カテゴリー別目次2016-09-28
可能なら、あなたは、何歳の時に、戻りたいですか? テレビがあったときそんな質問のやり取りを何度も聞いた。
答えるならば「二度と戻りたくない。どこにも」
やっと終わったのに、なんで戻らなくちゃならないのか。
二度と戻らなくて良い。だから、人生には安らぎがある。
カテゴリー別目次2016-09-15
学年の半分集めて、授業のような講座があった。
担任は休日で僕がクラスを見る。副担のクラスは僕が教室に行くともう誰もいなかった。心配性かつ中学校の細かい指導の僕の予想を超えて動いたから驚いた。胸のすくような気分だった。
大きな部屋で三人がけデスクに生徒は座った。学級委員が指示して僕は何も言わなかった。全員が座って他クラスの生徒がぞろぞろ来る間に、十人ずつくらいに言って回った。「1P組!早い。優秀」女子は言われると拍手してた。
よくある会議用三人がけ机に、生徒は三人ずつ座り長大な話を聞いていた。果てしなく長い講座が終わると、担当者が突然言った。担任は聞いていない。
「イス三つを、二つずつにしてもらいたいのです。ひとつ減らしてうしろに運んでください」
いち。に。さん。・・・三秒たって150人の誰も動かない。動けない。三人並んだイスを二人に減らすにはどうしたらいいか。素直ないい生徒たちだから考えている。他の五、六人の教員も黙っている。
物好きにこのブログを覗くような若い方には簡単すぎるでしょうが。三秒待って僕が言ったとたんに生徒が動き出した指示は何かというと。
「一番左の人だけ、イスを持って後ろに運びなさい」 三百人くらいまでは肉声ですよね。
二百人から、九百人くらい、又はもっと多くの生徒を動かす指示の言葉を、中学教員は学んでまねて知っている。知らないと行事・臨時集会などで困るからだ。まあ、困るまま知らない人も多いけど。比して高校教員はその、役立つ指示を知らない。言い切って悪いがほとんど知らない。なぜなら、使うことが少ないからだ。仕方ない。
この半年間で、高校教諭は慣れてないんだな、知らないんだな、という場面にいくつも出くわした。
【1】900人位がクラス別に立って並んでいる。一列ごとでも二列ごとでもかまわない。どちらかがものすごく狭くなっている。責任者の教員が言う。「ここ、ここから左のクラス。右に九歩動いてください。……(果てしなく思える長時間がたつ)……他のクラス少しずつ右に。間を空けましょう」
中学校の教員なら、例えばこう指示する。「最前列の生徒。左腕を伸ばす。間を空けて・・・無理だな。左腕を腰にあてて感覚を空ける。よん、さん、に、いち。よし。全員自分のクラスの先頭に合わせて整列。カウントします。いち、に、さん・・・」
【2】続き。「全員座りなさい」・・・・・・ぞろぞろぞろと、四十人前後の列が着座する。どんどん後ろに下がってずれていくのはお分かりでしょう。
中学校の教員ならこう指示する。「自分のカカトの位置を見なさい。今、カカトがある位置にお尻が着くように着座します。では、座りなさい」 「やめ。全員起立。遅い。カカトがある位置にシリを置く。千人いますが五秒以内でできます。いきますよ。全員、着座。さん、に、いち」 これで、千人でもうしろに全くずれずだらだら、位置を変えずに座れる。
このようなスキルがたくさんあるけど、もうやめた。
カテゴリー別目次2016-09-10
2015年4月13日http://bylines.news.yahoo.co.jp/fujitatakanori/20150413-00044780/
・・・平成27年度の月額の国民年金保険料は、15,590円・・・ ・・・「最低生活費」と呼ばれ、合計130,000円程度なければ、1か月暮らせないと政府は試算している・・・
ネットの記事はあっという間に削除される。だから、必要と感じたらコピーしておかないとならない。十三万円で一か月とはあきれる。僕は昨年まで月収十二、三万で数年間暮らそうとした、が無理だった。貯金を少しずつ削った。十三万で暮らせるという政府も、十三万払って雇う私立学校もどうかしている。
カテゴリー別目次2016-09-06
以前の知り合いに、宮本輝の『錦繍』を五十回読んだという女性がいた。ものすごく頭のいい人で、何でも知っていて、趣味も多様だった。「何がいいの?」「うーん。わかんないけど」というので試しに買って読んでみたがさっぱりわからなかった。全然面白くなかった。やっぱり、優れた人って違うんだなあと思った。読み続けてると言ってたから、今頃百回を越えているだろう。
脚本家の中園ミホ氏と松任谷正隆氏の対談を聞いた。中園氏が「一番好きな映画は『男と女』。」と言うと、松任谷氏が「あ、僕もです。今でも年に三回は見ます」「えー。日本中で私以上に何度も見ている人はいないと思ってたけど負けたかも」
創作する力や、何かを習得するには色々手を付けるより、繰り返すことだと、世の優れた人は度々言う。二人にとって文章と音楽の創作する力の源は一本の映画で、何十年も繰り返し見続けた。やっぱりそういうことなのか。もう間に合わないけれど、忘れないようにしよう。
中園氏は、プロになる前、好きな脚本家の「脚本」を、国会図書館へ行き、全部手書きで写したという。「写しているうちに、ああ脚本の構造ってこうなっているのか、こう書けばいいのか、というのがわかってくるんです」 これは、よく分かる。
「まだまだ、今までより良い物が作れる。自信がある」
二人ともそう言った。
カテゴリー別目次2016-09-05
永六輔のファンではないが、尊敬すべき人であった。理由は変わっていたからだ。
日本人は変わった人を避ける。避けるだけにしておけばいいのにいじめる。
だから永六輔に敬意を持つ人は少ないかもしれない。
永氏の母親は子供のころの永六輔が持ち帰った「通信簿」を見たことがないそうだ。
「そんなものは、学校というところが決めた良し悪しでつけただけの数字だ。
見る意味もない」
ラジオの聞き覚えなので少し違うかもしれない。
現在の「学校」の制度が始まって何年か。
学校の「評価・成績」のつけ方が定まって何年か。
自分の「試験問題」は生徒の「学力」を正しく判定できるのか。
長く見て戦後70年ですよ。「今の」成績のつけ方で誰が灯台に行くか決めるようになったのは。
頭がいいとか悪いとか、子供がバカにしあう基準を作ったのは。
永氏の母に習うべし。間違っても学校の成績で生徒をさげすむべからず。