本庄市にある本庄城跡を訪ねてみました。本庄市役所のそばにあることは分っていたのですが、中々見つけられずいつもの予備調べ不足を今回もやってしまいました。
更に、場所探しのために2度も立ち寄ったそんな市役所も実は城跡の一部であることや、他にも城跡域の場所があったにも気付かず、1度では用が足りないのはここに限ったことではありません。
城山稲荷神社の鳥居 城山と付くのであるから城があったのは間違いないということで
「本庄城趾」の石碑
本庄新八景の標柱
歴史を今に伝える本庄城址の城山稲荷神社 とあり、更に、 この地の豪族本庄氏が弘治2年(1556)に築城・・・と短い説明も
本庄城跡の案内板 判読しずらいので文面を転記します(漢数字は算数字に置き換え)
本庄城跡 所在地 本庄市本庄3-5
本庄城は、弘治2年(1556)本庄宮内少輔実忠により築城されたといわれている。本庄氏は、山内上杉氏に属したが、永禄10年(1567)に後北条氏に攻められて落城し、
後北条氏に攻められて落城し、後北条氏に属したが、実忠の子隼人正(はやとのしょう)の代に至って天正18年(1590)豊臣秀吉の関東攻めにより落城した。徳川家康の
関東入国に伴い、信濃国松尾の城主小笠原信嶺が1万石を賜って新城主となったが、慶長17年(1612)その嗣子信之の代に古河城へ移封され、本庄城は廃された。
元禄13年(1700)の城跡検地帳には3町4反5畝29歩(約3.4ヘクタール)と記されている。その区域は、現在の本庄簡易裁判所から八坂神社にかけての地域で、
北側は元小山川が流れ、南東は久城堀で切断された自然の要害であった。なお、小笠原信嶺夫妻の墓は、開善寺にあり、本庄城跡は昭和33年本庄市指定の文化財となっている。
昭和61年3月 埼玉県 本庄市
城山稲荷神社 御由緒
何か殺伐とした雰囲気の城跡のようですが、春は桜の名所として華やかな雰囲気に変わるようです。
城跡にしては狭いとこの時は感じましたが、実はここはほんの一部のようでした。
鳥居のある場所と反対側から
フェンスの向こうに見える建物は本庄市役所 この辺り一帯が城跡のようです
石段を下りたら窪地になっていました 両端は土塁でしょうか 切岸でしょうか?
この上は先程の平場(市役所方向)のようです
城山稲荷神社の説明板
天然記念物指定のケヤキと城山稲荷神社社殿
城山稲荷神社のケヤキの説明板
城山稲荷神社社殿
社殿裏は元小山川 本庄城は段丘に築城されたことが分ります
公園となっている本庄城跡の一部
同上
あまりにも見落としの多かった本庄城跡でした。機会あれば再訪を・・・時間に余裕を持って
散策日:2017年(平成29年)1月21日(土)