四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

川中島古戦場八幡原(長野県長野市)

2010年05月25日 | 古戦場・陣所








1561年(永禄4年)の第4次の川中島合戦の際、山本勘助のキツツキ戦法を採用した武田信玄が本陣を布いたと言われる『川中島古戦場八幡原』に寄ってみました。




武田信玄と上杉謙信の一騎討ちの像




三太刀七太刀之跡




首塚




風林火山の旗の説明板




旧本殿




逆槐(さかさえんじゅ)

ここの駐車場(北駐車場)は午後5時で閉まってしまう。それに伴い、売店も店仕舞を始めていた。そのうちのひとつで野菜を商っている店の
女の人に尋ねごとをしたら、胡瓜と長芋を購入する羽目に・・・お土産にしました。

散策日:2010年(平成22年)5月22日(土)            

霞城跡(長野県長野市)

2010年05月25日 | 100名城以外の城館跡
予定外であった松代城下の散策を続けたかったが、他の城跡も見てみたいと、当初の予定に戻ることにした。城攻めから外せない松代城跡以外は、
手持ちのリストから適当に選んで攻める予定であった。まずは、同じ長野市でも松代城跡とは方向の違う場所にある大峰山(822m)山頂に築かれている
「大峰城」を攻めてみることとした。県庁前を通り、善光寺近くを抜け、難所七曲を越えて走ること約1時間。やっとの思いで着いたら、なんと この有様。
城跡で「閉館」とは? 実は、この大峰城跡には模擬天守が建てられている筈であった(内部は、「チョウと自然の博物館」)。
まあ、あやしい天守の城ですから・・・



これなら善光寺に寄ってきた方が良かった。と言ってもあとの祭り。
(どうでもいい前置きが長くなってしまったが)
攻城が適わないところに長居は無用。次にリストアップしたのは、やはり長野市松代町大室の『大室城』であったが、来た道の大部分を戻る羽目に。
また、大室地内としか所在地が判明していない。とり合えず大室に行こう。行けば目印くらい出ているだろう・・・・甘かった。










大室地区に入ったものの城跡の案内を示すものは見当たらない。地元の方に場所を聞き、教えていただいた所に行くも、何処が登城口かさっぱり分からず、
再び地元の方に訊くと、登城口まで案内してくれ、「城はないよ。石垣があるだけだよ」と。いいんです、石垣があれば・・・普段、登っていく人はいないの
であろう。山道らしい山道もないところを上がっていく。登山杖を用意してなかったので、枝を拾って杖にしてやっとこ石垣ある場所まで辿りつく。
自然のなすままのようであった。無論、「〇郭」などと言ったものは立っていない しかし、明らかに城跡である。松代城跡とはまた別の感動があった。

なお、この「霞城」について、Wikipediには、
現在の長野市松代町大室付近の豪族、大室氏の居城であった。敵が攻めてくると、霞がかかったように見えなくなることからこの名がある。
大室氏は武田氏滅亡後、織田信長の家臣、森長可に仕えた。しかし森長可は本能寺の変で後ろ盾を失って撤退したため大室氏は上杉景勝に従う。
その後、上杉氏の会津移封後、大室氏も会津に移った。現在は、主郭部付近に石垣が残り、保存状態も良好。この付近でこのように堅固な石塁が残る
山城は他に鞍骨城、鷲尾城、雁田城と数えるほどで珍しい。また近くには大室古墳群があり、前方後円墳が城郭の一部になっている珍しい城である。
と解説されている。

散策日:2010年(平成22年)5月22日(土)