2012-07-19up
2012年07月18日(ダイヤモンド・オンライン)
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性
(※傭兵:
「教育委員会」
・・・連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)要請で、
・・・アメリカ合衆国からの教育使節団が、1946年(昭和21年)3月5日、7日に来日、
・・・同年3月30日に第一次アメリカ教育使節団報告書が提出され設置勧告をされた。
・・・そこで文部省は1948年(昭和23年)に教育委員会を設置した。
以下の引用記事が本当なら、日本の教育委員会の体質がよく分かる。)
(※傭兵:記事全文を引用するのは、こういう記事に限っていつの間にか削除されることがあるからだ。)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性1
2012年7月18日
東日本大震災の大津波によって、
児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。
当連載では、第1回に震災から1年3ヵ月目の遺族の実情、
第2回は市教委が計画した第三者委員会設置の意味、
第3回は、遺族が指摘する調査記録の主な不審点を紹介した。
今回は、今年7月8日の市教委と保護者側の話し合いで浮き彫りになった真実を取り上げる。
先日の話し合いで主に議題となったのは、唯一生き残ったA教諭のFAXの手紙を巡る疑惑と、
校庭で「山さ逃げよう」と訴えていた児童の証言だ。
このFAXは、A教諭から昨年6月3日に届いたとされるもので、7ヵ月余り経った今年1月22日、
突然、保護者の前に公表された。
しかし、どのように市教委が受け取ったのかを巡って、話し合いの場で根拠を示すことができず、
その真偽の曖昧さが、かえって浮き彫りになった。
また、この児童の証言は、昨年6月4日の保護者説明会で、当時の担当指導主事が説明している。
しかし、聞き取り記録の中には出てこないことから、
指導主事が廃棄したメモに「山さ逃げよう」という重大証言が書かれていた可能性も高くなったのだ。
唯一生存した男性教諭からのFAXをめぐる疑念が噴出
「大津市教委でも、把握していた事実を公表してこなかったですよね?
同じ教員として、大津市教委の対応を、どう思っていますか?」
7月8日に行われた石巻市立大川小学校の保護者との話し合いで、
唐突に保護者から質問された境直彦教育長は、蚊の鳴くような声で、こう答えた。
「これからきちんと調査をしてやらなければいけないことは、
教育委員会として、当然のことだと考えています」
いじめ自殺問題に揺れる大津市教委の例を見るまでもなく、
教員組織であるはずの教育委員会に対する信用性が、いま大きく揺らいでいる。
そんな中、石巻市教委の同日の話し合いにおいても、いくつかの真実が浮き彫りになった。
例えば、教職員で唯一の生存者のA男性教諭が、
保護者らに書いたとされるFAXへの疑惑が深まったのだ。
このA教諭のFAXは、今年1月22日に行われた3回目の保護者向け説明会の中で、
市教委が公表したもの。
まず、「保護者の皆様」宛てのFAXには、A4用紙3枚綴りで、こう記されていた。
<あの日、校庭に避難してから津波が来るまで、どんな話し合いがあったかということですが、
大変申し訳ないのですが、正直私には本当によくわからないのです>
<私が「どうしますか、山へ逃げますか?」と聞くと、
この揺れの中ではだめだよというような答えが返ってきました
(どなたが言ったか覚えていません)
(その理由は余震が続いていて揺れが激しくて、木が倒れてくるというようなことだったと思います)>
一方、当時の柏葉照幸校長宛てにも、A4用紙1枚で、こう綴っていた。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性2
<せめて1本でも道があれば、教頭先生も迷わず指示を出されたと思います。
最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです>
いずれのFAXも、昨年6月3日付けとなっている。
ところが、「保護者の皆様」宛てになっていたにもかかわらず、
翌日の6月4日に開かれた第2回説明会では、なぜか保護者に公表されなかった。
同日の説明会で矛盾が噴き出したのは、これらのFAXを市教委側がどこで受け取ったのかという点だ。
柏葉元校長は当初、
「飯野川第1小学校で借りている大川小学校のFAXです。
それを翌日、え~と、翌日だったか忘れましたけど、朝の9時50分頃、市教委へ持って行きました」
と答えていた。しかし――。
以下、主なやりとりをそのまま再現する。
市教委へ持参したか、FAXしたか
その記憶さえ“曖昧”な校長
当時6年生だった次女を亡くした鈴木典行さん(以下、鈴木)
:「どのように持って行きました?」
柏葉元校長(以下、柏葉)
:「そのときはですね。え~と、持ってったというか、FAXで送ったかと…」
鈴木:
「FAXをFAXで送ったんですか?」
柏葉:
「…と、思います」
鈴木:
「思いますって、わかりますよね? ちょっと、そこまでわからないと言うんですか? 持
