水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷想中・迷走中・617」

2022-09-10 21:23:56 | Weblog



ある気功師・222

私のような中途半端な治療者と故師匠は違う。
私の千倍、万倍の力があるのだ。
毎日奇跡が起こせるような能力だ。
ある意味、簡単に病を消せる。
だから、尚更その責任は重い。

治すではなく、害をなす例えなら・・・
人を殺せる武器。
拳銃と核ミサイルでは使い方の重さが違う。
影響力が違いすぎる。
当然、使った場合の責任の重さが違う。

現代は変な時代で、核ミサイルを持っている国が威張る。
自分勝手に他を脅しても、まかり通っている。
力の大きな人、組織、国ほど、より責任を取らない
だが、生命を直接扱う治療師は代償を払う事になる。
治す、というのは害を為す事よりも影響が大きいのだ。


(本館は、HP「気の空間・氣功療法院」検索
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「迷想中・迷走中・616」

2022-09-09 22:06:24 | Weblog



ある気功師・221

幾年もそういう思いをしてきた。
どうして病を治しきらないのだろう。
症状の自覚が無い段階の病も同じだった。
早く病院で検査して下さい。
そう言っても数か月何もしない。
そして、やがて深刻な病が発覚する。
私のような、アヤシイ気功師の言葉は軽い・・・

それが20年も経つと私の思いは変わった。
いいのだ。
その人の人生だ。
これは、ヤケで言っているのではない。
やっと、他の人の人生を尊重できるようになった。

人生というものを私の浅い考えで判断していた。
生命というものを浅い判断していた。
病を簡単に悪いモノと浅い判断していた。
治療は良い事と、浅い判断をしていたのだ。


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「迷想中・迷走中・614」

2022-09-08 21:58:54 | Weblog



ある気功師・220

次第に気づく事がある。
治す事の認識の違いだ。
私は病を消す事が治す事だと思っていた。
依頼者も同じ思いだ。
だが実際は症状の有無だ。

病は本人にとって、症状があるかどうかで判断する。
その症状が厳しければ、より病を治そうとする。
痛い、辛い、苦しいからだ。
治る過程で、症状が軽くなる、薄くなる。
やがて、症状は消えてくる。
だが、病が消えたわけではないのだ。

私の感覚では未だ病の塊を感じている。
だからキチンと治そうとする。
依頼者は症状が消えているので、困らない。
更なる治療の必要性を感じられないのだ。
そして、治療は終わりとしてしまう。
私と依頼者の認識はズレたまま・・・


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「迷想中・迷走中・613」

2022-09-07 21:01:49 | Weblog



ある気功師・219

治療院を立ち上げ、三年間は龍村道場に通った。
出来る限り難病や奇病を扱うようにしていた。
身の程知らず・・・だが、少しは役にたったようだ。
そういう時期、病に対する思いがあった。

故師匠の、病は(簡単に)治すな、の意味。
その頃はとても理解しきれていなかった。
病はその人にとって、大切な出来事の一つ。
人生にとって、とても重要な要素の一つ。
そう言われても、深く思えなかった。

確かに勝手に治してはいけない事は理解できる。
依頼されて、初めて手を出す。
だが、共に最後まで病を治すのが役目だと思っていた。
それなのに、依頼者本人が途中で止める。
あと数回すれば、完全に治りきるのに・・・
そういう思いがあった。



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「迷想中・迷走中・612」

2022-09-06 21:44:48 | Weblog



ある気功師・218

今の姿勢を更に付け足す。
病の人に本気度を試すような事は出来ない。
勝手に治療はしないが、依頼されれば手助けする。
そう、手助けするのだ。

私は治療を始め、やがてプロを自覚する。
10年経って、プロ側に入ったと自覚できる。
プロ側に入っても、やっとヨチヨチ歩きのヒヨッコだ。
それから次第に歩く足がしっかりしてくる。
それでも一人前というのは気が引ける。

生命を相手にするには、どこまで行っても足りない。
一人前というのは一応であり、仮だ。
そこまででも20年くらいかかると思う。
そしてやっと病は簡単に治してはいけないと思える。
治す手段があり、その自信があっても、だ。
そして、手伝い、の段階で止める。


