熊谷市東別府799に所在する「香林寺」を訪ねてきました。この香林寺は、別府小太郎清重が、父義重を供養をするために建立したと言われ、別府氏館跡にあります。
成田助隆の次男次郎行隆が別府に住み別府氏を名乗った。息子の代に東別府氏と西別府氏に分かれ、数代相対して領地し、それぞれ城(館)を構えました。
この投稿では、この香林寺の場所を「別府氏館跡」としましたが、名称については定まったものがなく、著書やWebによっては色々な呼び方がされています。
付近には、この香林寺を含め別府云々と言われる城館跡が3ヶ所あり、名称が統一されておらずややこしい状態になっています。
「曹洞宗福聚山香林禅寺」の寺号標石柱 右は香林寺の駐車場
こちらにも古い寺号標石柱があります この寺号標石柱の右側も交差点まで香林寺の墓所です
六地蔵尊
この道が参道でしょう
寺号標、六地蔵尊のある位置から察するにこの辺り一帯が館域であったのでしょう
山門 風格ある堅固な門です
山号「福聚山」の扁額
山門(正門)閉まっていましたので右に行くともう一つの門(通用門?)があり、この前も広い駐車場になっています
この門から境内にお邪魔させていただきました
鐘楼
阿弥陀堂
山門(正門)から本堂への石畳の参道 鍵の手になっている参道です
ここで写真を撮らせていただいているとき、住職さんが来られましたので挨拶をさせていただき、色々とお話を聞かせていただきました。
本堂
金剛組さんの手による建築とのことでしたが、建築にまつわるお話も
寺号「香林寺」の扁額
扉の硝子に刻まれているのは香林寺の寺紋 帰宅後調べてみましたら「六つ槌」と言う紋のようです 別名「土井水車」とも
本堂を斜めから
本堂前に植えられた松
建久8年(1197) 源頼朝が来山した時の御手植松の跡に碑(明治4年建立)があると教えていただきました
これがその碑ですが、苔むしており文字も読めない状態です
教えていただかなければ碑であることさえも気付かなかったでしょう
境内の白梅がほころんでいましたので本堂をバックに・・・
境内周囲には堀跡や土塁と言った遺構と思われるものは見当たりませんでした(細かく散策すれば遺構らしきものがあったのかもしれませんが)。住職さんのお話ですと、
今は田畑や住宅地となっている付近一帯が館域跡のことですから、既に遺構はなくなっているのではないかと、またもや素人が根拠のない推測をしてみました。
散策日:2017年5平成29年)1月25日(水)
※ 1月30日追記:香林寺にある別府義重・清重親子の墓の写真を撮っていませんので後日撮りに行きましょう(訪問時、墓の存在について全く考えもしなかったという愚かさ)