カテゴリー別目次
2022-09-10
小学校では原稿用紙400字を6年生まで一度も、一枚も書かせない。
最近知った。
今目の前にいる生徒が、作文だけ、全く書けなかったわけだ。
【以下、今年度最初の、中学2年生作文例】【一字一句、句読点一つ直していない】
■以下2022度4月記述■
1
家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目は、そもそも担任の先生がクラス全員の家をまわる必要があるのかというところだ。この学校には一年に「三者面談」が二回もある。保護者・子供・先生で話す機会は少ないかもしれないが、わざわざ担任の先生の仕事を増やすまでもないだろう。
二つ目に、「家庭訪問は必要か」という趣旨からは離れるが、家庭訪問は毎年やる必要があるのかを考えてみた。中学校では先生が基本持ち上がりが多いため、担任の先生が変わらないことだってある。もし、毎年家庭訪問が行われていたら二度、または三度と同じ家を訪れなくてはならない先生が出てくるかもしれない。毎年やる必要はないだろう。
家庭訪問はそれぞれの家の事情を把握するためには大事なことだ。でも毎年ではなく、中学生の間で一度だけ行うのがよいだろう。
2
家庭訪問は不要だ。理由は2つある。
一つ目は家族の人と会話したいというのならば、それは三者面談で応用できるからだ。教師の立場になっても、家に訪問するのは面倒くさい。ましてや、家の人にとっても気を遣ってしまう。教師が来て、ジュースが減る。のは断じて嫌だ。だが、学校に行くことで、その問題は解消される。なぜなら、気を遣わずに座っていれば話は終わるのだから。
二つ目は学区や通学路を確認したいのならば、アンケート的なものを配った方がいいからだ。このアンケートというのは、保護者が学校から家までの通学路を明確にしたものだ。こうすれば学校側の負担もないし、家庭側も10分くらいで書き終わるだろう。
つまり、家庭訪問はどちらに対しても労力を使うという事だ。よって家庭訪問は不要だ。
3
家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目に、家庭内での事情がある可能性があるのに、学校側が無理に行おうとするからだ。生徒に生まれたばかりの妹弟がいるとしたら、家の人は忙しい。なのに、学校が必要だからと家に入って話をするのは、私には少し理解ができない。そして、妹弟が何かの病気になってしまったら学校側はどう責任を取るのだろうか。また、片親だった場合、仕事を休むのも大変だろう。学校の事情に合わせて、大切な有給を使うのは、私は嫌だ。私が片親だとしたら大切な有給は家族のために使いたい。
二つ目は、家に行ってから家庭を察するのは遅いと思う。家の人が遊び回っていたり、暴力を振られていたりしている生徒の行動は他の生徒と違うと思う。それを、家庭訪問を行ってから気づくのはどうなのだろうか。
4
家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目に、先生の負担が大きいからだ。授業や部活などに、プラスして、何十けんの家をまわらなければならない。これは、時間を無駄にすることになる。
二つ目に、生徒の親や祖父母の、準備が大変だからだ。家に、先生が来るとなれば、大抵は、部屋を掃除したり、化粧をしたりと大忙しだ。
三つ目は、生徒が嫌な気持ちになるからだ。学校と家をわけている人もいるし、そもそも他人に家に上がられるのが、本当にやめてほしい人もいる。
家庭訪問というのは、先生への負担が大きかったり、生徒の気持ちが嫌になったりする場合があるので、家庭訪問は不要だ。
5
家庭訪問は不要だ。理由は、三つある。
一つ目にまず先生に部屋、家の様子を見られたくないからだ。先生が来たときに、「うわ・・・●●の部屋きたな~い。」と思われたらどうしようと思ったりしてしまう。
二つ目に親に悪いことを言われたくないからだ。例えば、親に「●●は、授業中の態度がものすごく悪いです。」とか「●●は休み時間にこんなことをしていて注意しました。」などこんなことを言われたら、先生が帰ったあと、すごい怒られてしまう。
三つ目は三者面談があるからだ。なぜ三者面談があるのに家庭訪問があるんだ!となってしまう。
だが例外もある。**中は学区確認だけだし、その間は、五時間しか授業がなくて、45分日課だし掃除も無い。だから、家庭訪問ではなく学区確認だけでいいと思った。
