学びに満ちた週末を過ごしました。ふれあいセンターは町のランドマーク!高額な維持費(年間1億2千万円規模)と各種改修に要する費用(今年度はエアコンシステムの改修工事3千万円規模。次年度予算には電話交換システムの改修工事があがっています)は頭が痛い大問題ですが、少なくとも島本町のふれあいセンターは「ハコモノ」ではありません。
地域の住民によって、さまざまな学びと集いのソフトが提供されています。
土曜日は、ぴぁ・ネット主催の講演会「地域で共にくらす~べてるの家から吹く風」に参加。「べてるの家」を設立されたソーシャルワーカー・向谷地さん聴くことができました。町外からの参加も多く、おそらく100人近い方が参加されました。
向谷地生良(むかいやちいくよし)氏は、社会福祉法人浦河べてるの家理事長であり、ソーシャルワーカーであり、北海道医療大学・大学院看護福祉学研究科に所属されている方です。お話は、追って必ずご紹介したい内容に満ち溢れていました。「生きにくさ」を抱える者への温もりのある視線に涙が溢れました。障害者、健常者、そのどちらにも隔たりなく必要な価値観であることがよくよく理解できました。
この日は本来ならば、京都商工会議所において行われた斉藤環氏(精神科医)の講演会とシンポジウム(知っている方がパネラーとして出演されました)に行く予定でしたが、夜に高槻市内で急用ができ、両方は無理と判断。「べてるの家」の講演会の開催を平野議員のブログで思い出し、ふれあいセンターに急ぎ足を運びました。
本日、日曜日は、NOPクローバー(自立支援センターしまもと)主催の講演会「子育てについてのお話」に参加。野藤弘幸先生(学校法人常葉学園 浜松大学 保健医療学部)のお話を聴きました。雨にもかかわらず、参加費が無料(500円)でないにもかかわらず、会場はほぼ満席。50名を越えていたと思いますが、人口規模でみれば、例えば高槻市なら500人規模の講演ということになります。
午前は「乳幼児期のこどもたちのお話」午後は「発達障害に関する講演」。ここ10年、「発達障害」という言葉を頻繁に耳にするようになりましたが、いかなる知識ももちあわせないまま、注意欠陥・多動性障害、広汎性発達障害、学習障害、あるいはもっと細かく、アスペルガー障害、あるいはアスペルガー症候群・・・と言葉だけが情報として増えました。
今日、発達障害とはなにか、という知識の入り口に立つことができました。野藤先生のお話を聴いていると、向谷地氏の視線と同じで、発達障害があるか、そうではないかに根底のところでは境界線を引く必要がないことに気づきます。「生きる」ということ「自立する」ということの意味を語っておられ、「すべての人間が人生を閉じるまで発達途上にある」と気づかされます。
「自立とは人に頼れること」。逆説的ですが、こういうことです。つまり、自分の能力を的確に判断し、認知し、足りないところを誰にどのように補ってもらうかを自ら解決できる力があるということ・・・「発達とはその力を養うこと」と今日のわたしは理解しました。仏教、浄土真宗でいうところの「他力」です。
先生は専門家としての目線で、発達障害をもつ幼子の「生きにくさ」「育てにくさ」、本人や家族が抱える辛さに温かい視線を注いでおられますが、乳幼児期の行動に専門家の視線が注がれることの重要さを理解しました。NPO法人クローバーの活動に心よりの敬意と感謝を表します。
午後の講演会終了後、町内在住の中村卓二氏の写真展「ファインダーを通して見た島本の自然」(4階展示室)を訪れました。かつて何度か里山歩きをご一緒させていただいたことがあり、写真集「あしあと」をいただいていますが、その中で、植物観察と写真、そのいずれもが教職を退かれた後の趣味であると知って仰天しました。
写真にはその人の心の一瞬が凝縮されます。わたしは中村卓二さんの写真のなかの、小さくて瑞々しい植物が好きです。大阪府の面積のおよそ1%にあたるという島本町に、府下全域に生息する植物の約40%の種が生息しているそうです。島本町は大阪という都会のオアシスといえます。もっと人口を増やし、都市的土地利用を図り「発展」を促す地域ではない。
