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20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

女子トイレの説明

2024-03-05 20:40:11 | 生活指導
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2024-03-05
トイレに集まっておしゃべりするのを、先生達が注意する理由は三つある。
一つ目に、トイレは用を足す所だからだ。
おしゃべりする所ではない。
私立の女子中学生が3人、トイレに机と椅子と運んでお弁当を食べていたことがある。僕は非常勤だが、駆けつけて目の前で見た。2年生の女子3人はずぶとくて、出ろと言っても抵抗した。
ふけつ~。ババッチイ。気持ち悪い。どんな育ち方をしたんだろう。
トイレでおしゃべりするのは、この女子たちの縮小版だ。放っておくと、中にはこうなってしまう生徒が生まれる。こんな人たちにならないでください。
二つ目に、トイレは悪いことを、おしゃべりする場所になるからだ。
教室でしゃべればいいことを、わざわざうんちおしっこをするトイレで話す。内容が、うわさ、陰口、悪だくみだからだ。こっそりしゃべりたくなることなのだ。これは、40年間すべて女子だった。男子はこういうことはしない。
三つ目に、トイレは悪いことを、する場所になるからだ。
先生の目が届きにくい所を、悪い生徒は知っている。
タバコを吸う。
酒を飲む。
リンチをする。リンチとは複数で一人を殴る蹴ることだ。
僕は三つとも24歳、教員になった1年間にすべて見たり聞いたりした。だから僕はその後、新しい学年になり、トイレの場所が変わる4月、必ずトイレに行った。
ひとつ、ひとつトイレの個室でタバコの吸い殻を探した。
探す場所は決まっていて、指を突っ込んでみた。もちろん、新しい学校に行ったときも同じようにした。タバコは男子が多かった。リンチは男子も女子もいた。
いきなり急に、今日トイレで弁当を食べ始める度胸のある生徒はいない。
生徒は、少しずつ試していく。
たまって話す。
アメやガムを食べる。
落書きをする。
トイレのドアを蹴破る。
タバコを吸って隠す。
リンチをする。
先生が気づかない、見て見ぬふり。そういう積み重ねで、トイレで弁当、トイレでタバコに行き着く。
そうなった生徒は不幸だ。学年の授業も荒れ果てる。そもそも、その生徒たちは将来自分の娘、息子に自慢できるのだろうか。
「別に、やりたいやつはやればいいじゃん。」
これが最大の間違いだ。
こういう学校は100%間違いなくいじめだらけになった。例外はない。アメ、ガムから順に進み、最後は必ず、いじめだらけの学校になる。繰り返すが、例外はない。しかも、崩れるのは早い。天国と言われた中学校が、たった2か月か3か月で、別世界になる。
生きているのも、登校するのも嫌になる生徒がたくさん生まれる。
だから、先生たちはトイレにたまるのを、まず、やめさせるのだ。
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頭髪四色中を立て直した話14

2023-10-29 16:39:51 | 生活指導
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2023-10-29
頭髪四色中を立て直した話14
年末年始になり、卒業式の話になった。
僕はおずおずと、
「【群読】と合唱を組み合わせた、卒業式発表をしてみたいんですが」
と、学年会で言った。
学年教師は群読を知らなかった。
ということは、ものすごく小さな同じ市内でも、群読を経験しない中学校もあったのだ。
「それって、どういうこと? そういうこと? はいはいオーケー。」

学年が2クラスの職員は少人数で、仕切っているのは僕とほぼ同い年のベテラン女性教諭だった。
二人は生徒から信頼され、僕も初めて出会うタイプのできる人だった。
学級開きに始まり、連続する学校行事の成功のおかげで、群読の話はすっと10秒で通った。

頭髪学年の卒業式で、群読の途中、学年で中心になる男子がセリフで声を詰まらせた。
荒れ果てたはずの、合唱で声を出さないはずの学年が【群読の言葉】と【合唱の声】を張り上げた。
合唱用の壇上で、生徒はボロボロ泣いた。

卒業式のあと、最後のホームルームで、クラスの生徒が一人ひとり感想みたいのを言った。
そういう習わしらしかった。
みんなとても素敵なことを言った。
ひとりひとりとても長くしゃべった。
1、2年生のとき学年の先生に言われたひと言が自分を助けた、というのがいくつもあった。
ただ、僕に対する言葉はなかった。
僕はお客だったんだな。3年になるまで苦しかったんだな。