6
家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目はなぜ家で行う必要があるのか。家で行うにはまず、家の中をそれなりに綺麗にしなければならないし、玄関も掃除し、お菓子も用意しなければならない。ただでさえ忙しい主婦には家庭訪問なんて迷惑だ。
二つ目は何をそんなに話すことがあるのか。その子供がおしゃべりなら、学校であったことを話しているし、よっぽど問題児でなければ学校では平凡に静かに過ごしているだろう。
三つ目は子供の気持ちを考えるべきだ学校というのは親がいなくて、仲の良い友だちがいて家より自分を出せる人も少なくはないだろう。そんな子が学校で、周りには少し迷惑でも楽しくやっているのだから、先生が家の人に注意し、親がそれを子供に言い、ますます家にいずらくなったらどう責任を取ってくれるのか。
7
家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目は、「家の場所を覚える必要性」だ。家の場所なんて住所を見ればわかるし、そもそも何十軒もある家を、覚えられるはずも無いからだ。
二つ目は、「親と顔を合わせる必要性」だ。これはいうまでもなく、三者面談でよい。また、顔を合わせたところでどんな毒親も猫をかぶるであろうからだ。
三つ目は、「家庭環境を確認する必要性」だ。どこの家庭も、家庭訪問があると聞けば慌てて片付け出すからだ。これに関しては、よほど親の神経がず太くなければ汚いところを隠そうとするだろう。なので私は子どもに対してのアンケートの方が断然頼りになると思っている。むしろ、そっちの方が何よりも子どものためになると私は思う。
7
家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目に家庭にとって不利益だからだ。働いている親は休みや早退をしなくてはならないし、家のそうじや、食べもしないお菓子なども買わなくてはならないのだ。どうして子供の授業中の話を聞くために多くの代償をはらわなくてはならないのだろうか。不利益にもほどがある。
二つ目は担任にとっても不利益だからだ。どうして生徒の保護者と話すために授業の時間もけずらなくてはならないのだろうか。そんなの三者面談などで話せばいいだろうか。人の家に上がるのは遠慮するし、本当なら行きたくないだろう。
このように生徒にとっても保護者にとっても担任にとっても不利益なのだ。こんな行事はさっさと無くした方がいい。
8
家庭訪問は不要だ。理由はただひとつ、先生とはいえど、他人の他人だからだ。
ふつうに考えて、他人をうちにあげるのなんておかしい。それに、学校の話をするのなら学校が行えばいいのではないか。私はうちで行う意味がちっとも理解できない。
なぜここまで私が辛辣な意見なのかというと、過去にうすきみわるい経験をした友達から聞いた話を思いだすからである。
その日、友達の学校で家庭訪問があった。やがて時間になって先生が家を訪ねてきた。母は買い物に行っていたようで、家には友達ひとりだった。友達がドアを開けると、その先生はドアを開けるなりすーっと深呼吸をした。まるで家の匂いすべてを自身の肺にためるように。友達はそれを見て一瞬で恐怖を覚え、わっと家をとびだしたという。
9
正直なところ、私は家庭訪問が必要かなんてわからない。小学生の頃はあったのを覚えてはいるが、自分は参加しない個人面談形式だったし、何より悪いことなんてしていないのだからおこられる心配もない。だから特に気にもしていなかった。
本題に行くとここで思ったのは家庭「訪問」である必要が本当にあるのか。ということだ。もちろんその学校が三者面談も個人面談もしないのなら話は別だ。だが、そんな学校はなかなかないだろう。生徒が暮らす環境を見るにせよ普通なら先生がくるとなれば部屋を掃除してしまってリアルで生徒が暮らしている環境など分かったもんじゃない。
私は特に家庭訪問に悪い記憶もないし、とてつもなく勘が鋭い先生もいるかもしれない。だから一概に「必要ない」とは言えないが、親の負担だということは断言できるだろう。
10
家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目に、親が仕事を休まなくてはならないからだ。土曜日や日曜日ならまだしも、平日はほとんど仕事に行っていることがおおいのであまり来てほしくないのが本音だ。
