四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

和名埴輪窯跡群(埼玉県吉見町)

2020年06月13日 | 古代窯跡


名 称:和名埴輪窯跡群(わなはにわようせきぐん)
形 態:埴輪窯跡  昭和49年(1974)の発掘調査で4基の登窯を検出
時 期:5世紀後半~7世紀
出土品:円筒埴輪・象形埴輪 
指 定:埼玉県選定重要遺跡(名称:和名埴輪窯跡群 昭和51年(1976)10月1日選定)
所在地:埼玉県比企郡吉見町和名

和名沼の北側斜面に埴輪窯跡群があるとのことで訪ねてみました。しかし、すんなり行けたわけで
はなく、いつもの如く付近をを行ったり来たりした挙句、近くで庭作業をしていた男性にお聞きし
てやっとたどり着いという次第です。

余談ですが、ここの「窯跡」は【ようせき】と音読みをしますが、場所によっては【かまあと】と
訓読みしています。
中には両方の読み方をしている窯跡もありますが。




現地の説明板
 
   和 名 埴 輪 窯 跡 群
 古くから、ここ和名沼の北側斜面一帯は、多くの埴輪が発見されることで知られていました。
昭和49年に行われた発掘調査では4基の埴輪を焼いた登り窯の跡が見つかっています。昭和62年
にはさらに1基の窯跡があることが確かめられ、そのままこの場所に遺されています。これ以外
にもたくさんの登り窯跡があると考えられており、県内有数の埴輪窯跡群のひとつです。
埴輪は、今から1600年前から1200年前頃まで続いた古墳時代の豪族の墓である古墳の廻りに設置
されたものです。
 ここで焼かれた埴輪には、人物、馬などの形象埴輪や円筒埴輪があり、近くの久米田古墳群を
はじめとする吉見丘陵や、岩鼻古墳群などの松山台地上に造られた多くの古墳の設置するために
生産されたと考えられます。
  昭和62年6月
                                 吉見町教育委員会




和名沼北側斜面には、ここの埴輪窯跡群以外は住宅が建ち並んでおり、新たな窯跡の発掘は難しい
と思われます。




窯跡を杭で表示してありましたが、草が繁茂していたため見落とすところでしたし、全体を見るこ
とはできませんでした。

散策日:令和2年(2020)5月28日(木)