っていったか、FAXしたかくらい、わかりますよね?」
柏葉:
「FAXですね…」
鈴木:
「市教委で、そのFAXの存在を把握していたのは誰ですか?」
柏葉:
「連絡を加藤茂実先生(当時の市教委指導主事。現在は大原小学校長)にとって、FAXしたんです」
鈴木:
「それを加藤先生が受け取って、周囲の方々に周知されていたのですか?それをすぐに公開できなかった理由は何ですか?」
山田元郎学校教育課長(以下、山田):
(誰が答えるのか、お互いに目配せしながら、長い沈黙の後)
「…FAXについては、保護者への手紙という形だったので、当日読むことも検討しましたけど、
A教諭自身が名前を明記することを禁止していることから、
手紙の内容を(6月4日の説明会で)報告に盛り込む形にしようと、当時の教育委員会で判断したということです」
鈴木:
「A教諭から、FAXを送りますという連絡はあったのですか? それとも、直接送られてきたのですか?」
柏葉:
「えーと、そのときは、えー、連絡はなかった。FAXが(突然)来たんです」
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性3
鈴木:
「突然、教育委員会に送ったんですか?」
柏葉:
「加藤指導主事に、電話連絡をして、送ったと思います」
鈴木:
「この前、私たちが見せて頂いたのは、大川小に届いたFAXをFAXしたコピーだったんですね?」
柏葉:
「……だと思います」
鈴木:「じゃあ、原本は大川小にあるんですね?」
柏葉:
「……と思います」
鈴木:
「今日、帰りに大川小学校へ寄って、確認してよろしいですか?」
市教委席で、お互いに顔を見合わせる。
鈴木:「校長先生、校長先生? 一緒に行きましょう」
ここで話に割り込むようにして、加藤元指導主事がマイクを握った。
加藤:
「私は記憶が定かじゃないんですが、校長先生は、持参したんじゃないかなと思います」
(保護者席が騒然となる)
鈴木:
(語気を強め)「FAXと言ってたじゃないですか!」
加藤:
「間違いですね」
鈴木:
「間違いなんて考えられないです。校長先生は、持参したということですか?」
柏葉:
「記憶が、本当にないんです」
保護者席から「何も覚えてないんですか?」の悲痛な声が飛んだ。
当時6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さん(以下、佐藤敏郎):
「校長先生がFAXを持って行ったのであれば、学校日誌に書いてありますよね?」
柏葉:
「たぶん、書いてないと思います」
(保護者席から「何言ってんの?」という呆れる声)
佐藤敏郎:
「教育委員会に事務連絡で行くとすれば、学校日誌に書いてありますよね? やっぱり、FAXしたんでしょ?」
柏葉:
「本当に記憶がないです」
佐藤敏郎:
「FAXを受け取って校長先生に渡した、事務の先生に聞けばわかりますよね?」
顔を見合わせる市教委に、保護者席からため息が漏れる。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性4
佐藤敏郎:
「私たちに提示したのは、大川小学校に届いたFAXのコピーで、間違いないですよね?」
柏葉:
(沈黙が続いた後、小さな声で)「そうです」
佐藤敏郎:
「(今年)1月に公開して頂いたとき、校長先生宛ての手紙も、A教諭に確認をとれなかったんですか?」
山田:
「連絡取っていません」
佐藤敏郎:
「校長先生宛てのFAXまで、私たちに公開する意図は?」
山田:
「このFAXの存在をしっかり皆さんにお知らせするということで、校長先生とお話しして、校長先生が出しています」
重大なFAXの存在を教育長、事務局長が知らないという不自然さ
佐藤敏郎:
「(昨年)11月29日、A教諭の主治医に質問状を出されていますね。
すでに答えのいくつかは、このFAXに書かれていますが…」
(市教委席は、質問のたびに、お互い顔を見合わせながら沈黙する)
佐藤敏郎:
「質問書を作られたのは、千葉照彦先生(当時の市教委指導主事、現在の大川小学校長)ですか?」
千葉照彦元指導主事(以下、千葉):
「この時点で、私はFAXの存在をわかっていませんでした」
佐藤敏郎:
「FAXは6月4日以降、どこにあったんですか?」
加藤:
「大川小学校関係の、私が作ったファイルです」
佐藤敏郎:「それを11月29日時点で、千葉先生は知らなかったんですね」
加藤:「わかりませんでした」
佐藤敏郎:
「教育長や事務局長もわからなかったんですか?」
佐藤和夫事務局長:
「私や教育長は昨年7月に着任しましたが、当時はわかりませんでした。
今年1月に話し合いを始めるということで、打ち合わせをやっていたときに、
(A教諭の手紙については)昨年6月4日の説明会で反映させたので、
あえて出していないという相談を受けました。
ただ、原本を反映させるべきだという判断をして、出したということです」
たしかに、6月4日の「第2回保護者説明会」の中で、
加藤元指導主事による「地震発生から津波被害までの経過説明」で、
FAXと同じような文面がいくつか記載されていた。
しかし、4月9日の「第1回保護者説明会」では、A教諭が自ら語っているにもかかわらず、
これらの証言は一切出てこない。