最後のさようならのあと、保護者が次々あいさつしてくれた。
クラスのほぼ全員の母親が、列をなして、僕にひと言、言うのを待ってくれた。
僕はいつも3年卒業のとき失敗するヘタレだった。
だから、いつまでも続く御礼の言葉に驚いた。
保護者でなくて、最も手がかかった生徒二人が、ずっと順番を待っていた。
そして、ありがと、だか、じゃあね、だったか。
笑顔で手を振り、帰っていった。
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頭髪四色中を立て直した話13

2023-09-25 21:10:48 | 生活指導
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2023-09-25
頭髪四色中を立て直した話13
【行事の保護者感想】
■1■体育祭アンケートのまとめ■
 大変遅くなりましたが、過日お願いいたしました「体育祭アンケート」のまとめです。
 体育祭後、息つく間もなく、文化祭(合唱コンクール)の取組みに入り、
 様子は学級通信でお知らせしているとおりです。
 毎日合唱が上達していくのを、生徒と一緒に楽しんでいます。
 匿名なら掲載可、のアンケート内容です。
 文化祭に向けて、あらためて生徒の励みになることと思います。

① 皆それぞれが一生懸命自分の力を発揮させ、取り組めた体育祭だったと思います。
保護者席から思わず、声援・応援の声を出してしまいました。

② とてもよい体育祭でした。
いちばん良かったのは、皆一生懸命なんだけれど、すっごく楽しんでやっていたという所です。
子供たちのニコニコとした顔を見ると、本当にホッとします。
指導された先生方も大変だったと思います。お疲れ様でした。

③ 応援する側と、競技に出る側とが一つになって、活気にあふれて良い体育祭でした。
一つのことに打ち込む姿は、見ていてすがすがしいし、
これからもこの経験を生かして、心身ともに成長していってほしいと思いました。

④ 生徒数の少なさを感じさせない活気があり、見ている側も自然と競技に引き込まれ、ハラハラドキドキ・・・・・・。
楽しい一日を過ごしました。応援団がとてもよかったです。

⑤ 二年目の応援団。
去年は半分すすめられてやったようですが、三年生に引っ張られてやる気が出てきたようです。
今年は自分から進んで受け、とてもがんばったと思います。
声もかれ、体もくたくたになるまで練習して、最後のカラーリレーのあと、本当に親としても感動しました。
競技も自分があの競技の時勝てたら、順位が一つ上だったら、三冠だったと、悔やんでいましたが、
でも一生懸命走る姿に、親としてよくやったと拍手しました。

⑥ とても寒い日でしたので、風など引かないか心配でしたが、寒さも吹き飛ぶくらい元気な体育祭でした。
家では甘えん坊な一面もありますが、やはり学校へ行けば、三年生になったんだなあと・・・・・・。
中学生最後の体育祭に、悔いのないものだったと思います。

⑦ 子供から毎日の練習の様子を聞いていたので、当日は感動しました。
子供たちの顔が、キラキラ輝いていたのが印象的でした。
一年生のかわいく、まだ子供っぽい体格から三年生をみると成長が良くわかり、年月を感じました。
兄弟の下なので、今年で本当に中学校生活も終わり。
親も体育祭を楽しませてもらいました。

⑧ 応援団の皆さん。お疲れ様でした。短い練習期間で、よくがんばったと思います。
とても、とても、素晴らしかったです。
一組のみんなは、とっても素直で純粋で一生懸命で、皆さんの涙にたくさん元気をもらいました。
PTAの綱引きに参加させていただいて、負けた時の悔しさ!思いっきり思い出しました。
みんなの涙、実感できました。
男子の友情、女子の友情、クラスの団結。
青春ですね!!たくさんの感動をありがとうございました。

⑨ 寒い中、皆がんばり、立派な体育祭を見せて頂きました。
勝っても負けても涙を流している子供たちから、一生懸命さを見せて頂きました。良い体育祭でした。

⑩ 子供たちには思い出に残る体育祭になったと思います。

■2■合唱コンクールご感想より■

① 3年生は、1組、2組とも本当に上手でした。
「さすが3年生!」という思いを多くの人が感じたことでしょう。
たくさんのお母さんたちからほめて頂いて、すごくうれしかったです。
「勝ちたかったなあ・・・・・・」というのが本音ですが、
「頑張ったのだからいいじゃない」というのも本当の気持ちです。
保護者の立場から言うと、
いい意味での競争心をもたせることは、絶対に必要なんだということがわかりました。

