四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

塩田城跡(長野県上田市)

2010年05月26日 | 100名城以外の城館跡


長野県上田市前山というところに、長野県指定史跡『塩田城跡』(山城)があるとのことから、城歴等何ひとつ知識がないまま訪ねてみることとした。
登城口前に設置された案内板によって、初めて鎌倉時代中期に鎌倉幕府の要職にあった北條氏が構えた城と知る。早速、攻城を開始するも、生憎の雨、
足元はぬかるんでいて滑ってしまう。途中まで行って引き返したものの、折角来たのだからと再度山登りを始めるが、この天候では、頂上までは
とても無理と諦め戻ってきました。




「長野県指定史跡 塩田城跡」説明板




塩田城跡の配置図




空堀跡




塩田城跡発掘調査地点




塩田城跡発掘調査地点の説明板
発掘調査の結果わかった遺構や出土品について書かれていますがゆっくり読む余裕はありませんでした




国時の墓まではまだ距離がありそうです




先に進んだものの雨でぬかるんだ道をこれ以上行くのも大変と涙ながらに引き返すことにしました。
無理してもしものことでもあれば大変ですからね。

攻城(失敗)日:2010年(平成22年)5月23日(日)         

荒砥城跡(長野県千曲市)

2010年05月26日 | 100名城以外の城館跡


 荒砥城は今から約400年前に、この地を治めていた村上氏の一族である「山田氏」によって築かれた城で、郭が連なるように並んでいるところから
『連郭式山城』と呼ばれています。 この時代は、全国各地で戦が繰り広げられていた戦国時代という時代です。この地も例外ではなく、荒砥城と千曲川を
はさんだ対岸の山頂に築かれた葛尾城の城主村上義清は、上田原の戦い(1548年)や戸石城の戦い(1550年)では武田信玄との戦に勝ち、領地を守っ
てきましたが、武田氏の圧倒的な軍勢の前に、1553年ついに葛尾城は落城し、荒砥城もこの戦いで城主を失い、山田氏は滅亡しています。
 その後、川中島の戦い(1553年~1564年)を経て荒砥城は上杉氏の治める城となりますが、海津城の副将であった屋代秀正は上杉に背き、海津城を
出て荒砥城に篭ります。1584年、上杉軍に攻められ荒砥城は落城して廃城となり、城としての役割を終えます。  (入場時に頂いたパンフレットから)




案内所
 長野県千曲市(旧上山田町)にある『荒砥城跡』(千曲市城山史跡公園)の案内所前に着いたのは午前8時を数分回った頃であった。公園の開園は午前9時で
入場料を徴収されるということは全く頭になかった(調べていなかった)ので、閉ざされた門を目の前にして考えてしまった。やっと辿り着いたのに、出直すと
いうのにはためらいがあったし、雨が降る中を1時間待つのも大変であった。どうしようかとしていたところ門の内側に人の姿が、そして門が開けられた。
案内所の職員であったが、門の外に人の気配がしたので驚いたとのことであった。そりゃそうですよね。雨の降るこんな早い時間にお客さんが来ているとは
想像だにいていなかったでしょうから。ということで、開園時間には未だあったが入場料300円を支払い特別に入園を許可してもらった。
「入城」と書きたいところなのですが、公園であるので入園。でも、券は「入場券」




四の郭




三の郭から見上げた井楼櫓




二の郭虎口の矢倉門と石積み




虎口を入ると郭への通路は石積みに囲まれています




二の郭の兵舎と井楼櫓




兵舎








二の郭の兵舎は映像室・展示室となっていますが、年譜等に混じり、大河ドラマ「風林火山」のロケ地に使われた時の写真が展示されています。
私は、大河ドラマ「風林火山」を観たことはなかったし、このことも知りませんでしたが、放送後は、この荒砥城跡にどっと見物客が訪れたそうです。




井楼櫓から二の郭、本郭を




井楼櫓から上田市方面を望む
この城山の下は、戸倉上山田温泉街。そういえば、慰安旅行で来たことがあった。まだ千曲市になる前の話ですが。




本郭虎口の矢倉門と石積み(二の郭とほぼ同じですね)




矢倉門から郭に行く通路




館と兵舎(手前)






建物はいずれも模擬建物(パンフレットでは「再現」という用語を使用)です。また、石積み等に対して疑問を呈している方もおりますが、
中世の山城とはこんなものだったんだろうなと思えるだけでも十分です。

攻城日:2010年(平成22年)5月23日(日) しとしと降っていました。       

岡城跡(長野県上田市)

2010年05月26日 | 100名城以外の城館跡




「岡城」という名の城は全国にいくつかあるようです。
♪春高楼の花の宴~♪「荒城の月」を作曲した滝廉太郎は、大分県竹田市にある「岡城」をイメージして作曲したという。
私自身、今年1月には埼玉県朝霞市にある「岡城」跡(城山公園)を訪ねましたが、今回は、長野県上田市にある「岡城」跡を訪ねてみました。

この「岡城跡」(上田市指定史跡)は、その一部が「岡城址公園」として遺っている。






城跡はそのほとんどが住宅地になったりしているし、公園と言っても遊具が2.3ある程度のものでした。








郭跡には「市指定史跡岡城跡」の標柱のほかに、「岡村城の由来」の石碑も建っておりました。
また、耕作地(写真右)になっているところが堀跡でしょう。
岡城については、トップの写真の案内板に説明されていますので参考にして下さい(見づらいかも)

攻城日:2010年(平成22年)5月23日(日) 生憎の雨天でしたが。