佐藤敏郎さんは、質問を続ける。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性5
佐藤敏郎:
「加藤先生はそのときまで、A教諭の手紙を表に出す必要がない。
教育長にも報告する必要はないと思っていたわけですね」
加藤:
「そういう風には考えていませんでしたけど。
私の個人ファイルに綴じていましたので、それを千葉先生に引き継ぐことをしていませんでした」
佐藤敏郎:
「新しい担当の先生にまでお話ししないというのはいかがでしょうか?」
加藤:
「千葉先生が来て、A教諭がそういう状態だという話をしている中で、
そういえば、大事なFAXがあったんだよっていう話から、出したんです」
84人もの児童、教職員が犠牲になるという重い事実の最後の目撃記録だというのに、
「そういえば……」
などと、まるでFAXの存在を忘れていたかのような話しぶりだ。
その後、佐藤敏郎さんら遺族側が大川小学校に、当時の学校日誌の確認を行っている。
学校日誌とは、学校管理上必要なもので、児童や職員の動静や行事が日々記録されているもの。
校長が校務として教育委員会へ出かけたとすれば、当然、日誌に記載される。
ところが、FAXを渡したとされる6月3日、当時の柏葉校長が市教委へ向かったという記述は、
唯一の根拠となるはずの日誌にも記されていなかったという。
このように根拠の確認できないA教諭のFAXが、
なぜ突然、今年1月になって出てきたのか。
しかも、それまで、教育長も事務局長も担当指導主事も、
この重要な手紙の存在を知らなかったというのは、あまりに不自然で、首を傾げたくなるのだ。
「山へ逃げよう」と必死に訴えた
児童の証言が聞き取り記録から消えた
その一方で、根拠のある証言そのものが、なかったことにされていたケースも明らかになっている。
津波が来る前、
「山へ逃げよう」
と、必死に訴えていた児童の証言が、公文書の聞き取り記録の中には残されていなかったのだ。
保護者たちが問題にしているのは、昨年6月4日の説明会で、加藤元指導主事が
「“山さ逃げよう”とかいう男子がいたが、そのまま引き渡しを続けた」
と、経過説明している点にある。
こう報告された男子の証言は、情報開示された昨年5月の「聞き取り調査記録」の中には出てこない。
また、今年3月18日の説明会でも、千葉元指導主事が「教育委員会では、押さえていません」と否定している。
では、加藤元指導主事は、何を根拠に「山さ逃げよう」という証言を紹介したのか。
以下、再び、同日の話し合いのやりとりを紹介する。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性6
子どもたちからの聞き取りメモを廃棄?「山に逃げよう」という証言はなき物に…
佐藤敏郎:
「子どもたちの証言として、聞き取り調査で
『山に逃げた方がいい』
とか
『ここ(校庭)にいたら死んでしまう』
とか、言っている(ものがある)。
ただ、5月の聞き取り調査記録の中には、(その証言が)一切ないんですよ。
(市教委は)メモを廃棄したから、今となっては証拠がないっていう結果だと思うんです。
聞き取り調査の中になければ、教育委員会としては、私たちに説明できませんよね?」
加藤:
「調査を踏まえて説明しております」
当時6年生の三男を亡くした佐藤和隆さん(以下、佐藤和隆):
「なぜ、6月4日の私たちへの説明では、
『山へ逃げた方がいいという児童がいた」
という言葉が公文書として残っているんですか?
この言葉は、どこから出てきたんですか?
5月の聞き取り調査になければ、6月4日の説明会にはないですよね?」
加藤:
「あくまでも子どもたちから聞き取った内容で説明会をしておりますので、
出した言葉は、すべて聞き取り調査に載っております」
佐藤和隆:
「私たちが開示請求で得た聞き取り調査記録には、それは一切ないです」
加藤:
「子どもからの聞き取り調査の中に、ありますけども」
佐藤和隆:
「5月9、10、16日あたりの子どもたちの聞き取り調査の中には、一切そういうことが書いていないんです。
加藤さん、書いていないということは、
廃棄したメモの中に、そういう文言が入っていたと言うことで、よろしいですか?」
加藤:
「それはありません。すべて報告書に載せたはずです」
保護者Bさん:
「うちの子どもは、聞き取り調査をされたとき、当時6年生でした。
聞き取りの時に、友だちや周りが『山に逃げよう』と言ってたという話も聞いています。
でも、そういうのは一切書かれていない。
A先生が校庭にいたときに、
『山だ!山だ!』『山に逃げろ』
と声がしていたと聞き取りの中で言ったと思うんですが、それもなぜか、全然書かれていない」
加藤:
「はい。お子さんが言っているので、私は何とも言えませんけれども、
私はメモを確かに捨てましたが、メモの部分を報告書に盛り込んだと思っております」
佐藤和隆:
「この女児は、5月16日、他の子とは違う日に聞き取りされています。
風邪で学校休みまして、担任の先生が来ていたわけです。この聞き取りの報告書も、廃棄したんですか?」
加藤:
「全部ここに、そのまま……」
佐藤和隆:
「メモ廃棄のことは、色んな人たちが聞き取りしています。全員一斉に、個人個人が捨てたのか?