それに五分や十分のために仕事を休むのは親も「もったいない・・・」と感じるだろう。
二つ目は、児童の視点からについてだが家に先生が来るのはいやだ。自分の部屋などを見られるのはプライバシーにかける。
三つ目は本当に家に来る必要があるか?についてだ。まず家庭訪問の目的は、自動がどんな環境で育っているか、通学路の確認、保護者との話などだ。考えてみてほしい。この三つすべて電話や学校で話せると思う。
仮に家庭訪問にいったとしても、先生個人が感じる先入観や固定概念しか得られない。この三つの理由で家庭訪問はいらないと思う。
11
家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目に、自分の時間をさいてまで、生徒の親に会う必要は、あるのかということ。 親に会う時間を、もっと他に、有いぎにすごしてほしい。親は、すごくせんさいだ。客が来るからといって必要以上の準備をする。その時間がむだだ。その時だけきれいにしても、生徒のすごしている環境をみるというしゅしを台無しにしている。だから不要だ。お互いに損をしている。
二つ目に、先生は、家の事情というものを無視する特攻隊だからだ。家をじろじろ見て、生徒のことをべらべらと話す。その必要性が皆無だ。いざという時は、知人に聞けばいいことを、どうして先生がしらなきゃいけないのかわからない。
そして、人に見られたくない所までみるから、うんざりだ。だから、家庭訪問は不要だ。
12」
家庭訪問は必要だ。理由は、一つある。
その一つは、生徒がどんな環境で過ごしているのか知る必要があるからだ。なぜかというと、「虐待」というものがあるからだ。日本では、「虐待」を理由に亡くなってしまう子供をニュースで見かける事がある。そのため、教師は「虐待」をうけている生徒をいち早く見つけ、その生徒によりそってあげる事が必要だ。だけど、学校では親に口止めされて毎日たえている生徒がいる可能性がある。しかし、家庭訪問をうまく利用すれば、家の環境で気づく事ができるかもしれない。もし環境で気づけなくても、家での態度や関係で分かる事もあるかも知れない。そうして、救える命があったらいいと思ったから必要だと思った。
13
家庭訪問は不要だ。理由は、二つある。
一つ目に上がるのは親の態度だ。母で言えば電話にでるときに声のトーンが上がる。それに近いのが先生が来る家庭訪問だ。しかも自分の家の母は悪い話に入ると声が低くなる。だから僕はいつも「小細工は出来ないのか?ほんとに不器用だな」と小声で言っている。母が電話に出て声が上がった後に低くなったら僕のテンションも下がる。
二つ目に上がるのは親の口の軽さだ。今よく考えれば家庭訪問の天敵は何でも暴露する先生でもなくしつこく聞いてくる友達でもない友達の親だ。自分の親がランチなどで友達の親に話したことは一日、いや一分で色々な親にそのことがいきわたる。そして僕は友達にからわわれる。なんて最悪なサイクルなんだろう。この二つの理由から僕は家庭訪問は不要、いや無くしてほしい。
14
家庭訪問は不要だ。理由は、家の汚さがばれるからだ。私の家は色々な物がむき出しになっていて生活感がすごく出ている。じゃあ先生が来る前に片付けをすればいいじゃんと思うけど、住み始めた頃のようなきれいさには中々戻すことが出来ない。その状態で先生が来ると、いかに私が普段だらしなく生活しているかバレてしまう。だから不要だ。
そして、2つ目の理由。家では無く、学校でやれば良いと思うからだ。わざわざ先生がクラス全員の家をまわるよりも自分達が学校に行った方が先生の手間が省けるし時間の削減にもなる。しかも、家でやると、各家庭掃除をしなければならないし、家を見られるのが嫌だという人もいるというデメリットがある。学校だったら掃除をしてからのぞむ必要も、恥ずかしい気持ちもないから、家庭での面談は不要だ。
2022-09-10
小学校では原稿用紙400字を6年生まで一度も、一枚も書かせない。
最近知った。
今目の前にいる生徒が、作文だけ、全く書けなかったわけだ。
【以下、今年度最初の、中学2年生作文例】【一字一句、句読点一つ直していない】
■以下2022度4月記述■
1
家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目は、そもそも担任の先生がクラス全員の家をまわる必要があるのかというところだ。この学校には一年に「三者面談」が二回もある。保護者・子供・先生で話す機会は少ないかもしれないが、わざわざ担任の先生の仕事を増やすまでもないだろう。
