四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

今宿遺跡(埼玉県狭山市)

2021年07月16日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:今宿遺跡(いまじゅくいせき)
形 態;集落跡
時 代:奈良・平安時代(8世紀~10世紀)
指 定:狭山市指定史跡(名称:今宿遺跡 昭和51年〔1976〕4月1日指定)
所在地:埼玉県狭山市広瀬台1丁目22番

狭山市広瀬台の団地の中の公園に、奈良・平安時代の住居跡である今宿遺跡があるとのことで訪ね
てみました。




今宿遺跡のある公園を北側から 遺跡保存エリアへは立ち入りできません




公園内東側に建立されている「入間市指定史跡 今宿遺跡」石碑
碑陰には、今宿遺跡発見の経緯と遺跡の説明が全面委刻まれており
末尾に 昭和46年4月1日 狭山市教育委員会 とあります




【今宿遺跡説明板】
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狭山市指定文化財 史跡
今宿遺跡
                             所在地 狭山市大字上広瀬
                                 指定年月日 昭和51年4月1日

 この遺跡が発掘調査されたのは昭和44年(1969)4月で、大規模宅地造成に伴うものでした。発掘面積は約78,
000平方メートルで、そこから48軒の竪穴住居跡が見つかり、3軒が保存(うち1軒は復元)されています。
 発掘された住居跡は正方形かそれに近いもので、地面を掘り下げて床とし、その周囲には溝を掘って板を埋めて
壁としました。竈は住居の北側または東側の壁に築かれ、煙り出しの煙道(えんどう)は住居外に設けてあります。
 住居の大きさは縦横とも4メートル前後が多く、なかには7メートルを超えるものもありました。住居が築かれた
年代は、8世紀台がもっとも多くて25軒、8~9世紀にかけてが1軒、9世紀台が11軒、10世紀台が2軒、不明が9軒で
す。
 出土品は土器がもっとも多く、このほかに鉄製品・銅製品、炭化したコメ・ヒエがあります。土器は土師器(は
じき)・須恵器(すえき)が主体を占めていますが、なかには灰釉陶器・緑釉陶器といった釉薬のかかったものも
あります。
 鉄製品は鋤・鎌といった農具や、刀子(小刀)、矢の先端に取りつけた鏃などが出土しています。また銅製品は、
簪が見つかっています。

        平成18年2月
                       狭山市教育委員会 狭山市文化財保護審議会

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北側道路から遺跡エリアを
復元された住居と竪穴式住居跡の窪み




復元住居を西方から




復元住居を西方から




「メタセコイア古木株」
今宿遺跡とは関係のないもので、昭和49年に笹井堰下流の入間川河床で見つかったものを、ここに
保存展示されているもの
詳細は省きます。

散策日:令和3年(2021)5月30日(日)

新田義興の首塚(埼玉県入間市)

2021年07月13日 | 史跡・遺跡・文化財


名 称:新田義興の首塚(にったよしおきのくびづか)
別 称;新田義興公首塚
指 定:-
所在地:埼玉県入間市豊岡3丁目7-32 愛宕神社




愛宕神社鳥居
これは二の鳥居で一の鳥居は西方へ100mほど行った町屋通りに面してあります




首塚のある拝殿前に向います




【愛宕神社御由緒】
新田義興も御祭神の一柱として祀られているようです
「義興の首塚(首塚の松)」と共に「十三塚」も今回の目的です




拝殿前まで来ました
春日野部屋栃神山 龍一という提灯が下がっていますが、入間市出身の力士です




     左側:十三塚                     右側:新田義興首塚




『新田義興の首塚』
トタンで覆われた奥の切り株が初代「首塚の松」で、手前が2代目「首塚の松」の切り株
令和に入ったころはまだ2代目「首塚の松」はあったようです。しかし、その理由は分りませんが、
ここ1、2年の間に切られて株だけになったようです。




『南朝忠臣新田義興公 首塚之松』碑




『「新田義興公首塚」並びに「首塚の松」御由緒 』
新田義興の「首塚」はここ愛宕神社 「胴塚」は新田神社(東京・大田区)にあるようですね。
では、「墓」はと言うと、太田市由良町の威光寺にある宝篋印塔がそれだと言われています。
威光寺は新田義興開基の寺です。
  『新田義興の墓・威光寺』 ←クリックで記事にリンク
  『入間川御所』      ←クリックで記事にリンク
義興主従は矢口の渡しで、足利幕府の者により謀殺(享年28歳)されましたが、この足利幕府の者
とは、竹沢右京亮と江戸遠江守らのことです。
竹沢右京亮は、武蔵七党の児玉党に属する竹沢氏であり、比企郡竹沢郷(埼玉県小川町)を本領に
していた人物に比定されます。
  『竹沢二郎館』      ←クリックで記事にリンク




