円の外へ

20070121開設/中学高校国語授業指導案/中学校学級経営案/発達症対応/生活指導/行事委員会指導

こんな満月に死にかけた

2024-09-17 20:35:36 | 2024年度雑記
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こんな満月に死にかけた
三十代中頃、中2のクラスがすくすくと育った。
新卒の年、教頭が、
「10月になったらもう、クラスは、動いて動いて見ているだけで楽しくなる」
と言った。そのかたは、授業も国内で一流で、実際に見て理解した。

すくすく育ったクラスが、担任を越え、動いて動いて驚くのを初めて経験して、
「学級経営とは、こういうことか」
と思った。

今夜と同じ9月の満月の週末に、チャリに乗って海沿いの公園に出かけた。
途中、コンビニで4合の焼酎を1本買った。
海辺に着くと、僕は水際にチャリを停めた。
鉄のガードレールをまたぐ。
なんだ、その、波打つコンクリートの端に座り、足を海側に投げ出す。
3メートル下に、いい音を立てて波が打ち寄せている。
まん丸の満月が目の前に浮かんでいる。

焼酎などろくに飲んだことはない頃だった。
その夜は、飲める気がした。
ボトルのスクリューキャップを開けると、僕は小瓶のビールのように飲み始めた。
ざぶざぶと足元で波の音が続く。

いい気分だった。
担任の幸せって、こういうことなんだ。初めてだな。
満月は僕を笑って見ている。

気がつくと、幅40センチほどのコンクリートの棚に横に倒れて寝ていた。
いい気分だった。でも、潮が満ちて波は足元に届きそうだった。
右手のボトルは空だった。

これはちょっと危ないのかもしれない。
逃げたほうがいいのかもしれない。
立ち上がって、と。歩いて、と。
左下に波が打ち寄せるのは暗くて見えないが波の音が大きくてわかった。
40センチ幅の道を、僕はふらふら3メートルくらい歩いてチャリを見つけて、手で引いて、草はらで倒れた。
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市内国語弁論大会(14年前記事・公開)

2024-09-14 17:00:51 | 中高国語など指導案
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市内国語弁論大会2010年9月
市内国語弁論大会(14年前記事公開)
2010年9月記述・管理人50歳・本日再編集2024-09-14
(再掲かもしれませんが、僕にとって大切な文章なので残します)

今日は市内中学校国語弁論大会だった。
十数校から代表生徒一人と付き添いの教員、保護者が集まった。
僕の務める学校だけが、私立学校だった。
大会の最後に、公立国語科で大会責任教員の講評のようなものがあった。
その公立中女性教員は、7、8分間の間に31回、
「えー」
を繰り返した。
ひとコマの授業にして200回以上「えー」と言う計算だ。
こういう人が結構いる。
しかも、明らかに事前に生徒の作文題名からだけ推測して書いた、事前記述原稿の音読だ。
つまり、今日までに生徒が発表した何時間か、十数時間かの努力を無視している。
即日講評の能力がない、又は、恥をかきたくないのだ。

こういう行為を講評とは言わない。
ひどすぎて僕はうつむいて聞いた。
両隣に座っている。本校の15人位の生徒が、そんな僕を不思議そうに見ていた。
よくもまあ、あの十数人の代表生徒の努力の結晶のあとに、こんなひどい話を5分以上もできるものだ。
恥を知れと、僕は声に出さず叫んだ。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

僕は弁論会場に、本校生徒集合時刻の50分前に着いた。
昨日の前日リハーサル後、帰宅してから弁論者Aさんのことを考え続けていた。
僕は、
「がんばって」
という言葉が、いかに無駄で逆効果かを説明した短文を、
見学生徒と、もう一人の若い引率教諭に配っておいた。
周りが緊張するとAさんに伝染する。
見学生徒が会場に着くたび、その生徒に近寄り、

「Aさんに、緊張するな、は言うな。がんばって、は言うな」
「わかったら心の中で三回繰り返せ」
と一人一人に言った。済んだら名簿に丸をつけた。

待ち時間にホール前を覗くと知り合いのベテランY女性教諭がいた。
「や、やす先生ですか? どうしたんですか。弁論大会ですよ」

だから来たんだ。
彼女は二十年来の知り合いの国語科で、僕の私立勤務校近くの公立中にいる。
僕は干渉されたくなくて、初任校から遠い私立勤務校を誰にも知られないよう気を配っていた。

「あ、Y先生。お久しぶりです。身分はこういうものです」
と彼女に身分証を見せた。
隣の学校じゃないですか、と彼女は言った。

20年前、僕は30になるかならないかの頃、市教委に頼まれて新採用50人前後に研修講座をした。
その中の一人がY教諭だった。
知り合いなのでたっぷり皮肉を言った。

「Y先生。本日は、本市の弁論のレベルを勉強させていただくために参りました。
何しろ、うちの毎日ベロンベロンの校長によれば、本校は公立中の先生がたから、
ベンロンノレベルガ毎年サイテイ、と言われているそうですから」