二つ目に、「家庭訪問は必要か」という趣旨からは離れるが、家庭訪問は毎年やる必要があるのかを考えてみた。中学校では先生が基本持ち上がりが多いため、担任の先生が変わらないことだってある。もし、毎年家庭訪問が行われていたら二度、または三度と同じ家を訪れなくてはならない先生が出てくるかもしれない。毎年やる必要はないだろう。
家庭訪問はそれぞれの家の事情を把握するためには大事なことだ。でも毎年ではなく、中学生の間で一度だけ行うのがよいだろう。
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家庭訪問は不要だ。理由は2つある。
一つ目は家族の人と会話したいというのならば、それは三者面談で応用できるからだ。教師の立場になっても、家に訪問するのは面倒くさい。ましてや、家の人にとっても気を遣ってしまう。教師が来て、ジュースが減る。のは断じて嫌だ。だが、学校に行くことで、その問題は解消される。なぜなら、気を遣わずに座っていれば話は終わるのだから。
二つ目は学区や通学路を確認したいのならば、アンケート的なものを配った方がいいからだ。このアンケートというのは、保護者が学校から家までの通学路を明確にしたものだ。こうすれば学校側の負担もないし、家庭側も10分くらいで書き終わるだろう。
つまり、家庭訪問はどちらに対しても労力を使うという事だ。よって家庭訪問は不要だ。
3
家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目に、家庭内での事情がある可能性があるのに、学校側が無理に行おうとするからだ。生徒に生まれたばかりの妹弟がいるとしたら、家の人は忙しい。なのに、学校が必要だからと家に入って話をするのは、私には少し理解ができない。そして、妹弟が何かの病気になってしまったら学校側はどう責任を取るのだろうか。また、片親だった場合、仕事を休むのも大変だろう。学校の事情に合わせて、大切な有給を使うのは、私は嫌だ。私が片親だとしたら大切な有給は家族のために使いたい。
二つ目は、家に行ってから家庭を察するのは遅いと思う。家の人が遊び回っていたり、暴力を振られていたりしている生徒の行動は他の生徒と違うと思う。それを、家庭訪問を行ってから気づくのはどうなのだろうか。
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家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目に、先生の負担が大きいからだ。授業や部活などに、プラスして、何十けんの家をまわらなければならない。これは、時間を無駄にすることになる。
二つ目に、生徒の親や祖父母の、準備が大変だからだ。家に、先生が来るとなれば、大抵は、部屋を掃除したり、化粧をしたりと大忙しだ。
三つ目は、生徒が嫌な気持ちになるからだ。学校と家をわけている人もいるし、そもそも他人に家に上がられるのが、本当にやめてほしい人もいる。
家庭訪問というのは、先生への負担が大きかったり、生徒の気持ちが嫌になったりする場合があるので、家庭訪問は不要だ。
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家庭訪問は不要だ。理由は、三つある。
一つ目にまず先生に部屋、家の様子を見られたくないからだ。先生が来たときに、「うわ・・・●●の部屋きたな~い。」と思われたらどうしようと思ったりしてしまう。
二つ目に親に悪いことを言われたくないからだ。例えば、親に「●●は、授業中の態度がものすごく悪いです。」とか「●●は休み時間にこんなことをしていて注意しました。」などこんなことを言われたら、先生が帰ったあと、すごい怒られてしまう。
三つ目は三者面談があるからだ。なぜ三者面談があるのに家庭訪問があるんだ!となってしまう。
だが例外もある。**中は学区確認だけだし、その間は、五時間しか授業がなくて、45分日課だし掃除も無い。だから、家庭訪問ではなく学区確認だけでいいと思った。