② 三年生ということで、練習の時から気合が入っていたようです。
朝練は間に合わないこともあったようですが、先生にこう言われたとか、いろいろと家でも話をしていました。
当日、親バカかもしれませんが、さすが三年生!という感じで、感動しました。
私としては、3-1が優勝だと思っていました。
結果はのがしましたが、歌っている子供たちの顔はキラキラ輝いていて、
優勝以上の思い出ができたことと思います。ち
なみに、今日、11月8日でもまだ口ずさんでいる我が子です。
ご指導ありがとうございました。

③ 体育祭に感動したので文化祭も素晴らしいのでは・・・思っていましたが、見学することができませんでした。
残念です。
練習の様子は学級通信でお知らせいただいていて、
その度、頑張っている様子がうかがわれてきたので、本番当日も全力を出し切れたことと思います。
負けは負けでも、頑張って頑張っての負け。
何もせずの負けでなかったことに拍手したいです。
皆さんお疲れ様、ご苦労様でした。

④ 今まで三年間の中で、いちばん声も出て音質もよく上手でした。
本気で頑張れば、レベルはどんどん上がっていくものだな、と驚くとともに感心しました。
先生が引っ張って行ってくれて、それぞれの責任分担を一人一人が真剣に果たした結果だと思います。
これを通して、生と一人一人が、やればできるんだという自信につながり、
これからも挑戦していく心を忘れずに、自分の人生を切り開いていって下さいね。期待してます。

⑤ 伴奏をすると決めてから、合唱曲も決まり、毎日練習している姿。
先生にテープをダビングして頂いて、一生懸命聞いて覚えて日に日に弾けるようになり、
毎日学級通信で伝わってくるクラスの様子。
みんなが一生懸命歌っている様子が、目に浮かぶようでした。
どんどんうまくなる歌。
納得できない自分の技術。
学校から帰ると
「すごくうまくなったんだよ。感動しちゃう。楽しみにしていて。私も頑張らなきゃみんなに申し訳ない」
と毎日聞いては、とても楽しみにしていました。
そして当日。全クラスのレベルの高さに驚き、本当にすごい合唱を聞かせてもらって感動しました。
全員の努力と先生の熱意。
クラスが一つになって、きっと一生忘れられない素晴らしい思い出ができたと思います。
私からも皆さんに「ありがとう」と言わせて下さい。

⑥ 皆さんお疲れ様でした。
私はいつも学級通信を読んで、毎日大変な努力とクラスの和、貴重な汗と涙のドラマがあったことを知り、
感動していました。(3年B組金八先生のクラスともダブっていました)
どんな時も、どんなことであっても結果を出すためには、
いろいろな人、仲間の支えあいがあってのことであり、その感謝も忘れないでほしい。

⑦ 20枚近い文化祭についての学級通信。
先生の熱心さが伝わってきました。
子供たちも先生について、朝、昼、夕と練習を重ねたのでしょう。
家に帰ってもお風呂の中で歌っていました。
三年生らしく、去年の子供たちとは思えないくらい素晴らしい歌声、
そしてなんと言っても態度が良かった。
体中が熱くなってしまった。
子供たちにとって、また一つ思い出ができたのではないでしょうか。
クラスみんなで楽しんだ、頑張ったことが・・・。
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頭髪四色中を立て直した話12

2023-09-23 16:17:13 | 生活指導
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2023-09-23
頭髪四色中を立て直した話12
掃除以外に取り戻せなかったことがある。
【成績】だ。

中学2年生のとき、登校時間自由・下校時間自由・授業中抜け出し入るの自由、の生徒がいたという。
前述の通り、クラスの出席簿には遅刻・早退が繰り返し記録された。
月間総数数百だったという。

中学3年生になり、教室の出入り自由は一切なくなった。
だが、2年生の5段階評定は残った。

3年の三者面談で、何人もの生徒、保護者に伝えた。
「Bさんの学力はとても高い。
 ご希望のC公立高校の合格率は、過去の受験生実績に照らして十分ある。
 ただし、2年生の評定が低い。
 かつ、遅刻早退欠席数を入学条件に入れる学校もある。
 Bさんは、公立高校入試で十分高い点数を取ると思われる。
 しかし、総合的に合格はかなり難しいと考えられる」

