実家のある近くを歩いてみた。
昔の旧川越街道の名残がとぎれとぎれに残っていて、そこにはいくつかの史跡がある。
江戸末期に建てられたという豊敬稲荷神社が住宅の間にあり、
その脇に何かの碑が置いてある。
読みにくい文字を読むと、どうでもいいような神社の移設のいきさつがとくとくと記されている。
知りたいのは豊敬稲荷神社とは何を祭った神社なのかではないのか。
碑の横に板橋区教育委員会が設置したという案内板が建ててある。
上板橋宿は伝馬役という役割を担っており文政6年(1823年)の記録では、街並み740m、道幅5.5mの街道に90戸があったらしい。興味深い。
昔の旧川越街道の名残がとぎれとぎれに残っていて、そこにはいくつかの史跡がある。
江戸末期に建てられたという豊敬稲荷神社が住宅の間にあり、
その脇に何かの碑が置いてある。
読みにくい文字を読むと、どうでもいいような神社の移設のいきさつがとくとくと記されている。
知りたいのは豊敬稲荷神社とは何を祭った神社なのかではないのか。
碑の横に板橋区教育委員会が設置したという案内板が建ててある。
上板橋宿は伝馬役という役割を担っており文政6年(1823年)の記録では、街並み740m、道幅5.5mの街道に90戸があったらしい。興味深い。