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家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目はなぜ家で行う必要があるのか。家で行うにはまず、家の中をそれなりに綺麗にしなければならないし、玄関も掃除し、お菓子も用意しなければならない。ただでさえ忙しい主婦には家庭訪問なんて迷惑だ。
二つ目は何をそんなに話すことがあるのか。その子供がおしゃべりなら、学校であったことを話しているし、よっぽど問題児でなければ学校では平凡に静かに過ごしているだろう。
三つ目は子供の気持ちを考えるべきだ学校というのは親がいなくて、仲の良い友だちがいて家より自分を出せる人も少なくはないだろう。そんな子が学校で、周りには少し迷惑でも楽しくやっているのだから、先生が家の人に注意し、親がそれを子供に言い、ますます家にいずらくなったらどう責任を取ってくれるのか。
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家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目は、「家の場所を覚える必要性」だ。家の場所なんて住所を見ればわかるし、そもそも何十軒もある家を、覚えられるはずも無いからだ。
二つ目は、「親と顔を合わせる必要性」だ。これはいうまでもなく、三者面談でよい。また、顔を合わせたところでどんな毒親も猫をかぶるであろうからだ。
三つ目は、「家庭環境を確認する必要性」だ。どこの家庭も、家庭訪問があると聞けば慌てて片付け出すからだ。これに関しては、よほど親の神経がず太くなければ汚いところを隠そうとするだろう。なので私は子どもに対してのアンケートの方が断然頼りになると思っている。むしろ、そっちの方が何よりも子どものためになると私は思う。
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家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目に家庭にとって不利益だからだ。働いている親は休みや早退をしなくてはならないし、家のそうじや、食べもしないお菓子なども買わなくてはならないのだ。どうして子供の授業中の話を聞くために多くの代償をはらわなくてはならないのだろうか。不利益にもほどがある。
二つ目は担任にとっても不利益だからだ。どうして生徒の保護者と話すために授業の時間もけずらなくてはならないのだろうか。そんなの三者面談などで話せばいいだろうか。人の家に上がるのは遠慮するし、本当なら行きたくないだろう。
このように生徒にとっても保護者にとっても担任にとっても不利益なのだ。こんな行事はさっさと無くした方がいい。
8
家庭訪問は不要だ。理由はただひとつ、先生とはいえど、他人の他人だからだ。
ふつうに考えて、他人をうちにあげるのなんておかしい。それに、学校の話をするのなら学校が行えばいいのではないか。私はうちで行う意味がちっとも理解できない。
なぜここまで私が辛辣な意見なのかというと、過去にうすきみわるい経験をした友達から聞いた話を思いだすからである。
その日、友達の学校で家庭訪問があった。やがて時間になって先生が家を訪ねてきた。母は買い物に行っていたようで、家には友達ひとりだった。友達がドアを開けると、その先生はドアを開けるなりすーっと深呼吸をした。まるで家の匂いすべてを自身の肺にためるように。友達はそれを見て一瞬で恐怖を覚え、わっと家をとびだしたという。
9
正直なところ、私は家庭訪問が必要かなんてわからない。小学生の頃はあったのを覚えてはいるが、自分は参加しない個人面談形式だったし、何より悪いことなんてしていないのだからおこられる心配もない。だから特に気にもしていなかった。
本題に行くとここで思ったのは家庭「訪問」である必要が本当にあるのか。ということだ。もちろんその学校が三者面談も個人面談もしないのなら話は別だ。だが、そんな学校はなかなかないだろう。生徒が暮らす環境を見るにせよ普通なら先生がくるとなれば部屋を掃除してしまってリアルで生徒が暮らしている環境など分かったもんじゃない。
私は特に家庭訪問に悪い記憶もないし、とてつもなく勘が鋭い先生もいるかもしれない。だから一概に「必要ない」とは言えないが、親の負担だということは断言できるだろう。
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家庭訪問は不要だ。理由は三つある。