どうしてもあきらめられない生徒は、希望通りの公立高校を受験し、合格できなかった。
1、2年で正常な授業が成立していれば、楽に合格できる学力を彼らは持っていた。
不合格だが心打たれる生徒の凛々しさは学級通信に書いた。
僕は多くを学んだ。だが、もう繰り返すことではない。
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頭髪四色中を立て直した話11

2023-09-23 15:28:55 | 生活指導
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2023-09-23
頭髪四色中を立て直した話11
中学1、2年でできなくても、年が上がれば、どんなことも上達する。
そう言う教員がいるがそんなことはない。
1年生の育て方がが全てだ。
1年生でできるようにさせられなかったことは、2、3年で取り戻せない。
こんな教員がけっこういる。
「もう、2年生なのに、何でできないの」
できないよ。
教員が1年生のとき、育てなかったのに1年歳を取っただけでできるようになるはずがない。
1年生の4月が全てなのだ。


四色校で授業、行事が正常化しても【掃除】だけは卒業式までどうにもならなかった。
その理由は五つある。
① 1年生の4月、最初の掃除の時間の前に【方法】【組織】を固めなかったからだ。
② 掃除に【評価】をしなかったからだ。
③ 掃除の【やり方】を具体的に教えなかったからだ。
④ 掃除が【生徒にとって最もやりたくないこと】だからだ。
⑤ 付け加えれば、担任が【一緒に掃除をしない】からだ。

掃除なんてできるのが当たり前だと、教員は育ちがいいから思っている。
掃除のような下賤な行為を、担任が手伝うものではないという人もたまにいる。
よほど幸せな教員生活だったのだ。
掃除だけ、なぜ逃げて生徒が平気なのか、分からない教員もいる。
掃除は大人にとっても、最もやりたくない仕事だ。

僕は三十過ぎに転職先を探したことがある。
残ったのは【清掃員】か【パチンコ屋】か地方の山深いホテルの【ボイラー整備員】だった。
六十直前には、唯一残った【アトラクション会場清掃員】の面接を受けることになった。

最後は【清掃員】だ。
その仕事を軽んじてはいない。
だが、毎日毎日(俺は次、このかたのように、駅の便所の清掃をするのか)と想像し、
「俺には、そんな度胸はない」
と思った。
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頭髪四色中を立て直した話10

2023-09-11 18:31:43 | 生活指導
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2023-09-11
頭髪四色中を立て直した話10
10月まで授業は整然と、生徒のやる気は満々だった。
ペースメーカーの数人がどんどん質問した。
3年生になって、進学が気になり始めたからだ。
それで十分だった。教員も皆目は上を向き、報酬のために働くのだ。
生徒も同じことだ。
行事は一つ一つ成功させた。
これは、気迫が勝ったとしか思えない。

でも、掃除だけは全くどうにもならなかった。
授業が終わり、掃除があり、帰りの会がある。
そういう時程だったから、掃除はとてもサボりにくい。

午後の授業が終わり、なぜか机と椅子を教室のうしろに下げることだけ彼らはした。
そのあと、教室には一瞬で誰もいなくなった。
始業式の4月から卒業式までそれは続いた。
どこに行ったのか、とうとうわからなかった。

それで、僕は、教室をほうきで掃き、はいつくばって床を雑巾でから拭きし、机を運んだ。
そして、教室のうしろ半分を、掃き拭き40脚弱の机を運び並べた。
それまで20年弱の経験ではだ。
誰か一人や二人は、僕を見るに見かねて、手伝い始めるものだった。
だが、この一年間は違った。
数人は途中で教室に戻り、僕が雑巾拭きをしているのを眺めていた。
「先生のパンツの色が透けて見える。アハハ」
と明るく女子が笑った。
だが、誰一人、机を運ぶのを手伝うこともなかった。

僕は、そうかアハハ、と笑いながら掃除を続けた。
4月始業式に「時間を守ること、話を聞くこと以外は決して怒らない」
と言った通り、何も言わずに一人で掃除し続けて、1年経った。
掃除が終わると、クラスの生徒は何もなかったように席についた。

1、2年のときもきっと、掃除は一度もしなかったのだろう。
または、1年の最初はやったのか。
いや、1年の最初に掃除指導ができなかったから、3年になってもやらないのだろう。
他の学年教員と、掃除についてどんな話をしたのか全然覚えていない。