上からの命令で捨てたのか? ゴミ箱に捨てたんですか?」
加藤:
「はっきり覚えていないんですけれども、すべてがということはありません。
報告書に全部網羅しますので、それでメモは捨てるという形を取っていました。
各学校での聞き取りは、担任さんが書いたのを私の方に集約して、
報告書にまとめた段階で、機密書類の箱に入れたと思います」
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性7
佐藤和隆:
「通常業務の中のメモじゃないんですよね。
(児童が)74人死んでいる報告、調査書ですよね。それを捨てるというのは、公務員としてはどうなんですか?」
加藤:
「それに対しては、大変申し訳なかったと思っています。この前も謝りました。本当に申し訳ありません」
佐藤和隆:
「こういったことをやっている人が、教育委員会から校長になって、
何らおとがめもなしに、処分もされず、石巻市の教育長としては、どうお考えですか?」
境直彦教育長:
「本当にメモを捨ててしまったことは、前にも、私の方からもお詫び申し上げましたが、
今後こういうことがないように、教育委員会内でも、
文書管理を、全力を挙げて徹底していきたいと考えております」
佐藤敏郎:
「子どもたちは、亡くなった子どもたちのために、聞き取り調査のときに、一生懸命話したんだそうです。
辛いけれども。僕たちが話さなくちゃいけないと。
ところが、この報告書には、大事だと思って話したことが、書いてない。
どうでもいいかな、というようなことはちゃんと書いてある。
(聞き取り調査で)子どもたちは『山に逃げよう』といっていたんだと(言っていました)。
それから、(津波の様子を見に行った)教頭先生が(津波が来ると言って)戻ってきた。
先生たちは、たき火の用意をしていた。そういうことも話したそうです。
6月4日の段階では、『山に逃げよう』と言った子どもたちがいた(という認識だった)んではないでしょうか。
でも、3月18日までの間に、子どもたちが山に逃げようといった事実はないと、
教育委員会で(認識を)変えていたのではないですか?」
加藤:
(しばらく沈黙続く)
佐藤和隆:
「加藤先生、これだけ根拠示されても、なお、言い張るんですか?」
加藤:
「確かにこの報告書、説明原稿を作ったのは私ですので。
いま、おっしゃったことは、はっきりいってわかんないですね」
佐藤敏郎:
「加藤先生は、子どもたちは『山に逃げよう』と言っていたという認識はありますね?」
(保護者席から「認めなさい」など、ざわざわした声)
加藤:
「(沈黙の後)あくまでもこの聞き取りメモから起こしたんですけれども、
その一文を聞き取りメモが出来たのが5月くらいですよね。
そして説明会したのは6月ですよね。その間に、わかんないですけども、
もし、子どもたちがそういう風に話しているよと聞いたとしたならば、
そういう風に入れた可能性も、ない、かな……」
佐藤敏郎:
「とにかく6月4日に、『山さ逃げよう』といった男子がいたというのは、
それは説明できないと言うことですね?
大事なことだとは思うんですが、説明できないということですね?
では、『山に逃げよう』と言っていた子どもたちが、
上級生を中心にいたということは、ここで事実確認してよろしいですか?
子どもたちは山に逃げたがっていたんだと。
先生に進言していたんだと。共通理解として、この事実は共有してよろしいでしょうか?」
加藤:
(沈黙)
(保護者席から「答えてください」という声が挙がる)
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性8
佐藤敏郎:
「子どもたちがきちっと話をしてくれて、それを踏まえてそれを加藤先生は説明したんだと。
それが自然だと思うんです。それが(今年)3月になるまでの間に、
それはなかったことにしようということになったのではないかと思うんです。
いずれにしても、子どもたちが逃げたがっていたと、進言もしていたということを、押さえてよろしいですね?」
加藤:
(沈黙)
2人の児童を亡くしたCさん:
「すいませんが、もう少し大人の対応とっていただけないのかなと。
昨年の4月からですか、説明会というものを数々開いていますよね。
その中で、真実を私たちは知りたいだけと。話のいたちごっこのやりとりを聞きに来ている訳じゃないんです。
本当にね、何があったのか、そこだけをみんな聞きたいから、ここにいるだけです。
いま児童4名、先生1人入れて5名が見つかっていない中で、ここの場に就けない人すらいるわけですよね。
その人たちは、今日も(行方を)探している。
もちろん、その貴重な時間を使って、ここに話を聞きに来ているわけですよね。
それで、この話の展開では、何をしに来ているんですか?」
山田:
「先ほど“山さ逃げよう”と言った男子がいたということは、
間違いなく(6月4日の)説明会で説明しておりますので、その当時は、当然認識していたと思います。
あとで、一覧表にまとめているなかでは、欠落しているという状況でございますけども、
なぜ欠落したかについては、少し調べてみたいと思います」
なぜ教育委は真実の訂正を受け入れたがらないのか
こうして、「山さ逃げよう」と児童が証言していた事実を
決して認めようとしない加藤元指導主事に代わって、
山田課長がようやく認めた格好だ。
しかし、この1つの真実を認めるだけでも、費やした時間は1時間。
しかも、6月4日の説明会で出た児童の証言の根拠になった聞き取り記録は、
市教委側がどんなにページをめくっても見つからず、
