カテゴリー別目次2016-05-31
https://twitter.com/koikekazuo/status/737524895572070400
「自分に無いものを求めない」
と決めると、人生は随分楽になる」
(小池一夫)
カテゴリー別目次2016-05-31
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「自分に無いものを求めない」
と決めると、人生は随分楽になる」
(小池一夫)
カテゴリー別目次2016-05-22
この一週間くらいで少し分かったことがある。
彼らは、授業中のいい状態、がどういうものなのか知らないらしい。
知らないのだから、教えなければならない。
彼らにとって当たり前になっている教室は例えばこういうことだ。工事用のモーターがブーンと鳴り続けている感じ。誰かが常に授業と関係ない話をしている。電車の中とまったく同じだ。ザワザワという不快な音が止まないのを不快に感じない。電車の中なら普通のことだ。誰が何をしていても何を話していても、関心がない。見も知らぬ他人が通勤、通学しているような教室が普通で当たり前の状態なのだ。
勉強する気のある生徒はじっと黙って、聞いたり作業したりする。だが、ザワザワ話し続ける数人か、十数人には一切関わらない。電車の中で、他人の会話を止める人などいないのだから当然だ。
全員が、黙って、教師を見て、話を聞く。そうすれば、教室にピーンと張り詰めた緊張や、ホンワリと柔らかな統一感が生まれる。
そういう経験を、彼らはほとんどしてこなかったらしい。だから、集中しなさいとか、黙って書きなさいとか、話しかけないとか、大雑把な表現をしても何も変わらない。知らないのだから当然だ。また、知らないから悪気もまったくない。授業が終わって「今日はしゃべっていてすみませんでした」なんて、ひとコマしゃべり続けていた男子が言いに来た日がある。はぁ、そういう人なのか、と思いましたね。
なぜ、そうなのかもしれないと気付いたかというとだ。「今。今のこの感じ。とてもいい。続けて」とか「今、号令かかってすわったら、全員俺を見る。はい。お願いします。そのまま、そのまま、しゃべらない、俺を見る。そう」 指示を出したらすぐ「今の聞き方、百点」と言う。
そうするとですね。一つのクラスは、五分か十分その「いい状態」が続く。もう一つのクラスは、ひとコマほとんど続く。
別のふたクラスは、「いい状態」を知っている。僕の普通のペースでどんどん授業が進む。
もうひとクラスは、まだどうして良いやらまったくわからない。僕は使えない新採用教員になってしまう。ただ、その生徒たちもまたまったく悪気はない。とても可愛げのある男どもなのだ。
カテゴリー別目次2016-05-20
https://twitter.com/koikekazuo/status/733512392869445633
「今が人生で、一番大事なときなんだから」とか、センセイは言いがちだ。じゃあ、人生で大事じゃないときがあるのか? それはいつだ? 人生に本番の時間も準備の時間もない。
カテゴリー別目次2016-05-19
黒板にチョークで「連絡事項」を書くのはやめよう。黒板はピカピカにきれいで何も書いてないのが良い。
黒板の左右に紙を貼るのはやめよう。ひどいときには黒板の6分の1くらいが紙でうまっている。
教員の多くが、生徒のワーキングメモリーを無駄に奪っている。
黒板周りの、全ての掲示物は、生徒のワーキングメモリーを「無駄に」「消費」する。
磁石でダラリダラリと貼り付けた「学級目標」「校長の言葉」「時間割表」「学年テストランキング表」
黒板が「掲示板」「連絡板」になっている。黒板の左端にべたべた紙が貼ってある。また、[何日・漢字テスト][何日・ナントカ宿題提出」
ワーキングメモリーは、そんなに多くない。
大人でも「7」、なな、セブン、七つが覚えるのにちょうどいいとか、限界とかマジックナンバーとかよく言われる。
勉強の途上、勉強が苦手な生徒、グレーゾーンの生徒、発達症の生徒は、それが一つのことがある。
一度に、一つ、言われたことしか覚えられない。
一度に、三つ、言われたら忘れてしまう。
それなのに、黒板の周りには、山ほど「メモリー」を使う無駄情報が盛られている。
教室の前面・全面には、何もない。それがいちばん優れた教室だ。受験会場と同じだ。
黒板に、書き始めた、一字一字の文字・数字などだけが、生徒の目に入る。視覚刺激として入力される。他には何も見えない。そうすれば「無駄に」生徒の「ワーキングメモリー」を消費させることはない。
「ワーキングメモリー」という言葉を知らない教員がいる。なぜだろう?