『十三塚』




『新田義興公従者十三士の塚 十三塚』碑




『新田義興公と十三塚』
先の『「新田義興公首塚」並びに「首塚の松」御由緒 』とかなり重複しています




『初代首塚の松』




「初代首塚の松」保存について




【手水舎】




【日枝神社】




【神楽殿】



最後に樹木の枝の間に見える愛宕神社本殿の「千木」を・・・

散策日:令和3年(2021)5月30日(日)

愛宕神社の芭蕉句碑(埼玉県入間市)

2021年07月11日 | 歌碑・句碑


 句 : ひらひらと 挙ぐる扇や 雲の峰 
     (ひらひらと あぐるおおぎや くものみね)

出 典: 『笈日記』  元禄7年(1654)6月 芭蕉51歳の時の句
所在地:埼玉県入間市豊岡3-7-32 愛宕神社
建立年:不明 
建立者:惣連中 蟻友(吉原宗治)




社号標と鳥居(左側)の間に見えるのが芭蕉の句碑




「芭蕉翁句碑説明板」




【碑陰】
     惣連中 蟻友   當所 安藤義眞彫

句には「扇」という言葉が入っていますが、この愛宕神社の御神体は「五本骨の扇」です。
所在地である「豊岡」の地名については、明治22年(1889)4月1日、扇町屋村・黒須村・高倉村・
善蔵新田が合併してできた地名(豊岡町)。昭和31年(1956)、豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、
西武町の一部が合併して武蔵町となり昭和41年(1966)市制施行で入間市となるが、現在も町名と
して扇町屋の名が残っています。
この扇町屋という地名の由来は幾つかあるようで、そのひとつに愛宕神社の御神体である「五本骨
の扇」があるとのことです。
長々と書いた割には分りづらい文章になってしまいましたが、句碑に敢えて「扇」という言葉があ
る句を選んだのは、もしかしたら「五本骨の扇」・「扇町屋」を意識してのことかと勝手に推測し
てみました。

散策日:令和3年(2021)5月30日(日)

続日本100名城 菅谷城のヤマユリ

2021年07月09日 | 花・鳥・風景


続日本100名城のひとつ国指定史跡比企城館跡群菅谷館(埼玉県嵐山町)のヤマユリが今年も咲き
始めたとのことから見学に行ってきました。
ヤマユリ見学には毎年行っていますが、今日、小雨降る中を午前中の早い時間帯に訪ね、迷わずに
本郭に・・・いつもの場所の土塁に4輪咲いていましが、他はまだ蕾状態。
もう少し日を置いてからならあちらこちらで咲いた姿が見れるのでしょうが気持ちが急いて・・・




本郭の土塁に咲いているヤマユリ
菅谷館跡内にある県立嵐山史跡の博物館の埼玉県のマスコットコバトンとヤマユリのスタンプ










本郭虎口を入った所のヤマユリはまだ蕾

散策日:令和3年(2121)7月9日(金)

八津池窯跡(埼玉県入間市)

2021年07月07日 | 古代窯跡


名 称:八津池窯跡( やついけかまあと)
種 別:瓦窯跡
時 代:奈良時代
指 定:-
所在地:埼玉県入間市小田谷1518 八津池公園

蓮池公園にある『八津池窯跡』は、東金子窯跡群に属す窯跡のひとつで、この東金子窯跡群と南多
摩窯跡群(東京都八王子市)、南比企窯跡群(埼玉県比企郡)、末野窯跡群(埼玉県大里郡)が、
古代武蔵国の四大窯跡と呼ばれました。この八津池窯跡では、武蔵国分寺に使用された瓦を焼いて
いたようです。
八津池窯跡のある八津池は、江戸時代初期から昭和30年代まで水田を潤してきた溜池だったとのこ
とです。現在は、公園として整備されています。そんな八津池窯跡を訪ねてみました。




八津池窯跡は八津池の西側にありますので池のほとりを廻って西側に




「八津池窯跡」説明板が建っています
説明板の背後にあるのが窯跡のようですが周囲はコンクリート柱と金網で囲繞されています




「八津池窯跡」説明板




囲繞された窯跡の場所をを南方から




中の様子は見えませんが埋め戻して保存しているようですが、窯跡と言っても窯跡なのか竪穴跡な
のか工房跡なのか上の説明板では分りません(知識不足ゆえに)




説明板の背後辺りはこんな様子です




「小御岳石尊大権現」と刻まれてれた石塔がありますが窯跡とは関係ないものでしょう




ここで偶々お会いした私と同年配の男性の方から貴重なお話をお聞きしました。
男性から声をかけられましたので、窯跡を訪ねて来たのだと話したところ、実は階段のところから
【ふれあい茶ん歩道案内図】のある背後の窪んだ部分に窯跡が分る形で残っていたが、土砂崩れが
起きてしまったことから今のようにコンクリートで護壁したとのことでした。いつの頃の話かまで
は聞きそびれましたが、言われてみれば納得です。説明板には「窯跡6基・・・」とありますので、
この付近のどこかに複数のこの窯跡があったわけで、その場所が窪んだ部分だと考えることに矛盾
はありませんから。当時は緩やかな斜面であったのでしょう。




