円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

2021年度後期 生徒作文例α

2022-04-16 16:01:03 | 作文・生徒感想・討論
カテゴリー別目次
2022-04-12
中学1年α組 少年の日の思い出どちら家のの入り口か 2021年12月14日
【実験として、このクラスだけクライマックスでなく「入り口」で討論させた。
 この論題のほうが、表現を元に論じるに優れているかもしれない】
(教師の添削は一字もない)(入り口討論直後の作文)
【当然だが、決して宿題にしない。授業時間内だけの作業で提出】

1 「エーミールの家」だ。理由は2つある。
  一つ目に、僕がエーミールのちょうを返そうと思ったのは、エーミールの家の中だということが文中のp208l17の「階段を下りた。」などからわかるからだ。エーミールの家の中で、「ちょうを返さなきゃ」と思ったらわざわざ僕の家の入口まで戻る必要がないからだ。仮に、僕の家の入口だとしたら、「エーミールの家を出た」という意味の描写があるはずだ。
 二つ目は、「立ち止まる」の意味についてだ。立ち止まるは、そのまま動かないという意味にもとらえられる。なので、僕は、家の入り口から、急いで引き返すまで動かなかったと考えられる。もし、僕の家の入り口で立ち止まっているなら、p206l10の悟った、の後に「エーミールの家に向かった。」などと書くはずだ。

2 「エーミールの家」だ。理由は一つある。
  最初にこの文は昨日の議論をふまえた上で見てほしいい。
 まず昨日の議論を聞いて、自分は文章の風景描写だけを理由にしては、らちがあかないと思った。逆に、「僕の主観」」で考えると、すべての疑問点につじつまがあった。
 ひとつ、あの「入り口」は、僕がエーミールの家の外に出て、立ち止まったと考えたらどうだろう。僕は階段を下りる時、とても怖い思いをした。できることなら戻りたくないが、蝶を返すにはもう一度ドアを開けて引き返す必要がある。家にもう一度入ろうと、僕は覚悟を決めた。そう考えると、家のドアは、僕にとって「入り口」となるのだ。やはり、家の構造や文の書き方より「僕の見た物」が何より正確なのだ。なぜならこの物語は、僕の「少年の日の思い出」だからである。

3 「エーミールの家」だ。理由は一つある。
  それは、他の人も言っているとおり、僕がエーミールの階段を出てから、まるで一枚一枚の写真のように僕の行動・気持ちを細かく説明していた。女中と擦れ違う。どきどきする。額に汗をかき、自分自身におぼえる。そこまで細かく説明して、いきなり中庭の向こうの僕の家までとぶ…あまりに不自然だ。もしこれが僕の家の前だとしたら、少なくとも僕がエーミールの家の扉を開ける、という行動はかかれているはず。私は、僕がエーミールの階段を出てから、「家の入り口」に立つまで、一つ一つの行動を写した写真は続いているという風に読み取った。漫画なら一コマ一コマ、ていねいにかかれている。だからこそ、僕が立ち止まった所は僕の家の入り口ではなく、エーミールの家の入り口だと考えたのだ。

4 「エーミールの家」だ。理由は一つある。
  私は、最初にこの物語を読んだときに十七段落の場面を想像したら頭の中にエーミールの家がうかんだ。それはなぜか?
 それは、おそらくこうだ。十七段落の情景を順におっていくと、まず、階段を下りる。その次に、誰かが上がってくるのが聞こえる。そして、みつかりはしないか、という恐ろしい不安に襲われて、蝶を上着のポケットに隠してしまう。その後、ゆっくりとあるき続けたとあるが、この歩き続けた場所もこの後の女中とびくびくしながら擦れ違うのも、エーミールの家の入り口だ。問題は、胸をどきどきさせてから、立ち止まるまでがどこかだ。これが中庭なら、家を出てとか中庭をとか書かれるのが自然だがそんな言葉はない。だからこの時は家の中だ。立ちどまるのは、次につく所。
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2021年度後期 生徒作文例Z

2022-04-12 21:01:11 | 作文・生徒感想・討論
カテゴリー別目次
2022-04-12
中学1年Z組 少年の日の思い出クライマックス 2021年12月15日
(教師の添削は一字もない)(クライマックスの段落討論直後の作文)

1 クライマックスは18段落だ。着眼点は「こわしてしまった。」ということだ。
『僕がちょうを盗み、それをこわしてしまった話』
 これは、この物語のあらすじである。この短い一文でも、何が話の頂点化が分かる。私が重要視した『こわしてしまった。』が入っている。
 以上を踏まえて17~18段落を見ると、18段落で初めて『こわしてしまった。』ことが分かる。また、僕は、泣かんばかりだった。
 そして、19段落では、「盗みをした」ことより、「こわしてしまった」ことのほうが、僕の心を苦しめたということが分かる。20段落以降は、「悲しい気持ち」で家に帰り、ちょうをつぶすまでに至る。
 このことから、18段落を機に僕の気持ちが下がっていることが分かるだろう。