弁論大会で最低の評価がずっと続いていると言ったのは、勤務している私立学校の校長だった。
「私はね酒好きでねぇ、
よく市内の校長と飲むんだけど。
うちの中学生の弁論はレベルが低いって。
いつも公立の先生がたが、酒場でそう言っているんですよ。」

それは、校内の中学生全員を集めた、集会の言葉だった。
まだ子どもの、しかも自分の学校の、中学1年から3年まで全員を集めた集会でそんな話をしたのだ。
ひどい管理職はずいぶん見たが、下には下がいる。
「う、ち、の、さ、ん、ね、ん、せ、い、の、弁、論、の、レベルが低いだとっっっっっっっお!
二日酔いの学校○も、こ、う、り、つ、の、や○○も、どの口で言ってやが○○だっ!
見てろよおおおおお」
と、僕は心に決めた。
校長はじめ教員はともかく、僕が授業していた中学1年、3年は抜群に素敵で優れていたからだ。

本校周辺の公立中学校の授業の様子は近隣の公立中教諭から聞いていた。
授業不成立の公立中学校の教諭は飲み会で集まると、僕の勤務校の弁論のレベルが低いと言っている。
うちの3年生を舐めているとしか思えない。
勤務校の、僕のこんな素敵な中学3年生をだ。
校長の言葉を聞いてから、市内の公立国語科に目にもの見せてやるという感情が芽生えた。

以来1か月。
授業で練習を繰り返して、弁論発表会の今日が来た。
大会には、学校代表のはずだが、3年生ではなく2年生の弁論が8校続いた。
厳しい学校状況なのだろうか。
3年より2年の力が上なのだろうか。わからない。
前半の約10人の弁論が終わり、休憩後3年生の弁論になる。

僕と練習した、Aさんの弁論はここではどう聞こえるのだろう。

Aさんを含めて「弁論」と言えるレベルに値する発表は、3年生9人中3人いた。
3人のうち一人は実に良かった。
力強い。
間もスミを押さえることも習っている。
内容に深みもある。
3人を除く3年生も皆素敵だった。
指導法を知っている教員もいるのだ。

ただ、国語科が聞けばすぐわかるが、教師が見栄のため、ズタズタに書き換えた作文が数点あった。
そんな語彙と言い回しを中学生は持っていないのだ。
なぜ、そんなことをするのだろう。
その教師や中学校にとって、何が大事なのだろう。

他校で、実に優れた女子生徒が一人いた。
でも、本校のAさんはその生徒を上回った。ものすごい勢いだった。
緊張のきの字も見せなかった。
昨日の学校内でのリハで、彼女は9月以来、初めて硬い表情を見せた。
もしかしたら学校でやったとおりにできないのかもしれない。
そう思った。それはそれでよい。なんでもない。
Aさんは大きく学習をして育つ。
だから、見栄のためズタズタに書き換える国語科の気が知れなかった。

本番、校内練習の二倍くらいの迫力でAさんは語った。
そんなことは、普通の教員ごときには決してできない。
ニコニコと。
会場全員を見渡して。
自然に湧き出す身振りを交えて。
マイクなどAさんだけには必要ない声量だった。
Aさんのあと、他校5人の3年生が語った。
Aさんの直後が、実に優れた女子だった。
その優れた女子は、まさか過去20年間、最低の弁論をした私立学校の生徒が、
最高の弁論をするとは思わなかったのだろう。
それで、Aさんが自然に体から湧く身振り手振りを、急に真似し始めた。
生徒を悪く言うつもりはない。
でも、思いついたことをできるはずがない。
不自然で、気の毒だった。
だが「弁論」としては比較にならなかった。

発表会が終わり、帰り際、前述のベテランY女性教諭が僕を見つけて近寄ってきて言った。
「見違えるようでした。
いちばん良かったです。」
僕は答えた。
ホールに響き渡るように。
「いえいえ、公立の先生がたにはとてもかないません。勉強させて頂きました」

後日、Y助教諭がメールを下さった。
「本当に、**私立中学校の生徒は、20年以上最下位の発表だったんです。
指導でこんなに変わるんですね。
なんだか、怖くなりました」
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ありがとう2021年11月

2024-09-14 15:43:12 | 2024年度雑記
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ありがとう
2024-09-14掲載 2021年11月某日記述
(再掲かもしれませんが調べられませんでした)
授業へ行くために階段をのぼった。

のぼりきったところへ、1年生の授業クラスの女子、男子がつめかけて、テストについて質問を始めた。
「試験範囲は、いつ配られますか!」
「ことわざは、何問出ますか!」
「何点分、出ますか!」

いちどにすごい勢いで話しかけるので、聞き取れないし、答えられない。
それに、いつもわりと無口な女子もやたらに気迫がある。
「一度に言ったら、わかんないよ~」
えーと。範囲ね。範囲は・・・・・・。と一人一人答えた。
ずいぶん、やる気になってるなあ、とここでは何もわからなかった。

廊下を歩いていくと、今度は男子が数人、文庫本を持ってつめかけた。
「この本おもしろいですよ。」
「貸してあげます。読んで下さい!なんとかかんとか、なんだかんだ、ああだこうだ!」
あー。そういうことか。