掃除サボりが、他人にどんな迷惑をかけるかを話した覚えはある。
(一人で掃除して、それで授業が毎日平常なら楽なものだ)
そう思うしかなかった。
とにかく異常だった。
生徒の何かが大きく狂っていた。

1年入学直後の数日間が、3年間を決める典型的な見本だった。
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頭髪四色中を立て直した話9

2023-09-08 18:32:24 | 生活指導
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2023-09-08
頭髪四色中を立て直した話9
9月末の体育祭から、合唱コンコンクールまで1か月弱の期間があった。
自然な準備期間だ。
授業を削らず、生徒の負担が重すぎない。
担任も十分な準備ができる。

半年前の異動の時に、
「この学年は全く歌わない。声を出さない。どうしていいかわからない」
と聞いた。
夏休み前の授業と行事を見て、何で歌だけ歌わないのか不思議だった。
だから【選曲】は片目をつぶって無理しなかった。
中3にはやさしめの曲を候補にして、クラスに聞かせて決めさせた。

練習中、クラスの生徒は全員、誰一人乱れなかった。
歩きまわらずフラフラせず、僕のアドバイスに集中した。
生徒の指揮者、伴奏者に集中した。
歌のセンスも声量も、どの中学校にも引けを取らなかった。
練習の1か月間、歌の質を上げること以外で苦労することは一つもなかった。

1年生、2年生のとき、全く声を出さなかったと学年職員が言ったのはどういうことだろう。
こんなに真面目で上手なら「大地讃頌」を歌わせるんだったと、しばしば思った。

練習の前に生徒に訊いた。
「パートリーダーって、いたの?」
「いなかった」
「……そう。パートリーダーいたほうがいい。
 絶対に、いたほうがいい。
 俺が言うんだから間違いない。信じる? 作る?」
クラスの多くはうなずいたが、なかったものを信じろと言っても難しい。
抜群の合唱指導をする知人に、そのくだりを話すと彼は言った。
「よくそこまで言えるよな」

僕は例年通りに、楽譜を研究して、コツを学んで、生徒に伝えて、練習中に部分を繰り返させた。
模造紙に歌詞を書いて、ブレスや曲想を書き込み、練習ごとに黒板にぶらさげて教えた。
ただ、残念ながら僕は合唱コンクールでクラスを優勝させたことはなかった。
歌をある程度上手にさせるのはできた。
でも、そんなことは誰でもできる。
勝つために、どうすればいいかは退職までとうとうわからなかった。

生徒は、初めてのパートリーダー中心に練習した。
ものすごくよく練習して、上達した。

3年生がたったの2クラスで、優勝も何もないが、勝ったのは隣の担任クラスだった。
とてもいい曲で、伴奏も指揮も歌も、すごく上手だった。
僕のクラスもうまかった。
うまかったから、生徒は悔しがった。
コンクールのあと、体育館から教室に戻るまで、クラスの生徒はたくさん文句を言った。

僕は20年間負けてばかりだったから、フォローの言葉は豊富だった。
行事で勝っても負けても、その直後の担任の話は、ものすごく重要だ。
だって、プロじゃないんだから。
担任と学年が何かを学習させるのが、義務教育の、中学3年生への仕事だからだ。

僕は、クラスの全員が着席するまで何も言わなかった。
静かに、全員を見渡して、ゆっくりとしゃべり始めた。
「体育館から教室まで、お前たちが言ったグチ、文句はすべて忘れてやる……。」
そのあとを忘れた。
当時の学級通信には書いたけど捨ててしまった。
我ながら、過去一番のいい話だった。
ある男子が、合唱コンの感想で、
「先生の話を聞いて、感動した。気持ちが変わった」
みたいなことを書いたのは覚えている。
要するに、勝ったクラスが喜んで、負けたクラスが落ち込んで、
その後の授業にも影響があって、負けたら失敗だったやらなきゃよかった、
と赤ちゃん並みのことしか考えられないなら、行事などやらないほうがいい。
職員のいくらかも、赤ちゃん並みの思考しかないことが多い。