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「迷想中・迷走中・611」

2022-09-05 21:54:20 | Weblog



ある気功師・217

今まで故師匠は忙しく次から次へと治療してきた。
そして今回大きな気づきとなった。
病気は勝手に治してはいけない。
(難病や奇病などの場合だ)
勝手に、というところが説明困難だけど・・・

本人が本気で治そうとしているか。
簡単に治そうとしていないか。
本気で依頼されているか。
簡単に引き受けていないか。

全ての難病や奇病や重病ではない。
その人の重要な人生に係わる部分だ。
勝手に簡単に他人の人生に影響を与えてはいけない。
そんな権利はないのだ。
勝手に病を押し付けるのと同じ。
その深さに私が納得するのは20年かかった。


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「迷想中・迷走中・610」

2022-09-04 21:31:34 | Weblog



ある気功師・216

1995年に戻す。
7月に土産屋を閉め、治療院を立ち上げた。
治療師として生きる事になった。
だが、とてもプロとはいえない。
何も知らないに等しいのだ。

龍村道場(塾)に通い、研鑽を積むのが続く。
師匠の主催、あるいは紹介で、様々なセミナーに出席。
様々な健康、治療の分野のトップの先生方のセミナーだ。
ほとんどは座学と実習の組み合わせだ。

故師匠のセミナーも、相変わらず追っかけた。
退院後の故師匠は、より指導が深くなった。
以前のように、簡単に大勢の治療をしなくなった。
それには、とても重要な意味があった。
倒れて三ヶ月間、じっくり考え直した変化だった。


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「迷想中・迷走中・609」

2022-09-03 21:11:54 | Weblog



ある気功師・215

何もしなくても回復方向に進む。
ものぐさな私の性格にも適合・・・。
見た目はチンケな治療院だが、中身は結構マトモなのだ。
まるで、私のよう。
見た目はチンケだが、扱う「氣」はかなりマトモ。

そんな治療院の頑張り?もあって、何とかやってきた。
だが、物事には終わりがある。
エントロピーの法則という訳の分からない例えにもある。
物事は一方向に進んで、別の何かに変わるのだ。

今年2022年、治療院は閉院した。
私の治療は終わらないが、方向は少し変わった。
難病、奇病、重病を積極的にしてきた。
依頼されれば受けるが、積極的は終わった。
それよりも高齢者の若返りに目が向いている。


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「迷想中・迷走中・608」

2022-09-02 21:09:43 | Weblog



ある気功師・214

般若心経はとても濃い経だ。
唱えるだけで効果が出る。
書いた、書かれた経を置くだけで効果がある。
まぁ、とても大雑把な表現だけど、嘘ではない。

実際には濃淡、重軽、広狭の差が出る。
例えば唱える人によって。
その氣の入れ方によって。
書いている状態によって。
その他、いろいろな条件で変わる。

変わるが、その性質は変わらない。
その性質は、調和、だ。
だから穢れが薄くなる。
不調和が軽くなる。
空間に、あらゆる内部に、浸透する。


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「迷想中・迷走中・607」

2022-09-01 21:52:16 | Weblog



ある気功師・213

私は幾つもの無能があるが、その一つの字。
下手でも開き直って幾十年。
すると変な現象になった。
世の中、本当に凄いモノを見抜く人は少ない。
私の字が良い、時には上手い、と勘違いされる。
もちろん、あえて下手だとはアピールしない。

その味のある字?で写経する。
幾枚も写経した。
写経した紙は捨てるものじゃない、と誰かが・・・
で、取っておいた私の写経。
使い道が出来たのだ。
床下、天井裏にバラまいた。

私の本妻が一人いる。
本妻も習字などしていたせいか、字が上手い。
ついでに愚息と愚娘も字が上手い。
私だけが家族で仲間外れなのだ。
きっと拾われてきたのだと思う。
その本妻もつられて写経していた。
その紙もバラまいたから、少しはマトモだろう。


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