一つ目に、親が仕事を休まなくてはならないからだ。土曜日や日曜日ならまだしも、平日はほとんど仕事に行っていることがおおいのであまり来てほしくないのが本音だ。
それに五分や十分のために仕事を休むのは親も「もったいない・・・」と感じるだろう。
二つ目は、児童の視点からについてだが家に先生が来るのはいやだ。自分の部屋などを見られるのはプライバシーにかける。
三つ目は本当に家に来る必要があるか?についてだ。まず家庭訪問の目的は、自動がどんな環境で育っているか、通学路の確認、保護者との話などだ。考えてみてほしい。この三つすべて電話や学校で話せると思う。
仮に家庭訪問にいったとしても、先生個人が感じる先入観や固定概念しか得られない。この三つの理由で家庭訪問はいらないと思う。
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家庭訪問は不要だ。理由は二つある。
一つ目に、自分の時間をさいてまで、生徒の親に会う必要は、あるのかということ。 親に会う時間を、もっと他に、有いぎにすごしてほしい。親は、すごくせんさいだ。客が来るからといって必要以上の準備をする。その時間がむだだ。その時だけきれいにしても、生徒のすごしている環境をみるというしゅしを台無しにしている。だから不要だ。お互いに損をしている。
二つ目に、先生は、家の事情というものを無視する特攻隊だからだ。家をじろじろ見て、生徒のことをべらべらと話す。その必要性が皆無だ。いざという時は、知人に聞けばいいことを、どうして先生がしらなきゃいけないのかわからない。
そして、人に見られたくない所までみるから、うんざりだ。だから、家庭訪問は不要だ。
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家庭訪問は必要だ。理由は、一つある。
その一つは、生徒がどんな環境で過ごしているのか知る必要があるからだ。なぜかというと、「虐待」というものがあるからだ。日本では、「虐待」を理由に亡くなってしまう子供をニュースで見かける事がある。そのため、教師は「虐待」をうけている生徒をいち早く見つけ、その生徒によりそってあげる事が必要だ。だけど、学校では親に口止めされて毎日たえている生徒がいる可能性がある。しかし、家庭訪問をうまく利用すれば、家の環境で気づく事ができるかもしれない。もし環境で気づけなくても、家での態度や関係で分かる事もあるかも知れない。そうして、救える命があったらいいと思ったから必要だと思った。
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家庭訪問は不要だ。理由は、二つある。
一つ目に上がるのは親の態度だ。母で言えば電話にでるときに声のトーンが上がる。それに近いのが先生が来る家庭訪問だ。しかも自分の家の母は悪い話に入ると声が低くなる。だから僕はいつも「小細工は出来ないのか?ほんとに不器用だな」と小声で言っている。母が電話に出て声が上がった後に低くなったら僕のテンションも下がる。
二つ目に上がるのは親の口の軽さだ。今よく考えれば家庭訪問の天敵は何でも暴露する先生でもなくしつこく聞いてくる友達でもない友達の親だ。自分の親がランチなどで友達の親に話したことは一日、いや一分で色々な親にそのことがいきわたる。そして僕は友達にからわわれる。なんて最悪なサイクルなんだろう。この二つの理由から僕は家庭訪問は不要、いや無くしてほしい。
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家庭訪問は不要だ。理由は、家の汚さがばれるからだ。私の家は色々な物がむき出しになっていて生活感がすごく出ている。じゃあ先生が来る前に片付けをすればいいじゃんと思うけど、住み始めた頃のようなきれいさには中々戻すことが出来ない。その状態で先生が来ると、いかに私が普段だらしなく生活しているかバレてしまう。だから不要だ。
そして、2つ目の理由。家では無く、学校でやれば良いと思うからだ。わざわざ先生がクラス全員の家をまわるよりも自分達が学校に行った方が先生の手間が省けるし時間の削減にもなる。しかも、家でやると、各家庭掃除をしなければならないし、家を見られるのが嫌だという人もいるというデメリットがある。学校だったら掃除をしてからのぞむ必要も、恥ずかしい気持ちもないから、家庭での面談は不要だ。