元指導主事が破棄したメモの中に記されていた疑いが強くなった。
結局、この日の遺族と市教委のやりとりは、5時間半にも及んだ。
なぜ教育委員会は、ここまでして突きつけられた真実の訂正を受け入れたがらないのか。
このやり取りだけを見ていても、市教委の作成した公文書の信用性は、大きく揺らいでいる。
責任者の処分を問われた境教育長は、
「今のところ、そういう処分に該当するという風には考えておりません」
と、現段階で処分を考えていないことを明らかにしている。
その一方で、
重要な聞き取り調査のメモを廃棄していた加藤元指導主事は、
今年4月から市立大原小学校長に“昇格”し、
柏葉元校長は、早期退職していったという事実だけが、遺族たちの前に残された。
柏葉元校長に、説明会後の会見の後、歩きながら
「本当に覚えていないんですか?」
と話しかけると、
「学校を辞めてから、どんどん忘れちゃって…」
とだけ言って、別室に入っていった。
(池上正樹)
2012年07月18日(ダイヤモンド・オンライン)
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性
(※傭兵:
「教育委員会」
・・・連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)要請で、
・・・アメリカ合衆国からの教育使節団が、1946年(昭和21年)3月5日、7日に来日、
・・・同年3月30日に第一次アメリカ教育使節団報告書が提出され設置勧告をされた。
・・・そこで文部省は1948年(昭和23年)に教育委員会を設置した。
以下の引用記事が本当なら、日本の教育委員会の体質がよく分かる。)
(※傭兵:記事全文を引用するのは、こういう記事に限っていつの間にか削除されることがあるからだ。)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性1
2012年7月18日
東日本大震災の大津波によって、
児童・教職員84人という世界でも例のない犠牲者が出た石巻市立大川小学校。
当連載では、第1回に震災から1年3ヵ月目の遺族の実情、
第2回は市教委が計画した第三者委員会設置の意味、
第3回は、遺族が指摘する調査記録の主な不審点を紹介した。
今回は、今年7月8日の市教委と保護者側の話し合いで浮き彫りになった真実を取り上げる。
先日の話し合いで主に議題となったのは、唯一生き残ったA教諭のFAXの手紙を巡る疑惑と、
校庭で「山さ逃げよう」と訴えていた児童の証言だ。
このFAXは、A教諭から昨年6月3日に届いたとされるもので、7ヵ月余り経った今年1月22日、
突然、保護者の前に公表された。
しかし、どのように市教委が受け取ったのかを巡って、話し合いの場で根拠を示すことができず、
その真偽の曖昧さが、かえって浮き彫りになった。
また、この児童の証言は、昨年6月4日の保護者説明会で、当時の担当指導主事が説明している。
しかし、聞き取り記録の中には出てこないことから、
指導主事が廃棄したメモに「山さ逃げよう」という重大証言が書かれていた可能性も高くなったのだ。
唯一生存した男性教諭からのFAXをめぐる疑念が噴出
「大津市教委でも、把握していた事実を公表してこなかったですよね?
同じ教員として、大津市教委の対応を、どう思っていますか?」
7月8日に行われた石巻市立大川小学校の保護者との話し合いで、
唐突に保護者から質問された境直彦教育長は、蚊の鳴くような声で、こう答えた。
「これからきちんと調査をしてやらなければいけないことは、
教育委員会として、当然のことだと考えています」
いじめ自殺問題に揺れる大津市教委の例を見るまでもなく、
教員組織であるはずの教育委員会に対する信用性が、いま大きく揺らいでいる。
そんな中、石巻市教委の同日の話し合いにおいても、いくつかの真実が浮き彫りになった。
例えば、教職員で唯一の生存者のA男性教諭が、
保護者らに書いたとされるFAXへの疑惑が深まったのだ。
このA教諭のFAXは、今年1月22日に行われた3回目の保護者向け説明会の中で、
市教委が公表したもの。
まず、「保護者の皆様」宛てのFAXには、A4用紙3枚綴りで、こう記されていた。
<あの日、校庭に避難してから津波が来るまで、どんな話し合いがあったかということですが、
大変申し訳ないのですが、正直私には本当によくわからないのです>
<私が「どうしますか、山へ逃げますか?」と聞くと、
この揺れの中ではだめだよというような答えが返ってきました
(どなたが言ったか覚えていません)
(その理由は余震が続いていて揺れが激しくて、木が倒れてくるというようなことだったと思います)>
一方、当時の柏葉照幸校長宛てにも、A4用紙1枚で、こう綴っていた。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性2
<せめて1本でも道があれば、教頭先生も迷わず指示を出されたと思います。
最後に山に行きましょうと強く言っていればと思うと、悔やまれて胸が張り裂けそうです>
いずれのFAXも、昨年6月3日付けとなっている。
ところが、「保護者の皆様」宛てになっていたにもかかわらず、
翌日の6月4日に開かれた第2回説明会では、なぜか保護者に公表されなかった。
同日の説明会で矛盾が噴き出したのは、これらのFAXを市教委側がどこで受け取ったのかという点だ。
柏葉元校長は当初、
「飯野川第1小学校で借りている大川小学校のFAXです。
それを翌日、え~と、翌日だったか忘れましたけど、朝の9時50分頃、市教委へ持って行きました」