コンクール直後に、二、三人のベテランが僕の席に来て、言ってくれた。
「比べようがなかった」
「レベルが高くて、音楽科以上のことは分からなかった」
過去、2年間全く声を出さなかったという学年に、他学年の腕利きがわざわざ言った。
前年度まで勤めた中学校はものすごく合唱のレベルが高かった。
だから、僕も隣のクラスも高レベルでないのはわかっていた。
しかし、成り立たなかった合唱コンクールが、かなりイケてるレベルで人の心を打った。
それは成功としか言えない。
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頭髪四色中を立て直した話8

2023-09-01 20:31:18 | 生活指導
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2023-09-01
頭髪四色中を立て直した話8
全校で6クラスしかない中学校で体育祭ができるのだろうか。
しかも、3年の授業と生活はほぼ正常に戻ったが、2年は授業もHRもメチャクチャだった。

前任校は時間も労力も膨大に使った。
組体操の途中で男子の腕が骨折すると、体育科が何もなかったように、
折れたか救急車呼べ代わり入れ、
と言い練習を続ける職場だった。

今度は9月末日のために、それほどとは思わない時間で練習した、気がする。
細かいことは記憶も記録もない。覚えているのは、
1 応援合戦がある。
2 昼食をはさんで午後まである。
3 種目はそれなりにけっこうある。
4 学年縦割りで2カラーで行う。
ことくらいだ。
前年度の体育祭がまともだったわけはない。
誰にも訊けなかった。

僕は苦手な応援合戦指導をした。誰も他にいないからだ。
団員は3年中心に2年生を入れて、10人か12人だった。
前年通りの人数だったのだろう。
毎日教室で練習して、シンプルに見栄えがして、短時間で終わるようにした。
やわらかい、チアダンの初歩のような演出で、けっこうきれいにまとまった。
2学年主任の剛腕で僕と同い年の男性が、ひと工夫を生徒に教えてくれた。
カラー席の生徒も少し使い、一体感を出した。

組体操の練習時間、体育科が指導するのをとなりで見て、補助に入った。
この練習は結構好きでうまくいくので、さり気なくあちこちの男子の手直しをした。

生徒は、皆、いつもとてもがんばった。
だらだらしたり、途中で帰っちゃったり、文句を言ったりすることは一度もなかった。
体育科の指導は……。行事の指導は、授業と同じなのだ。
一時一事。短い指示。見本。反復。激励。コツを教える。それができるかどうか。
名高いかっこいい人だったが授業もこんなふうなんだろうな、と想像した。

体育祭当日は、今40年近く経っても覚えがないくらい寒い日だった。
生徒の中には「寒くて、体育祭のことは何も覚えていない」という女子もいた。
競技は、皆、全力だった。
生徒が少なすぎて、選手以外の応援席はガラガラだったが、席にいる生徒は思い切り応援した。
応援合戦は明暗が別れた。
僕のカラーは、始め中終わりがくっきりして鮮やかだった。
隣のカラーは、何をやっているのかわからないまま終わった。
たぶん、生徒の主体性を尊重、して作ったのだろう。崩れる学校のパターンだ。

体育祭の結果は、僕のカラーの勝ちだった。

たった2カラーで、勝ちも負けもどうでもいい。
去年、授業も、宿泊キャンプも、行事も、遅刻欠席も、メチャクチャだったのだ。
修学旅行の終わりに、行事の成功を職員が感激して喜び合った。
だから、
「体育祭が、正常に成り立った」
ことだけで、奇跡的な大成功だ。
しかも、形だけできたどころか、生徒全員が全力を尽くした行事だった。
僕はとても感激した。
職員の喜びと達成感は、そこにある。

だから、職員室に戻ると、隣クラスの女性担任と、大成功を喜び合おうと待ち構えていた。
でも彼女は言った。
「悔しい。負けた」
顔つきが本気だった。
修学旅行の成功を忘れたのだろうか。
それで僕は「素晴らしい大成功の行事でしたね」と言うこともできなかった。

問題は、生徒がどうだったか、今年度を乗り切れるか、来年度にどうつながるかなんだ。
がっかりした。
そんな意識だから荒れ果てたんじゃないかとさえ思った。
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頭髪四色中を立て直した話7

2023-08-29 19:51:42 | 生活指導
カテゴリー別目次
2023-08-29
頭髪四色中を立て直した話7
保健室の騒乱を収めたあとだったと思う。

朝、出勤すると僕の下駄箱のフタが、ボコボコに全面へこんでいた。
職員用下駄箱はスチール製で、一つ一つが、片側を軸に開閉するフタが付いていた。
僕の下駄箱の位置は、下から三段目くらいで、カカトで蹴り込むにはちょうどいい高さだった。

