強した。タジク語はペルシャ語に近いが、ウズベク語はトルコ語に近いから。そいういうふうに民族意識が変容していくわけだ。
(4)スターリンは、マルクス主義から新しく創造的に発展したのがマルクス・レーニン主義だと言いながら、実際は別の思想を取り入れた。それがユーラシア主義という地政学思想だ。
ユーラシア主義の原型は、どういうものか。
1910年代の終わりから20年代にかけて、ロシア革命を嫌ってチェコ、ブルガリア、米国などに逃げていったユーラシア主義者がいる。このユーラシア主義者たちは、アジアとヨーロッパの双方にまたがるロシアには独特の法則があると信じている。しかし、このユーラシア空間のロシアというのは、ロシア正教の国ではない。ロシア正教徒もいるが、スラブ人、チュルク系、トルコ系、ペルシャ系のイスラム教徒もいるし、モンゴル系の仏教ともいる。日本の神道に近いようなシャーマニズムを信じているアルタイ人もいる。他にもアニミズムを信じているような人たちもいて、多種多様な人たちがモザイク状に入り混じって住んでいる場所だった。だから、そこには民族とか宗教などでは分けられない独自のタペストリー(織物)のようになっている、という考え方だ。
ユーラシア主義者はマルクス主義は嫌いで、反共主義なのだが、ソビエトは支持する。ソビエトはユーラシア空間の中に事実として存在し、イスラム教徒を取り入れていた。それは宗教を分節化の基準としない、地政学の原理でできているからだ。だから、亡命者のほとんどがソ連に反対しているにもかかわらず、ユーラシア主義者はソ連を断固支持した。一部のユーラシア主義者は、1930年代にソ連に帰国し、だいたい銃殺されてしまった。
(5)スターリンは、このユーラシア主義のドクトリン(教義)を密輸入して、それにマルクス・レーニン主義という衣をかぶせた形で、一種の「ソ連大国主義」をつくっていくが、それはロシア・ナショナリズムではない。
なぜなら、スターリン自身がグルジア系で、ロシア人の血はたぶん殆ど入っていないからだ。オセチア系のグルジア人で、ロシア語もたどたどしい。スターリンのロシア語の文章はすごく読みやすい。なぜなら外国人が書いた文章だから。もしロシア・ナショナリズムがソ連の国家原理だったら、スターリンのような人がソ連の指導者となって、ロシア人を含む多くの人々に大弾圧を加えることはできなかった。だから、ソ連がナショナリズムだというのは間違った考えだ。ソ連はスターリニズムだ。しかし、このスターリニズムは普通の帝国主義とも違う。地政学に基づく帝国主義の特徴はここにある。
帝国主義というのは、通常、宗主国と植民地から成る。中央アジア、コーカサスは決して普通の意味の植民地ではない。そこから登用されて、権力の中枢に行く人はたくさんいるわけだから。
ということは植民地なき宗主国だ。あるいは、宗主国なき帝国、植民地なき帝国だ。
しかし、中心はある。それはマルクス・レーニン主義(科学的共産主義)というイデオロギーによって結びついたとされるソ連共産党中央委員会だ。その中央委員会、イデオロギーに権力の中心があった。
□佐藤優「第一講 地政学とは何か」(『現代の地政学』、晶文社、2016)pp.65-70
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【参考】
「
【佐藤優】トルキスタンの分割、変容する民族意識、ユーラシア主義の地政学」
「
【佐藤優】地政学から見る第二次世界大戦前夜」
「
【佐藤優】地政学とファシズムと難民」
「
【佐藤優】最悪情勢分析 ~NPT体制の崩壊~」