上里町金久保地内に「陽雲寺」と言う曹洞宗の寺院があります。ここは、明応元年(1492)に大畠氏が築いたとされる金窪南城跡と言われているようです。
享禄元年(1528)には陽雲寺がこの地に創建されたとされ、城としての機能は短期間で失われたようです。
この陽雲寺に武田信玄の室の墓があるとのことから訪ねてみました。
県道392号線にある寺号標(左)と山号標(右)の石柱
土塁跡 ①
土塁跡 ②
土塁跡 ③
土塁跡 ④
参道から見た本堂
畑時能の墓
畑時能供養祠と銅鐘についての説明板
鐘楼
銅鐘
陽雲寺の説明板
文化財一覧掲示板
鞍間太郎坊大神
陽雲寺所蔵文化財の説明板
本堂
寺号「陽雲寺」の扁額
大棟の鬼瓦には武田菱が 住職は武田信玄の子孫が代々務めている
山門 直進したところに鞍間太郎坊大神がある
山門前の石碑 武田信玄室三條夫人御霊廟 の文字が読み取れる
墓地の一角にある武田信玄の夫人とされる墓所
武田家遺臣招魂碑
玉垣で囲まれた墓所
武田信玄夫人とされる者の墓
同墓の人物は没年等から信玄夫人(三條夫人)とは別人の墓ではないかと言われている
三條夫人の墓は山梨県甲府市の円光院というところにある
「円光院」という寺号は、三條夫人の法号に因んでいるなど
残念ながら「伝武田信玄夫妻画像」や陽雲寺所蔵の文書の実物を見ることはできませんので、何かあるのではないかと「上里町図書館・資料館」まで足を伸ばしてみました。
模写やレプリカとまではいきませんが写真をパネルにしたものが展示されていました
文書も同様に ※ただし何れも写真はありません
武田信玄夫人とされる墓の疑問点や、城跡としての金窪南城についてももっと考察が必要かもしれませんが今回はこの程度でご勘弁を・・・
散策日:2017年(平成29年)1月20日(金)・21日(土)