長いこと、この仕事をしていると生徒の企画はすぐわかる。
でも、中学生に教えるのは久しぶりなので、にぶっていたし、期待もしていなかった。

ぼくは、授業の荷物をろうかに置いて、じっくりと話を聞き、どんどん答えた。
伝令(でんれい)役の生徒が、ちょろちょろぼくたちと教室を行き来している。
(もういいよ)と、伝令役がこっそり言うのがぼくにも聞こえる。
このアホさがたまらない。かわいすぎる。

ゆっくり歩いて授業教室に入る。まだ休み時間だが、全員席についてぼくを見る。ぼくは、(何をしたのかな?)と教室を見回すと、黒板にいっぱいのお祝いの絵と言葉が書いてあった。
「おーーー。ありがとう。こんなことしてくれるなんて思わなかった。うれしいね!」
そして、これは予告通り無理矢理♪ハッピバースディ♪を歌わせる。予定通りのお話をする。しかし、このクラスは話を聞くときものすごく澄んだ目で聞くのだ。あぶないっ。

では授業を始めましょう、と僕は竹取物語を追い読みさせた。
生徒の板書には慣れていた。
でも、教室に入れないように必死に時間かせぎする生徒の顔が目に浮かんだ。
声が少し震える。
あぶない。
早く読み終わらないとあぶない。早く読み終わろうとするとよけい胸がいっぱいになる。
目のふちが熱くなりかける。あ、あぶないっ。
「では、漢字ドリル」と言ったあとしばらく、だいぶがんばって何かこぼれてしまうのを我慢した。
とても感激しました。
4組のみなさん。ありがとうございました。うれしいです。
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どんどん漢字を書く力が落ちる理由

2024-09-03 18:44:17 | 中高国語など指導案
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どんどん漢字を書く力が落ちる理由
2024-09-03掲載 2024-06-06記述
 46歳の時に公立の中学1年生を担当した。
 現在勤務している公立中学校の生徒と同じように、授業が始まるときには、全員漢字ワーク・プリントが開いてあった。
 その漢字ワークには、「なぞり書き」の部分がなかった。それで、手本の小さな漢字をなぞらせた。そして、コンビで採点させた。
 学年に一人、重い障害を持つ男子がいた。上手に歩けなかった。字を書くのも苦手で、漢字をなぞるのは、とても難しい。
 しかも、彼は翌日になると、担任の先生の名前を忘れてしまう。僕の名前も明日になると忘れてしまう。
 僕は4月に、心に決めた。
「今年1年間で、一度でいいから、漢字ドリルで満点を取らせよう」
 満点と言っても、10点か12点だ。だが、その満点は彼にとっては、1000点、2000点の価値があるはずだ。
 彼は毎日、休み時間のうちから、その日の漢字を「指書き」で練習していた。そして、僕が教室に行くと、ヒマワリのような笑顔で
「練習しました」
と言った。
 彼は書くのがゆっくりで、文字も読みにくい。だから、毎時間僕が採点した。コンビの生徒には、自分で採点するよう頼んだ。
 4月が過ぎ、5月のある日、彼は10点満点を取った。
 僕は丸をつけながら、見まちがいがないかよく見てから、
「○○くん。満点だよ」
と言った。胸がいっぱいになって、それ以上何も言えなかった。彼の手を両手で握りしめた。

 50歳の時に、私立の中学1年生を担当した。
 同じように、指書き・なぞり書き・写し書きを毎回やった。
 ある日、小柄な男子が質問に来た。
「どうして、先生の授業は、早く終わるんですか?」
 どういう意味だろう。僕はそのとき、うまく説明できなかった。
 夏が過ぎ、秋になって、その男子のお母さんが、僕に手紙を渡しに来た。わざわざ学校に来て休み時間の教室に来てくれたのだ。
 手紙にはこんなことが書いてあった。

【息子は、小学校の時、漢字テストはいつも0点でした。
 まったく漢字が書けませんでした。
 国語以外のどの授業でも、時々頭痛が起きて、帰宅することがありました。
 ところが、先生の授業になって、漢字がだんだん書けるようになりました。
 最近はいつも満点です。
 家に帰ると、「カエルの授業はああだ、こうだ」と色々話します。
 失礼ですが、先生のことを息子はカエルと呼んでいます。
「授業を全部カエルがやってくれたらいいのになあ」
と言っています。
 母親の私には、漢字などがなかなか覚えられない特徴があり、息子も同じ状態らしいです。
 この学校に入学させるとき
「息子は勉強が苦手なタイプだが、きちんと見てもらえるか」
と質問しました。校長先生は
「うちの学校には専門家がいるから、大丈夫だ」
と言いました。
 けれども、先生の中に専門家は誰もいませんでした。
 先生のように知識のあるかたに授業が当たって、ありがたいです】

 漢字が全くできない生徒と保護者にとって、漢字を書けるようになることは、大きな喜びだ。 
 僕は40歳過ぎてやっとまともな漢字指導ができるようになった。
 小学校・中学校で、授業の中で毎回5分ずつ漢字指導をする。
 それだけで、漢字は宿題の悪習の、何倍も生徒の力がつく。
 そうでなければ、上の二人のような生徒は決して生まれない。
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