2 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
  一つ目に、16・17段落は、18段落の前置きにすぎないからだ。この話は、盗んだことが重要なのではなく、ちょうをこわした事が重要である。16・17段落はちょうを盗んだだけであり、こわしてはいないため、クライマックスとはいえない。
 次に、クライマックスとは、「緊張感が最も高まるシーン」だからである。17段落にも緊張が伝わってくる表現はあるが、18段落は、「極度」や「泣かんばかり」など、17段落とは比にならないほど緊張している事がわかる表現がいくつもある。
 最後に、19段落に「盗みをした~僕の心を苦しめた。」とある。クライマックスとは、話の頂点でもある。19段落にも書いてある通り、ちょうをこわした18段落がクライマックスだ。

3 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
  まず一つ目。この小説は大まかにいうと、他人のちょうを盗み、壊す、という話だ。その場面が載せられていう段落は18段落だ。16段落でも17段落でもない。たしかに、17段落では主人公の心が激しく揺さぶられている様子が描かれているが、まだこの時点ではちょうが崩れ落ち、もう直せない……という最大の悲劇がおこったとは判明していないので、17段落ではないと分かる。
 次に二つ目。「一つ目の理由」でも記したが、この話の頂点(最高潮)は蝶が壊れたと判明した場面だ。それが18段落。16段落で蝶を盗み、17段落で「自分が盗みを犯したのだ。」と自覚させ、絶望のどん底に突き落とす。つまり、16、17段落は土台なのだ。頂点ではない。なので、クライマックスは18段落だ。

4 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
  一つ目は、この「少年の日」の物語はちょうを盗んだことではなく、つぶしてしまったことを中心に進んでいるからだ。これは討論の時に何人か言っていて確信したことだ。19団r買うにも「盗みをしたという気持ちより、自分がつぶしてしまった……苦しめた。」と書いてあり、つぶしたことにショックを受けていることが分かる。
 二つ目は、18段落の13行目に「どんな不幸が起こったかということを知った。」と書いてあるからだ。この文もつぶしてしまったことに絶望していることが分かる。そのほかに「極度に恐れながら」や「駆け上がり」などの緊張感のあふれる様子が書かれている。そのことから18段落はこの物語のクライマックスだといえる。
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2021年度後期 生徒作文例Y

2022-04-11 22:32:07 | 作文・生徒感想・討論
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2022-04-11
中学1年Y組 少年の日の思い出クライマックス 2021年12月15日
(教師の添削は一字もない)(クライマックスの段落討論直後の作文)

1 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
  一つ目は、この話で最も重要なのは、盗みをしたという気持ちより、ちょうの価値だからだ。17段落は簡単に言うと、「女中と擦れ違ったことを詳しく書いたもの」だ。そう考えると、17段落は「最も」緊張感が高まるとも話の頂点だったとも言えない。
  二つ目に、18段落では、急いで引き返したエーミールの部屋に戻ってきてしまった場面があった。エーミールの部屋に入るのは一分間ほどの間に2回もだ。17段落よりさらに、緊張感が高まる。それに、クジャクヤママユをつぶしてしまったのが分かるのも18段落だ。つぶしてしまったからこそ、最後まで話が続いた。このことが起こると同時に、終末に向かっているのだ。

2 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
  一つ目に、この段落ではクジャクヤママユをつぶしてしまっているからだ。盗んでしまっただけなら返せばどうにかなる。しかし、つぶしてしまって、触覚と前羽を一つずつなくしてしまっては、もう取り返しがつかない。元の状態に戻すことはできない。だから、盗んでしまった16・17段落よりも大切で、話の頂点である。
  二つ目に、僕の心情が大きく変わり、物語も終末に向かっているからだ。19段落には、「盗みを……苦しめた。」とあるため、つぶしてしまったことを苦しんでいることが分かる。その後の段落も、ちょうをつぶしてしまったことをどうにか償おうとしている。つまり、18段落を境に物語が大きく変化し、終末に向かっているのだ。