僕はフタをなんだこりゃと眺めた。
それから、フタを開き両手でもぎ取ろうとした。
左右にねじっても上下に体重をかけてガタガタゆすってもフタは取れなかった。

なんで何もしなかった大人じゃなくて、俺の下駄箱なんだ。
遅刻早退をなくし、授業と修学旅行と保健室を正常化した。
僕は靴を来客用の番号1の下駄箱に入れた。
それは、手を伸ばして上げる高さにあったからだ。
これなら蹴ることはできないだろう。
そんな気持ち悪い下駄箱に二度と靴を入れる気はしなかった。

2階の職員室に上がってから、誰に報告したか覚えていない。
23年前のことだから細かいことは忘れてる。
たぶん、学年主任とか生担とかに言ったんだろう。

でも、ボコボコのフタが話題になることはなかった。
生徒に聞き取りをするくらいはあってもいいんじゃないか?
こういう馬鹿げたことがあったとか全校生徒に話すだけでもいいんじゃないか?
数か月のうちに、僕のクラスのAとBや、隣のクラスのCの仕業だといううわさは聞いた。
結局、いわゆる生徒指導は何もなかった。
フタも少なくとも1、2か月、確かもっと、取り替えられることもなかった。

報復ではないが、隣のクラスからは想像できない変な反抗行為を受けた。
これはめんどくさいから書かないかもしれない。
次は9月の体育祭だ。
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頭髪四色中を立て直した話6

2023-08-28 19:27:06 | 生活指導
カテゴリー別目次
2023-08-28
頭髪四色中を立て直した話6
保健室に毎日男子がたまっているのは聞いていた。

見に行ったのは夏前か夏のあとかどっちかだ。
学級のことで精一杯だったからだ。
とにかく、9月末の体育祭前に決着はつけた。

十分休み。十数人の3年生が、狭い保健室の中で暴れ回っていた。
ベッドの上に、5、6人の生徒が上履きのまま乗り、跳ね回っている。
その他の生徒は、鬼ごっこやプロレスごっこをしている。
昼休みも同じだった。

初めて見た瞬間僕は体育館で300人に通る声で怒鳴りつけた。
「出ていけ。遊ぶところじゃねえんだ」
僕は4月から温厚な新米で通していたから、生徒はすぐに言うことは聞かなかった。
なめているのだ。
何度か別の言葉で怒鳴り続けて全員外に出した。
養護教諭は、黙って背中を向けていた。

元々いる教員は、全員知っているはずだ。
こうやって放置して、1年次、2年次と暴れ方はエスカレートしたに決まっている。
その日から、授業が詰まっていない休み時間、僕は毎回保健室に行った。
そして、怒鳴りつけて、男子を追い出した。
自分のクラスも、隣のクラスもいた。
一切手は出さなかった。

そのうち僕は、休み時間になると同時に、保健室入り口にイスを置いて座った。
やってくる男子はまだいた。
「なんだ」
「身長を測りに来た」
とかなんとか男たちは言った。一人で来る度胸はない。
「放課後に来い」
と言っても言い訳する者には、戻れって言ってんだよ、だかなんだか忘れたけど
言って追い返した。

数日後、模造紙にでっかく文字を書いて、保健室のドアに貼り付けた。
休み時間に毎回僕が来られないときも多かったからだ。
「保健室は、体の具合が悪い人だけが来る所です。
 それ以外は入室禁止」
くわしい言葉は忘れてしまった。

9月末日に体育祭があって、そのとき保健室は落ち着いていた。
二クラスのうち二人が、体育祭の途中に勝手に出入りした。
その程度になっていた。

その間、他の職員は、ただの一人も保健室に来なかった。
3学年の他学年の教員はもちろん、3年の教員も来なかった。
僕が「一緒に保健室で追い出してください」と言わなかったから?
わけが分からなかった。

翌年、新一年生の担任になってすぐ【保健室利用カード】を勝手に作った。
それで、保健室で誰かが暴れることはなくなった。

だが、秋になり生徒の報復はあった。
少なくとも2年間当たり前のことを誰もしなかった八つ当たりが、新入りの僕に来たんだ。
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