
名 称:荻野吟子生誕之地(おぎのぎんこせいたんのち)
指 定:熊谷市指定史跡(名称:荻野吟子生誕之地 昭和46年(1971)11月3日指定)
現 況:荻野吟子生誕之地史跡公園・荻野吟子記念館
所在地:埼玉県熊谷市俵瀬581-1 (大里郡妻沼町)
埼玉ゆかりの三偉人の一人である公許女医1号荻野吟子女史の生誕の地は、現在、「荻野吟子生誕
之地史跡公園」として保存されています。
『史蹟 荻野吟子生誕之地』碑の上半分が桜の葉で隠れてしまいました。

熊 谷 市 指 定 文 化 財 一、種 別 史跡 一、名 称 荻野吟子生誕之地 一、指定年月日 昭和46年11月3日 日本女医第一号の荻野吟子は嘉永4年(1851)3月3日幡羅郡俵瀬村の名主荻野綾三郎の 五女として、この地に誕生した。 幼くして妻沼両宣塾の松本万年に師事し優れた才能を開花させた。18歳で結婚後病により離婚、 女医の必要性痛感幾多の困難を経て明治18年(1885)開業試験に合格しわが国最初の女医 となり、湯島に開業した。 その後、キリスト教に入信し医業とともに婦人運動に参画し、明治29年(1896)渡道、瀬 棚町で医院を開業するが夫の死去により、明治41年(1908)帰京。 大正2年(1913)その生涯を閉じた。 熊谷市教育委員会 荻野吟子史跡保存会 |

荻野吟子女史の顔出しパネル

吟子さくら

荻野吟子女史像と荻野吟子女史顕彰碑

荻野吟子女子像

荻野吟子女史顕彰碑
題額には「荻野吟子女史之碑」とあります。
元々は、昭和43年(1968)4月に明治100年を記念して秦小学校に建立された荻野吟子女史顕彰碑で、
昭和59年(1984)11月 ここ荻野吟子生誕之地へ移転。史跡公園完成。

歌碑
無学のため全部は読めませんが、吟子は、北海道に渡り瀬棚村でも開業したことがあります。

四阿の休憩所

吟子女史の生家の長屋門を模した『荻野吟子記念館』

『荻野吟子記念館』入口
展示室(左側)と休憩室(右側)に分かれ、展示室には荻野吟子女史の生涯を時代に合わせて説明した
年表や資料を展示されています。

利根川の堤から荻野吟子生誕の地跡である荻野吟子生誕之地史跡公園と荻野吟子記念館を

荻野吟子の生涯を描いた渡辺淳一著『花埋み』 1970年(昭和45年)8月発行の初版本の単行本
半世紀前にこの『花埋み』を購入して読んだことにより、初めて荻野吟子という女史を知りました。
訪問日:令和元年(2019)5月15日(水)