3 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
 一つ目に、この話で最も重要なのは、盗みを犯したことではなく、ちょうが大好きな僕の気持ちだからだ。盗んだだけならもどくことはできたかもしれない。ただ、ずっと僕が熱烈に欲しがっていたちょうを自分でつぶしてしまった悲しみや後悔、絶望が僕の気持ちの最高潮だからだ。
 二つ目は、クライマックスを境に終末へ向かっていくところだ。ちょうをつぶしてしまったことに気がついたから終末に向かっていくのだ。逆にちょうをつぶしたことに気がつかなければ、エーミールから軽べつされることも、もう償いのできないというとんでもない罪悪感を感じることもない。また25段落でちょうが大好きな僕が少年時代をかけたちょうを指で粉々に押しつぶすこともないだろう。

4 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
 一つ目に、18段落はこの話の中で、最も重要なことが書いてあるからだ。17段落も緊張感が高まるが、話の頂点ではない。19段落に、「盗みをしたことより、つぶしてしまったちょの方が僕を苦しめた。」と書いてある。僕が盗みより、ちょうをつぶしてしまった事に責任を感じているのだ。25段落で自分のちょうをつぶしてしまったのも、この罪悪感を償おうとしたためだ。
 二つ目に、僕はちょうをつぶしてしまった事を大人になっても恥じているからだ。7段落に「ちょうを収集していた思い出を自分でけがしてしまった。」と書いてある。僕が思い出をけがしてしまったと感じている出来事は、ちょうを盗んだという事より、つぶしてしまった事なのだ。
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2021年度後期 生徒作文例X

2022-04-10 14:38:22 | 作文・生徒感想・討論
カテゴリー別目次
2022-04-10
中学1年X組 少年の日の思い出クライマックス 2021年12月15日
(教師の添削は一字もない)(クライマックスの段落討論直後の作文)

 クライマックスは17段落だ。理由は一つある。
 それは、小説のクライマックスとは、「緊張感が最も高まる」ところだからだ。17段落では、盗みを犯した「僕」の方に足音が迫って来る。この場面は、「僕」も読み手も最も緊張するところではないだろうか。また、18段落では、「僕」が盗んだちょうがどうなったか結果が書かれている。例えば、「サンタさん」の正体が知りたくてたまらないとしよう。その時、そして、正体が知りたくて一晩中緊張が高まっている。しかし、正体を知ってしまったら、気持ちは落ち着いてしまう。それと同じで、結果が分かる直前が、最も緊張感が高まるところなのだ。「僕」の心情の変化が多く書いてあり、緊張感がもっとも高まる17段落こそ、クライマックスである。


 クライマックスは17段落だ。理由は二つある。
 一つ目は、緊張感が一番高まってくるのがこの段落だからだ。僕が、エーミールのちょうを盗み家へ帰ろうとしたところ誰かがこちらにやってくる、という危機がせまっているのだ。これから僕がどんな行動をとるのか予想もつかない。ここで僕は、最高潮に達する。
 二つ目に、18段落で僕は「このちょうを、持っていることはできない、返さなければ」と悟る。つまり、してはいけない事をしてしまったのはその私の17段落ということになる。それに、悟った(自分の気持ちに気づいた)瞬間、僕の感情は下がり初めているのだ。
 これをふまえて、僕が自分の気持に気づいた段落、つまり18段落の段階でもうすでに終末へ向かっているのだ。


 クライマックスは16段落だ。この話の一番のポイントは「チョウを盗む」ということだ。
 この話を読み終わった後に、一番頭に残っているのは「人生初めての盗み」を犯したことだろう。読者の記憶に残っている時点で、重要だということが分かる。もちろん、17と18段落は、自分の気持と向き合い、戦っている部分だ。その時の主人公の気持ちも、もちろん大事だが、そもそもチョウを盗まなければそんなことは起こらなかった。チョウを盗んだから、自分の気持ちと戦わなければならなかった。盗まなければこわれることもなかった。すべては、盗んだことから始まった。
 このように、読者の記憶に残りやすい、すべての始まりはチョウを盗んだことにより起こった。そういう物語であるから、私は16段落がクライマックスだと考えた。


 クライマックスは18段落だ。理由は二つある。
 一つ目に、僕にとって盗みをしたことより、宝のちょうをつぶしてしまったことのほうが苦しかったからだ。17段落では、僕は生まれて初めて盗みをした。だが、すぐに、良心が目覚めて、強く後悔し、不安に襲われる。しかし、この話で最も重要なのは、盗みをしたことよりちょうをつぶしたことなので、17段落ではない。
 二つ目に、「ちょうをつぶした」という言葉は、反復法によって強調されているからだ。一回目は18、二回目は最終段落である。ただ、同じ言葉でも僕の心情がちがう。18ではわざとではなく、最終は故意につぶした。おなじつぶしたでも、意味が真逆だ。これにより、僕がちょうをつぶしたことが、とてもおおきな出来事であることから、18段落が話の頂点だ。
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