と答えていた。しかし――。
以下、主なやりとりをそのまま再現する。
市教委へ持参したか、FAXしたか
その記憶さえ“曖昧”な校長
当時6年生だった次女を亡くした鈴木典行さん(以下、鈴木)
:「どのように持って行きました?」
柏葉元校長(以下、柏葉)
:「そのときはですね。え~と、持ってったというか、FAXで送ったかと…」
鈴木:
「FAXをFAXで送ったんですか?」
柏葉:
「…と、思います」
鈴木:
「思いますって、わかりますよね? ちょっと、そこまでわからないと言うんですか? 持
っていったか、FAXしたかくらい、わかりますよね?」
柏葉:
「FAXですね…」
鈴木:
「市教委で、そのFAXの存在を把握していたのは誰ですか?」
柏葉:
「連絡を加藤茂実先生(当時の市教委指導主事。現在は大原小学校長)にとって、FAXしたんです」
鈴木:
「それを加藤先生が受け取って、周囲の方々に周知されていたのですか?それをすぐに公開できなかった理由は何ですか?」
山田元郎学校教育課長(以下、山田):
(誰が答えるのか、お互いに目配せしながら、長い沈黙の後)
「…FAXについては、保護者への手紙という形だったので、当日読むことも検討しましたけど、
A教諭自身が名前を明記することを禁止していることから、
手紙の内容を(6月4日の説明会で)報告に盛り込む形にしようと、当時の教育委員会で判断したということです」
鈴木:
「A教諭から、FAXを送りますという連絡はあったのですか? それとも、直接送られてきたのですか?」
柏葉:
「えーと、そのときは、えー、連絡はなかった。FAXが(突然)来たんです」
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性3
鈴木:
「突然、教育委員会に送ったんですか?」
柏葉:
「加藤指導主事に、電話連絡をして、送ったと思います」
鈴木:
「この前、私たちが見せて頂いたのは、大川小に届いたFAXをFAXしたコピーだったんですね?」
柏葉:
「……だと思います」
鈴木:「じゃあ、原本は大川小にあるんですね?」
柏葉:
「……と思います」
鈴木:
「今日、帰りに大川小学校へ寄って、確認してよろしいですか?」
市教委席で、お互いに顔を見合わせる。
鈴木:「校長先生、校長先生? 一緒に行きましょう」
ここで話に割り込むようにして、加藤元指導主事がマイクを握った。
加藤:
「私は記憶が定かじゃないんですが、校長先生は、持参したんじゃないかなと思います」
(保護者席が騒然となる)
鈴木:
(語気を強め)「FAXと言ってたじゃないですか!」
加藤:
「間違いですね」
鈴木:
「間違いなんて考えられないです。校長先生は、持参したということですか?」
柏葉:
「記憶が、本当にないんです」
保護者席から「何も覚えてないんですか?」の悲痛な声が飛んだ。
当時6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さん(以下、佐藤敏郎):
「校長先生がFAXを持って行ったのであれば、学校日誌に書いてありますよね?」
柏葉:
「たぶん、書いてないと思います」
(保護者席から「何言ってんの?」という呆れる声)
佐藤敏郎:
「教育委員会に事務連絡で行くとすれば、学校日誌に書いてありますよね? やっぱり、FAXしたんでしょ?」
柏葉:
「本当に記憶がないです」
佐藤敏郎:
「FAXを受け取って校長先生に渡した、事務の先生に聞けばわかりますよね?」
顔を見合わせる市教委に、保護者席からため息が漏れる。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性4
佐藤敏郎:
「私たちに提示したのは、大川小学校に届いたFAXのコピーで、間違いないですよね?」
柏葉:
(沈黙が続いた後、小さな声で)「そうです」
佐藤敏郎:
「(今年)1月に公開して頂いたとき、校長先生宛ての手紙も、A教諭に確認をとれなかったんですか?」
山田:
「連絡取っていません」
佐藤敏郎:
「校長先生宛てのFAXまで、私たちに公開する意図は?」
山田:
「このFAXの存在をしっかり皆さんにお知らせするということで、校長先生とお話しして、校長先生が出しています」
重大なFAXの存在を教育長、事務局長が知らないという不自然さ
佐藤敏郎:
「(昨年)11月29日、A教諭の主治医に質問状を出されていますね。
すでに答えのいくつかは、このFAXに書かれていますが…」
(市教委席は、質問のたびに、お互い顔を見合わせながら沈黙する)
佐藤敏郎:
「質問書を作られたのは、千葉照彦先生(当時の市教委指導主事、現在の大川小学校長)ですか?」
千葉照彦元指導主事(以下、千葉):
「この時点で、私はFAXの存在をわかっていませんでした」
佐藤敏郎:
「FAXは6月4日以降、どこにあったんですか?」
加藤:
「大川小学校関係の、私が作ったファイルです」
佐藤敏郎:「それを11月29日時点で、千葉先生は知らなかったんですね」
加藤:「わかりませんでした」
佐藤敏郎:
「教育長や事務局長もわからなかったんですか?」
佐藤和夫事務局長:
「私や教育長は昨年7月に着任しましたが、当時はわかりませんでした。
今年1月に話し合いを始めるということで、打ち合わせをやっていたときに、
(A教諭の手紙については)昨年6月4日の説明会で反映させたので、
あえて出していないという相談を受けました。
ただ、原本を反映させるべきだという判断をして、出したということです」
