29年度坂戸市文化団体連合会企画講演会
知ろう郷土の歴史を!!
東山道の発掘から古代の坂戸を考える
講師:坂戸市教育委員会 加 藤 恭 朗 氏
日時:平成30年3月23日(金)14:00~16:00
会場:坂戸市文化会館 第1会議室(平成の間)
を聴講してきました。
「東山道武蔵路の発掘から古代の坂戸を考える 坂戸で発見された古代の官道」
をテーマに、東山道武蔵路や隣接する勝呂廃寺の発掘状況等を中心にパワーポイントによる画像で紹介解説をしていただきま
した。講話の中で登場した勝呂廃寺や南比企窯跡群など実際に見学してきたことがあっただけに理解しやすく大変勉強参考に
なる講演会でした。
上記地図は、資料「東山道武蔵路を探る~路でつながる古代の国分寺と坂戸~」からの転載
下記は、同資料「2東山道武蔵路ってなぁに?」から抜粋引用させていただきました。
都と地方を結ぶ官道は、7世紀後半から本格的な整備が始まったと考えられています。古代の武蔵国(現在の埼玉県・
東京都・神奈川県の一部)は、「東山道」に所属していましたが上野国(現在の群馬県)と下野国(現在の栃木県)を通過
する、東山道かの本道からは外れた位置にありました。
このため、東山道から南下して武蔵国府(現在の東京都府中市)へ向かう官道が整備されました。この官道については、
奈良時代の歴史書『続日本紀』に記されていますが、名称までは記載されていないため、便宜的に「東山道武蔵路」と呼ば
れています。
しかし、上野国から武蔵国府へ向かい再び同じルートで戻るのは当時の人々にとっても負担であったため、宝亀二年(7
71)に武蔵国は東山道から「東海道」へ所属替えとなりました。これによって、官道としての東山道武蔵路は役目を終え、
東海道を使用して相模国(現在の神奈川県)から武蔵国府をを経由し、下総国(現在の千葉県北部)に向かうルートに変更
になりました。以下略
資料 2種類
左のカラーのものは、第1回国分寺市・坂戸市合同企画展(平成27年11月~平成28年3月)の際の資料ですが、今回の講
演会でも活躍です。
聴講日:平成30年(2018)3月23日(金)