城 名:横地監物館(よこちけんもつやかた)
別 名:横地監物屋敷
形 態:居館
時 期:不明
築城主:横地監物
城 主:横地氏
遺 構:土塁?
指 定:ー
現 状:宗関寺
所在地:東京都八王子寺元八王子町3丁目
八王子城主北条氏照の重臣・横地監物吉信は、天正18年(1590)6月23日の豊臣秀吉による小田原征伐で八王子城は前田
利家・上杉景勝・真田昌幸らに攻められた。小田原城に詰めていた氏照に代わって八王子城の城代として本丸に詰め指揮を執
ったが城は一日で落城し、横地監物は再起を図ろうと城を抜け檜原城へ逃れたが、ここも落城し、後に奥多摩の小河内山中で
自刃したと伝わる。
その横地監物吉信の屋敷だったとされる場所が、現在の宗関寺(八王子市元八王子3丁目)のあるところと言われます。
宗関寺は延喜年間の草創で天慶2年(939)朱雀天皇から領地を賜り勅願所として牛頭山神護寺とした。北條氏照が八王子城を
築く際に堂宇を永禄7年(1564)に建立、2年後の永禄9年(1566)牛頭山宗関寺として再興される。天正18年(1590)の
八王子城落城と共に焼失するが、2年後には山号をあらため朝遊山宗関寺として再建された。
氏照によって再建された時の寺地は現在の所在地より少し城山側、氏照の墓所がある付近に建てられており、この場所には当
時、氏照の重臣・横地監物の屋敷があった。
明治25年(1892)宗関寺は現在の場所である横地監物屋敷跡に移築された。
横地監物屋敷の遺構と呼べるものはないが、寺の門の両側と道向かいにある横地堤と称される土塁ようの土盛りが屋敷跡の名
残のようです
八王子所跡の手前約800mの所にある宗関寺
横地堤と称される土塁ようの土盛り
宗関寺表入り口
説明板が立っていますが全く読めない状態です。宗関寺の銅造梵鐘が市指定有形文化財となっていることからこの説明板かと
本堂
扁額「宗関寺」と揮毫
大棟の棟紋は北条氏の三つ鱗紋
鐘楼
梵鐘は、氏照の重臣だった中山勘解由家範の孫で水戸藩家老・中山信治が、氏照の百回忌法要を挙行した際に寄進したもの。
鐘楼の宝形造りの露盤にも三つ鱗紋が入っています
車道で分断されていますがこれも横地堤の名残りのようです
道路から見た宗関寺の観音堂 春先に訪れていれば見事な枝垂れ桜を観ることができたでしょう
散策日:平成30年(2018)6月23日(土)