たしかに、6月4日の「第2回保護者説明会」の中で、
加藤元指導主事による「地震発生から津波被害までの経過説明」で、
FAXと同じような文面がいくつか記載されていた。
しかし、4月9日の「第1回保護者説明会」では、A教諭が自ら語っているにもかかわらず、
これらの証言は一切出てこない。
佐藤敏郎さんは、質問を続ける。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性5
佐藤敏郎:
「加藤先生はそのときまで、A教諭の手紙を表に出す必要がない。
教育長にも報告する必要はないと思っていたわけですね」
加藤:
「そういう風には考えていませんでしたけど。
私の個人ファイルに綴じていましたので、それを千葉先生に引き継ぐことをしていませんでした」
佐藤敏郎:
「新しい担当の先生にまでお話ししないというのはいかがでしょうか?」
加藤:
「千葉先生が来て、A教諭がそういう状態だという話をしている中で、
そういえば、大事なFAXがあったんだよっていう話から、出したんです」
84人もの児童、教職員が犠牲になるという重い事実の最後の目撃記録だというのに、
「そういえば……」
などと、まるでFAXの存在を忘れていたかのような話しぶりだ。
その後、佐藤敏郎さんら遺族側が大川小学校に、当時の学校日誌の確認を行っている。
学校日誌とは、学校管理上必要なもので、児童や職員の動静や行事が日々記録されているもの。
校長が校務として教育委員会へ出かけたとすれば、当然、日誌に記載される。
ところが、FAXを渡したとされる6月3日、当時の柏葉校長が市教委へ向かったという記述は、
唯一の根拠となるはずの日誌にも記されていなかったという。
このように根拠の確認できないA教諭のFAXが、
なぜ突然、今年1月になって出てきたのか。
しかも、それまで、教育長も事務局長も担当指導主事も、
この重要な手紙の存在を知らなかったというのは、あまりに不自然で、首を傾げたくなるのだ。
「山へ逃げよう」と必死に訴えた
児童の証言が聞き取り記録から消えた
その一方で、根拠のある証言そのものが、なかったことにされていたケースも明らかになっている。
津波が来る前、
「山へ逃げよう」
と、必死に訴えていた児童の証言が、公文書の聞き取り記録の中には残されていなかったのだ。
保護者たちが問題にしているのは、昨年6月4日の説明会で、加藤元指導主事が
「“山さ逃げよう”とかいう男子がいたが、そのまま引き渡しを続けた」
と、経過説明している点にある。
こう報告された男子の証言は、情報開示された昨年5月の「聞き取り調査記録」の中には出てこない。
また、今年3月18日の説明会でも、千葉元指導主事が「教育委員会では、押さえていません」と否定している。
では、加藤元指導主事は、何を根拠に「山さ逃げよう」という証言を紹介したのか。
以下、再び、同日の話し合いのやりとりを紹介する。
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性6
子どもたちからの聞き取りメモを廃棄?「山に逃げよう」という証言はなき物に…
佐藤敏郎:
「子どもたちの証言として、聞き取り調査で
『山に逃げた方がいい』
とか
『ここ(校庭)にいたら死んでしまう』
とか、言っている(ものがある)。
ただ、5月の聞き取り調査記録の中には、(その証言が)一切ないんですよ。
(市教委は)メモを廃棄したから、今となっては証拠がないっていう結果だと思うんです。
聞き取り調査の中になければ、教育委員会としては、私たちに説明できませんよね?」
加藤:
「調査を踏まえて説明しております」
当時6年生の三男を亡くした佐藤和隆さん(以下、佐藤和隆):
「なぜ、6月4日の私たちへの説明では、
『山へ逃げた方がいいという児童がいた」
という言葉が公文書として残っているんですか?
この言葉は、どこから出てきたんですか?
5月の聞き取り調査になければ、6月4日の説明会にはないですよね?」
加藤:
「あくまでも子どもたちから聞き取った内容で説明会をしておりますので、
出した言葉は、すべて聞き取り調査に載っております」
佐藤和隆:
「私たちが開示請求で得た聞き取り調査記録には、それは一切ないです」
加藤:
「子どもからの聞き取り調査の中に、ありますけども」
佐藤和隆:
「5月9、10、16日あたりの子どもたちの聞き取り調査の中には、一切そういうことが書いていないんです。
加藤さん、書いていないということは、
廃棄したメモの中に、そういう文言が入っていたと言うことで、よろしいですか?」
加藤:
「それはありません。すべて報告書に載せたはずです」
保護者Bさん:
「うちの子どもは、聞き取り調査をされたとき、当時6年生でした。
聞き取りの時に、友だちや周りが『山に逃げよう』と言ってたという話も聞いています。
でも、そういうのは一切書かれていない。
A先生が校庭にいたときに、
『山だ!山だ!』『山に逃げろ』
と声がしていたと聞き取りの中で言ったと思うんですが、それもなぜか、全然書かれていない」
加藤:
「はい。お子さんが言っているので、私は何とも言えませんけれども、
私はメモを確かに捨てましたが、メモの部分を報告書に盛り込んだと思っております」
佐藤和隆:
「この女児は、5月16日、他の子とは違う日に聞き取りされています。
風邪で学校休みまして、担任の先生が来ていたわけです。この聞き取りの報告書も、廃棄したんですか?」
加藤:
「全部ここに、そのまま……」
佐藤和隆:
「メモ廃棄のことは、色んな人たちが聞き取りしています。全員一斉に、個人個人が捨てたのか?