カテゴリー別目次2016-05-09
http://americanteacher.blog.fc2.com/blog-entry-117.html学級崩壊をチームで未然に防ぐシステム
に習って生徒に説明した。「僕が望んだことは一つだけだ。授業開始のチャイムで準備ができている。着席している。始まりの時間に間に合う。代わりに授業は決して延ばさない。実際に一か月そうしたはずだ。今の授業の始まり方は、マイナス100点だ」
元々大きな支持を寄せてくれた甲組では、もっと柔らかく、今でも充分助かるが100点ではない。もっとできるようになってほしい、と話した。
今、二番目にけじめのない乙組では上記のように話した。まあ、話す前にだ。チャイムが鳴ってもまったく着席する気配がないので教壇に立って見渡して待った。最初から座って、これはダメだろと言う顔をしている生徒・早めに気づく生徒・最後まで数人集まってしゃべっている生徒の三種類がいましたね、とあとで彼らに話した。
僕がいつもと違う顔色で立っているのを感じ取って、座り、静まる。それだけで、相当センスのいい生徒だということだ。普通、その程度で座りませんよね。これも彼らに話した。
甲組は50分間、音も立てずに集中して、教科書準拠のワークシートに書き込み、指示通り3回見せに来てスタンプを押されて戻った。乙組は半分くらいでざわざわし始めたが、授業最後まで見せに来るのは続いた。どちらも、シーンとしているときに伝えた。
「このプリントは最後に全員集めます。この方式の欠点は、一時間ずっと見せに来なくてもばれないからです」
今日と土曜日の気分はまるで違う。敗北感にさいなまれるのと、正しく攻めて生徒を躾けて成功するのは大違いだ。http://americanteacher.blog.fc2.com/blog-entry-117.html「学級崩壊をチームで未然に防ぐシステム」の著者のように今日は枕が高い。
gooブログの仕組みが変になってしまってとてもやりにくい。
改行すると一行空きになる。はぁ。余計なことはしないで下さい。
授業がズタボロだ。もし自分が見に来たら三分で出て行くだろう。何の勉強にもならないからだ。【どうしたら、この生徒たちは休み時間と変わらない何の意味もないおしゃべりをやめるのだろう】と思いながら打つ手を探す。探すけど無い。
こういう状態はそれこそ三十年ぶりだ。初めての非常勤で、とんでもないクラスがあったが、それはそれで筋は通した。どうにも変えることはできなかったが、授業の原則を一つ、二つ試すと通用した。今はしない。
また一行空きだ。リズムが狂うんだよ。打つ手を探しながらワイワイガヤガヤ勝手にしゃべらせて五十分が終わる。どうすればいいのか。
いいね。いい。2年生に学ぶのだ。
・・・・・・・・・・gooなぜ、一行空きにしたのだろう。
出る理由がないので退任式は欠席した。知人の話によれば、傭兵も退職だと聞くと講堂ではどよどよと疑問の声が上がったという。
式後、職員室に十人ほどの中学2年生が泣きながら駆け込んできた。僕と同じクラスを教えて退職したA教諭が対応した。
「なんでA先生も傭兵先生も辞めちゃうんですか」
冷静なA教諭も一緒に泣いた。
2015年、4月の辞令を手渡しながら校長が僕に、
新採用を取るので次はわかりませんから
と言ったくらいだから、2015年の12月にはもう次はないと思っていた。辞令交付でそういうことを言う管理職もいるのかとあぜんとした。
年が明け2016年1月末に校長に訊きに行った。
もう一月の終わりですが次はないと思っていいんですね。
ああ、はい、申し訳ありませんが新採用を採りますので。
わかりました。
もう一文字もしゃべりたくなかったのでそのまま校長室を出た。
生徒と本当にお別れだ。そして、年齢と履歴のせいか就活は難航した。書類だけで二校蹴られた。面接さえなかった。打たれ弱いから、別れと就活のストレスで喘息のような咳と微熱が一か月以上続いた。
最後の授業は3月の中旬だった。ひと月半、その時間のイメトレをした。よくあることだが、イメトレで散々泣いて、当日はカラッとしてしまう。今度もそんなことだろうと思った。
偶然、最後の授業の前日が三校目でやっとたどりついた面接の日だった。雨にみぞれの混じる真冬のような日だった。
就職派遣会社の営業のB氏が面接に同席してくれた。二校落ちたから、してくれた、のだと思う。面接してくださった理事は最後に言った。
「他にも候補がいる。結果はその人との比較で出す。来週まで待つように」
同席してくださったB氏は励ましてくれたが、ああ、まただめなのかと思った。
雨は止まないで指先がしびれるほど寒い。明日は中2とお別れだ。練りに練ったお別れの国語通信も詩も印刷して職員室の机においてある。学年末試験を返して、通信を読んで、お別れだけどお別れとは伝えられずに終わる日だ。酒はひかえめにしておこう。
だが、いつもの定食屋で飲み始めると頭はさえるばかりでいっこうに酔わない。飲むのをやめて外へ出て傘を刺したとたんに電話が鳴った。……決まりました。常勤で。
