長野県小県郡長和町古町に、長和町指定史跡となっている『長窪城跡』(山城)があるということなので攻めてみることとした。
無論、城の歴史や規模等についての予備知識は全くなかった。
国道254号線(だったと思うが?)を走っていくと、写真のような標識を見つけたので標識の指す方向に愛馬の手綱をひく。
舗装されているとは言え、雨の山道であるからゆっくりと・・・
山道の頂上辺りに馬を2、3頭 繋いでおける場所があった。ここが城跡入口の搦手口であった。
城跡・館跡の定番となっている城跡碑と案内板がここでも当然の如く建てられている。
案内板の説明文をさらっと見てから、傘をさしての山登り。何と格好悪い城攻めであろう。
搦手口から本郭に向かう途中には、5つの段郭と5条の堀切が造られているとのことであるが、この写真が最初(?)の堀切。
郭の中では、2郭が一番広いということであるが、広いと言ってもこの程度
本郭跡にも城跡碑が建てられていました。東屋は城攻め客やハイカーのために設けられたのでしょうか・・・
本郭から更に先には、南郭群・馬出があるとのことから、南郭に向かうことにした。が、急斜面となっていて、片側にはロープが張られ、
もう片側には路面にロープが這わせてあった。急斜面がある場所で時折見られる光景である。片手に傘を持ち杖代わりに、もう片手で
張られたロープをつかみ斜面を降りた。ここが南1の郭でしょうか。
これより先はロープが張られ「入山禁止」の札が吊るされていた。
まあ、この状況ではこの先に進むつもりもなかったのでどうでもよかったので、愛馬を繋いである搦手口まで戻ることとした。
城の歴史等について私が書いても仕方ありませんので、案内板にある「長窪城跡について」を切り抜き加工しましたので載せておきます。早い話が手抜き・・・
攻城日:2010年(平成22年)5月23日(日)