上からの命令で捨てたのか? ゴミ箱に捨てたんですか?」
加藤:
「はっきり覚えていないんですけれども、すべてがということはありません。
報告書に全部網羅しますので、それでメモは捨てるという形を取っていました。
各学校での聞き取りは、担任さんが書いたのを私の方に集約して、
報告書にまとめた段階で、機密書類の箱に入れたと思います」
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性7
佐藤和隆:
「通常業務の中のメモじゃないんですよね。
(児童が)74人死んでいる報告、調査書ですよね。それを捨てるというのは、公務員としてはどうなんですか?」
加藤:
「それに対しては、大変申し訳なかったと思っています。この前も謝りました。本当に申し訳ありません」
佐藤和隆:
「こういったことをやっている人が、教育委員会から校長になって、
何らおとがめもなしに、処分もされず、石巻市の教育長としては、どうお考えですか?」
境直彦教育長:
「本当にメモを捨ててしまったことは、前にも、私の方からもお詫び申し上げましたが、
今後こういうことがないように、教育委員会内でも、
文書管理を、全力を挙げて徹底していきたいと考えております」
佐藤敏郎:
「子どもたちは、亡くなった子どもたちのために、聞き取り調査のときに、一生懸命話したんだそうです。
辛いけれども。僕たちが話さなくちゃいけないと。
ところが、この報告書には、大事だと思って話したことが、書いてない。
どうでもいいかな、というようなことはちゃんと書いてある。
(聞き取り調査で)子どもたちは『山に逃げよう』といっていたんだと(言っていました)。
それから、(津波の様子を見に行った)教頭先生が(津波が来ると言って)戻ってきた。
先生たちは、たき火の用意をしていた。そういうことも話したそうです。
6月4日の段階では、『山に逃げよう』と言った子どもたちがいた(という認識だった)んではないでしょうか。
でも、3月18日までの間に、子どもたちが山に逃げようといった事実はないと、
教育委員会で(認識を)変えていたのではないですか?」
加藤:
(しばらく沈黙続く)
佐藤和隆:
「加藤先生、これだけ根拠示されても、なお、言い張るんですか?」
加藤:
「確かにこの報告書、説明原稿を作ったのは私ですので。
いま、おっしゃったことは、はっきりいってわかんないですね」
佐藤敏郎:
「加藤先生は、子どもたちは『山に逃げよう』と言っていたという認識はありますね?」
(保護者席から「認めなさい」など、ざわざわした声)
加藤:
「(沈黙の後)あくまでもこの聞き取りメモから起こしたんですけれども、
その一文を聞き取りメモが出来たのが5月くらいですよね。
そして説明会したのは6月ですよね。その間に、わかんないですけども、
もし、子どもたちがそういう風に話しているよと聞いたとしたならば、
そういう風に入れた可能性も、ない、かな……」
佐藤敏郎:
「とにかく6月4日に、『山さ逃げよう』といった男子がいたというのは、
それは説明できないと言うことですね?
大事なことだとは思うんですが、説明できないということですね?
では、『山に逃げよう』と言っていた子どもたちが、
上級生を中心にいたということは、ここで事実確認してよろしいですか?
子どもたちは山に逃げたがっていたんだと。
先生に進言していたんだと。共通理解として、この事実は共有してよろしいでしょうか?」
加藤:
(沈黙)
(保護者席から「答えてください」という声が挙がる)
東日本大震災・石巻市教委が作成した公文書の信憑性8
佐藤敏郎:
「子どもたちがきちっと話をしてくれて、それを踏まえてそれを加藤先生は説明したんだと。
それが自然だと思うんです。それが(今年)3月になるまでの間に、
それはなかったことにしようということになったのではないかと思うんです。
いずれにしても、子どもたちが逃げたがっていたと、進言もしていたということを、押さえてよろしいですね?」
加藤:
(沈黙)
2人の児童を亡くしたCさん:
「すいませんが、もう少し大人の対応とっていただけないのかなと。
昨年の4月からですか、説明会というものを数々開いていますよね。
その中で、真実を私たちは知りたいだけと。話のいたちごっこのやりとりを聞きに来ている訳じゃないんです。
本当にね、何があったのか、そこだけをみんな聞きたいから、ここにいるだけです。
いま児童4名、先生1人入れて5名が見つかっていない中で、ここの場に就けない人すらいるわけですよね。
その人たちは、今日も(行方を)探している。
もちろん、その貴重な時間を使って、ここに話を聞きに来ているわけですよね。
それで、この話の展開では、何をしに来ているんですか?」
山田:
「先ほど“山さ逃げよう”と言った男子がいたということは、
間違いなく(6月4日の)説明会で説明しておりますので、その当時は、当然認識していたと思います。
あとで、一覧表にまとめているなかでは、欠落しているという状況でございますけども、
なぜ欠落したかについては、少し調べてみたいと思います」
なぜ教育委は真実の訂正を受け入れたがらないのか
こうして、「山さ逃げよう」と児童が証言していた事実を
決して認めようとしない加藤元指導主事に代わって、
山田課長がようやく認めた格好だ。
しかし、この1つの真実を認めるだけでも、費やした時間は1時間。
しかも、6月4日の説明会で出た児童の証言の根拠になった聞き取り記録は、
市教委側がどんなにページをめくっても見つからず、
元指導主事が破棄したメモの中に記されていた疑いが強くなった。
結局、この日の遺族と市教委のやりとりは、5時間半にも及んだ。
なぜ教育委員会は、ここまでして突きつけられた真実の訂正を受け入れたがらないのか。
このやり取りだけを見ていても、市教委の作成した公文書の信用性は、大きく揺らいでいる。
責任者の処分を問われた境教育長は、
「今のところ、そういう処分に該当するという風には考えておりません」
と、現段階で処分を考えていないことを明らかにしている。
その一方で、
重要な聞き取り調査のメモを廃棄していた加藤元指導主事は、
今年4月から市立大原小学校長に“昇格”し、
柏葉元校長は、早期退職していったという事実だけが、遺族たちの前に残された。
柏葉元校長に、説明会後の会見の後、歩きながら
「本当に覚えていないんですか?」
と話しかけると、
「学校を辞めてから、どんどん忘れちゃって…」
とだけ言って、別室に入っていった。
(池上正樹)