水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・115」

2007-11-29 22:50:05 | Weblog




  第十章(3)
  無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽

迷いや閉塞感の「無明」だ。
そんなのは、日常生活で普通に起こる。
闇の中で迷いながら、アチコチぶつかりながら生きている。
それも含めて、生活する、暮らす、という事だと思う。
それだけでは苦しい、淋しい、辛い。
苦しむ為に生きているわけじゃない。

「無明」を否定しても解決しない。
現実(生活)的ではないからだ。
無明から脱却しなさい、なんていうのは寝言だ。
そんな事を真顔でいう宗教家は詐欺師か(厚顔)無知だ。
「無明」を抱きしめる。
それをブッちゃん(仏陀)は「慈悲」と言ったのだ。

だから「無無明」は肯定の言葉だ。
「無明」に「こだわるなよ」と言った。
更に「無明」も愉しめるぜ、と言った。
バカ(無明)は可愛いと思える心。
それが仏教の真ん中にある「慈悲」だと思うぜ。
 
       
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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