四阿から八津池を




八津池北側の住宅街 背後の山林に入間市青少年活動センターがあります




八津池東側から窯跡のある八津池西側を

散策日:令和3年(2021)5月30日(日)

新久窯跡(埼玉県入間市)

2021年07月06日 | 古代窯跡


名 称:新久窯跡( あらくかまあと)
種 別:瓦窯跡
時 代:平安時代
指 定:入間市指定史跡(名称:新久窯跡 昭和53年〔1978〕12月21日指定)
所在地:埼玉県入間市新久870-6  入間台遺跡公園(窯跡公園)

『新久窯跡』は、東金子窯跡群に属す窯跡のひとつで、入間台団地の一角にあります。この東金子
窯跡群と南多摩窯跡群(東京都八王子市)、南比企窯跡群(埼玉県比企郡)、末野窯跡群(埼玉県
大里郡)が、古代武蔵国の四大窯跡と呼ばれる須恵器生産の拠点でした。
新久窯跡は、現在、入間台遺跡公園(新久窯跡公園)として整備されていますが、そんな新久窯跡
を訪ねてみました。




新久窯跡公園  新久窯跡はこの公園にあります




四阿から遊具が見えます




「新久窯跡」の説明板が建てられています




「新久窯跡」説明板




説明板の脇から蓮池のある窯跡のある場所に下ります
その先は霊園です




斜面中腹にも「新久窯跡」説明板が建てられています その右側には「史跡 新久窯跡」の標柱
この説明板と標柱の両側に窯跡があります




「新久窯跡」説明板




説明板の中から登り窯のイラストを




蓮池の向こうにコンクリート枠が並んでいますが、2列に並んだコンクリート枠の間が窯跡のよう
です(再現はされていませんが 以下同じ)
コンクリート枠は、窯跡の位置表示であるとともに、窯跡公園としてのモニュメントの役割も果た
しているのかも知れませんし、景観を損なわない方法でもあるようです(勝手な解釈)




コンクリート枠をアップで




池の上の斜面が窪んでいるのが分ると思いますが登り窯の跡です




反対方向から




斜面方向に向かって




樹木でコンクリート枠がよく見えませんが、ここも登り窯の跡です




蓮池に睡蓮が咲いていましたので・・・




もう一度 南方から見た左側の登り窯跡




南方から見た左側の登り窯跡をもう一度

散策日:令和3年(2021)5月30日(日)

古代蓮の里 ②(埼玉県行田市)

2021年07月05日 | 花・鳥・風景


『古代蓮の里 』その2
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行田蓮(古代蓮)
 古代蓮は、昭和46年に公共施設工事の際、地中の種子が自然発芽、開花したものです。花弁数が
 13~18枚で一重咲種。原始的な形態を持つ1400年~3000年前の蓮と言われています。
                           (チラシ「行田市古代蓮の里」から抜粋)
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前半の写真が【行田蓮(古代蓮)】、後半が【世界の蓮】です。








































散策日:令和3年(2021)7月3日(土)

古代蓮の里 ①(埼玉県行田市)

2021年07月04日 | 花・鳥・風景


行田市の「古代蓮の里」を散策して来ました。
付近や傍は何度も通っていますが、見学は実に12年ぶりのことです。
天気予報は大雨でしたが、ほとんど降らずの曇り空。見物客も少ないだろうと思って行ったものの
駐車場は満杯状態。入園料は徴収されませんが駐車料金普通車が500円で、これが入園料代わりと
言ったとこでしょうか。14:00以降は無料になりますが、蓮の花は閉じてしまいますので・・・
古代蓮会館・展望室への入館はパスしました。






























散策日:令和3年(2021)7月3日(土)

考古学講座「埼玉古墳群入門講座」

2021年07月03日 | 講演会・講座


埼玉県立さきたま史跡の博物館主催
令和3年度さきたま講座 考古学講座「埼玉古墳群入門講座」
講 師: 田 邊 え り 氏(埼玉県立さきたま史跡の博物館学芸員)
日 時: 令和3年(2021)7月3日(土)13:30~15:30  
会 場: 埼玉県立さきたま史跡の博物館 2階講堂 (埼玉県行田市埼玉)

を聴講してきました。

内容は
 1. 埼玉古墳群とは
 2. 古墳時代とは
 3. ワカタケル大王の時代
 4. 埼玉古墳群の特徴
 5. 各古墳の特徴

新型コロナウイルス感染防止の観点から本年度初めてのさきたま講座でした。
本講座自体も予定日を延期し、聴講者も通常の半数に減らしての開催。




埼玉県立さきたま史跡の博物館と今回の講座資料・・・A3判 5枚10ページ

聴講日:令和3年(2021)7月3日(土)