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2019-1-2
伯父は中卒で
「教育はないが教養に富む人物」の見本であった。
さりげなく生き方の根っこを話してくれた。
伯父が数え切れないほど繰り返したのは塞翁が馬の故事だった。
「万事塞翁が馬、って言ってな。何がおこるかわからない」
「男が失敗することは三つある。酒、女、金だ」
「バイトで酒を飲むのはいい加減にしておけ。
俺でも晩酌を始めたのは四十からだった」
「教員になったら、職場で一番になることを一つでいいからできるようになれ。
たった四、五十人だ。なにかできることはある。
一つだけでいい。そうすれば、認められる」
「相手には、してあげて、与えてお返しは求めない」
僕が中学生のとき、伯父が「つばは歯の裏から出る」と言った。
僕は「違うよ。舌の裏に唾液腺というのがあって、そこから出るんだよ」と言い返した。
伯父は黙って僕を見ていた。
僕が大学生のとき、伯父が「やまとは くにの まほろば と言うんだ」と言った。
僕は前置きなく「たたなずく あおがき やまごもれる やまとしうるわし」と静かに続けた。
伯父は黙って僕を見ていた。
褒めることもなく驚くこともなく無言だった。
「週刊新潮」を読み続けていた。
「文藝春秋」を読み続けていた。
それで、僕が中3のとき、同じクラスの女子N村さんの小説が、
全文掲載の特選に選ばれたのを教えてくれた。
僕は読んだが難しくてわからなかった。秀才N村女史。どうなったのだろう。
新聞は「毎日」だった。
暇があると詰碁を打っていた。
碁の雑誌を片手に箱のような大きな碁盤に向かってぱちぱちと碁石を打った。
僕が大学生の時、飲んで午前帰りが続くと玄関の鍵が開かなくなった。
合鍵というものはなかった。
それでも度々祖母が起きて開けてくれた。
そのうちそれもなくなった。
僕は夜中に物置からはしごを出して二階の部屋の下へ運んだ。
トタン屋根にはしごを掛けて登り、窓を開けて忍び込んで眠った。
トタン屋根の上を歩いて、身体がやっと通る小さな引き戸の窓から入ったのだ。
よくできた。身軽だったのだ。
僕の母が亡くなった17から後見人になってくれた。
高校生にしては何もわからない愚かな僕はそれを当たり前のように思っていた。
今考えれば、孤児院に行く境遇だった。
伯父は正月に親戚を集めて宴会をするのが大好きだった。
二十から三十人の大人子どもが1月2日に集まった。
僕が大学生で二十歳を越えた正月に、伯父は僕を横に座らせて飲ませた。
しばらくして、
「やっと、++夫が、成人になったか」
と言うと、突然吹き出すように涙を流した。ぶ厚い手のひらで両目をおおった。
無口で関白、時には冷徹な伯父の様子に、周りの大人がうろたえた。
孤児の僕を預かった伯父は、僕を成人させる責任と亡くなった母への憐情を黙って抱えていた。
僕は今年58になる。
まさに人生は、万事塞翁が馬であった。人間は、じんかんと読み、人生・世の中を意味する。
もうすぐです。もうすぐ行くから一緒に飲みましょう。