とだ*やすこの「いまここ@島本」

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大阪府島本町議会議員
とだ*やすこの活動報告

ご存知でした?ランドセルの歴史

2023年02月02日 | やります!子ども・子育て・人びと支援
如月、梅の蕾が少し膨らんでいます。朝には黙々と集団登校する小学生も下校時は寒さ知らずの元気ぶり。走る背中に重たげにランドセルが揺れていました。

2023年のランドセル商戦(ラン活:ランドセルを購入することを昨今このように呼ぶそうです)はと~っくに終わっているようで、インターネット上には既に2024年度版のカタログが紹介されていて、わが目を疑いました。


もう20年もまえのことです。息子が一年生になるとき、早く買わないとお気に入りのランドセルは買えなくなるよ!と聞き、子どもをめぐる商戦にため息をつきました。

ランドセルは重くて小学生の身体に負担、ランドセルを背負っている高学年をあまりみかけない、価格が高すぎやしないかというような理由で、当時のわたしは息子にランドセルは要らないと思っていました。

ところが、父(息子にとっては祖父)に「そらあかん!そらランドセルや」「みんなといっしょやないと」(あぁこの同調圧力)と一蹴され、その強い口調に、初孫にランドセルを買う楽しみ(気合)を知りました。覆せない。諦めることにしました。

もともと革の鞄が大好きなわたしは、その機能性を思うと自身がランドセルを使いたいほどです。ランドセル業界の工夫は、ある意味、凄いと思います。

軽い人工皮革が主流になっていて、さらに重い荷物を支える負担軽減機能が工夫されているようです。そのせいもあってか大人のブランドバックさながらの高額商品、保護者の経済的負担を思います。

日本のランドセルは、江戸幕府が洋式軍隊制度を取り入れるときにオランダのランセル(背嚢)を利用したのがはじまりといわれています。

明治時代には主に陸軍が使用していました(これは有名な話)。頑丈で機能的なつくりはこの頃からのなごりといえるかもしれません。通学での利用は学習院初等科が起源とされています。

学習院が馬車や人力車による登校を禁止(明治18年・1885年)、使用人に学用品を持たせることなく生徒が自ら持って登校することとしたのがことのおこりだそうです。

「教育の場での平等」を理念とし、このとき通学鞄に「ランセル」が導入されたといいます。高級革製品であったため主に都市部の富裕層が使っていましたが、昭和の高度経済成長期、人工皮革が登場したことで広く一般に普及したそうです。


それまで庶民の間では風呂敷や布製バッグが使われていたといいます。わたし自身が小学生のころに一般庶民にも手が届くものとなっていたとしたら、昭和一桁生まれの父にとってランドセルはある種、豊かさの象徴だったのかもしれません。

さて、素材や構造の工夫によりランドセルの軽量化は進んでいますが、教科書のサイズや紙質の変更、一人一台のタブレット端末により中身の重量は増加しています。←ここ重要

ある民間調査によると小学校1~3年生が背負うランドセルは平均で3.97kgにも達しているそうで、低学年児童の身体への影響がやはり心配です。

現在、島本町の各小学校では、「入学のしおり」にランドセルを指定したり、ランドセルを選択させたりするような記述はしていません。むしろランドセルに限らないとしている学校もあるといいます。

議会において、島本町教育委員会として各学校長と協議、検討したうえで、必要と思われる配慮(必ずしもランドセルでなくてもよいなどの周知?)に努めるとの発言もありました。←協議、検討状況を確認します

それにしても!教科書の重さをなんとかしてほしい!と叫びたい。これは国政の課題です。民間企業がランドセルを進化させて軽量化しているのに比べて、教科書は重くなるばかり。子どもの視点に立っていません。

国会議員にも県府会議員にも少ない女性の視点、30、40代の声。市民に近い政治、子どもを視野に入れた政治をめざさなければ!と改めて思います。




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韓国のこどものお人形さん

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