僕の頭の中は、就職より明日の別れの仕方でいっぱいになっていた。だが、来週のはずの結果が今来てしかも非常勤ではないという。二つのことは混乱して、話の内容は就活だが頭の中はお別れだお別れだと繰り返していた。傘を刺したまま人のいない場所で立ったままオイオイ泣きながら僕は話した。「大人なのにすみません。明日が生徒とお別れで。悲しくて飲み過ぎて・・・」
翌日鏡を見ると右目が妙にはれている。
教室に入る。試験を返す。
それから、提出させた点検済みノートを返す。そんなことはしたことがないが、一人一人にお別れのコメントが書いてある。生徒は(え、こんなに。ひとりひとり違うじゃん)と言ってる。でも、なんでそんなことしてあるのかはわからない。
「いつも渡しているから」と、実篤の詩を配り読み聞かせる。難しくてよくわからないような気がする。来年渡したいところだが、最後だから仕方ない。
そして「いつもしているから」と、国語通信のようなものを配り読み聞かせる。読みながら自分で泣くかと思ったが、前日泣きすぎたせいで冷静に読めた。
中2国語最後の授業で
2016年3月10日
●目に入れても痛くない
今の二年生は、入学したときから人なつこくて、よく話しかけてくれました。国語は大笑いの連続で、それは1年2組も同じだったはずです。
僕は一年生を教えるのが好きだし、答えきれないほど話しかけてくれる一年生がかわいくてかわいくてたまりませんでした。職員室でよく、S先生に「かわいすぎて、愛情におぼれそう!」と言って、あきれられていました。
目に入れても痛くないほどかわいい、とはこういうことかと毎日思いました。それは、本当は保護者にしかわからない気持ちでしょうが、僕にはわかる気がしました。年を取ったせいかもしれません。また、もう一度中学生に授業できる喜びが大きかったせいかもしれません。
●感謝を
二年生になって、皆さんは急速に大人っぽくなりました。話し方。顔かたち。態度。成長がはっきり目に見えました。二年続けて持ち上がる中学生はいいものです。(まあ、若いときにはものすごく嫌なときもありましたが)
僕が、もし教員という仕事につかなかったら、こんな幸せを経験することはできませんでした。きちんと授業の腕がついて、中学生に授業をするほど幸せな「仕事」は、そんなに多くはないはずです。
うちに帰って一人でも何でもありません。あした教室に行けば、そこにいるだけで楽しい。
それに、いくつになっても努力すれば能力が伸びていく。できるようになるのが楽しいのは子供も大人も同じです。
だから、みんなには心から感謝しています。
これ以上かわいいと思えることは、あるのかな。
●大人になるのは楽しいこと
だから、皆さんも「大人になるのはいいことだ」「大人になったら楽しいことがたくさんある」と思ってほしいですね。
そんなことはない? まあ、つらいことが山ほどあります。当然です。
生徒のときも、会社員になっても、人間は(今の日本は?)いつも「結果」ばかり求められます。点数を取らなければ、もうけなければ、勝たなければだめだ、幸せじゃない、と。
僕は、これは違うと思うのです。人生は「毎日が途中」です。「人生のほとんどは何かの途中」です。わかりますか? だから、「努力の途中」を楽しみましょう。その結果、うまくいくときもいかないときもあるわけで、また次の「努力の途中」が始まる。一生その繰り返しです。
きっと、いい友達は【結果がダメなとき、けなさない人】です。【努力と小さな成長を見てくれる人】です。本当の友達は、辛いときこそ味方してくれる人です。
楽しい時間に限って、あっという間に終わります。残念だけど、終わるのが悲しいと思えるのはとても幸せなことだと思うのです。
傭兵
読み終わると、女子が「来年も、先生が担当ってことはないんですか!」と大声で言う。「それは、誰にもわからないな」と僕は答える。いや、わかっている。あと数分でお別れになって、一生二度と合わない。授業を担当するはずもない。
じゃあ、最後だし歌ってみるけどいい?どう? と言ってみる。生徒は聞きたい聞きたいと言う。男子が、先生が自分から言ってしまったんですからね歌うしかないですよ、と言う。女子が、何歌うんですか、と言う。『卒業写真』知ってる?ユーミンの。あー知ってる。そして歌い始めるとほぼ同時に終わりのチャイムが鳴り始めた。かまわずアカペラで歌う。最初は音を取るために教室の真ん中に目を落とす。二小節目から後ろの壁を見る。生徒の顔は最後まで見られなかった。
終わりだ。これで終わりだ。お別れだ。
短くアレンジして歌い終わって、生徒全員を、一人ひとり見渡そうとしてみたけど、うまく顔は見られなかった。いつの間にか、まったく同じ姿勢で、全員が顔をぐいっと上げて、背筋を伸ばして、僕の顔をじっと見ていた。
「お元気で。さようなら」頭を下げて、引き戸を出るまで誰も何も言わなかった。物音一つしないまま僕は教室を出た。