図書館に隣接する展示室ということで、未就学児の来場者がありました。でも、写真の位置が高くて身近に観られない。幼稚園の多目的ホール、あるいは小学校の多目的ホールで、こどもの背丈にあわせた高さの展示ができれば、こどもたちはきっと「この小さな生き物・植物」の美が感性で理解できる!そんな写真展でした。中村氏は小学校の先生でした。
島本町の魅力は、水と緑と人です。長くなりました。予算編成に向けて、しておくべきことが山積している今、こうしてブログに向き合うことが「現実逃避」でもあり、「新たな活力」でもあります。議会の議論は、ときに「人びとの生」から最も隔たったところにあるように思えて、気が滅入ります。
地域の住民によって、さまざまな学びと集いのソフトが提供されています。
土曜日は、ぴぁ・ネット主催の講演会「地域で共にくらす~べてるの家から吹く風」に参加。「べてるの家」を設立されたソーシャルワーカー・向谷地さん聴くことができました。町外からの参加も多く、おそらく100人近い方が参加されました。
向谷地生良(むかいやちいくよし)氏は、社会福祉法人浦河べてるの家理事長であり、ソーシャルワーカーであり、北海道医療大学・大学院看護福祉学研究科に所属されている方です。お話は、追って必ずご紹介したい内容に満ち溢れていました。「生きにくさ」を抱える者への温もりのある視線に涙が溢れました。障害者、健常者、そのどちらにも隔たりなく必要な価値観であることがよくよく理解できました。
この日は本来ならば、京都商工会議所において行われた斉藤環氏(精神科医)の講演会とシンポジウム(知っている方がパネラーとして出演されました)に行く予定でしたが、夜に高槻市内で急用ができ、両方は無理と判断。「べてるの家」の講演会の開催を平野議員のブログで思い出し、ふれあいセンターに急ぎ足を運びました。
本日、日曜日は、NOPクローバー(自立支援センターしまもと)主催の講演会「子育てについてのお話」に参加。野藤弘幸先生(学校法人常葉学園 浜松大学 保健医療学部)のお話を聴きました。雨にもかかわらず、参加費が無料(500円)でないにもかかわらず、会場はほぼ満席。50名を越えていたと思いますが、人口規模でみれば、例えば高槻市なら500人規模の講演ということになります。
午前は「乳幼児期のこどもたちのお話」午後は「発達障害に関する講演」。ここ10年、「発達障害」という言葉を頻繁に耳にするようになりましたが、いかなる知識ももちあわせないまま、注意欠陥・多動性障害、広汎性発達障害、学習障害、あるいはもっと細かく、アスペルガー障害、あるいはアスペルガー症候群・・・と言葉だけが情報として増えました。
今日、発達障害とはなにか、という知識の入り口に立つことができました。野藤先生のお話を聴いていると、向谷地氏の視線と同じで、発達障害があるか、そうではないかに根底のところでは境界線を引く必要がないことに気づきます。「生きる」ということ「自立する」ということの意味を語っておられ、「すべての人間が人生を閉じるまで発達途上にある」と気づかされます。
「自立とは人に頼れること」。逆説的ですが、こういうことです。つまり、自分の能力を的確に判断し、認知し、足りないところを誰にどのように補ってもらうかを自ら解決できる力があるということ・・・「発達とはその力を養うこと」と今日のわたしは理解しました。仏教、浄土真宗でいうところの「他力」です。
先生は専門家としての目線で、発達障害をもつ幼子の「生きにくさ」「育てにくさ」、本人や家族が抱える辛さに温かい視線を注いでおられますが、乳幼児期の行動に専門家の視線が注がれることの重要さを理解しました。NPO法人クローバーの活動に心よりの敬意と感謝を表します。
午後の講演会終了後、町内在住の中村卓二氏の写真展「ファインダーを通して見た島本の自然」(4階展示室)を訪れました。かつて何度か里山歩きをご一緒させていただいたことがあり、写真集「あしあと」をいただいていますが、その中で、植物観察と写真、そのいずれもが教職を退かれた後の趣味であると知って仰天しました。
写真にはその人の心の一瞬が凝縮されます。わたしは中村卓二さんの写真のなかの、小さくて瑞々しい植物が好きです。大阪府の面積のおよそ1%にあたるという島本町に、府下全域に生息する植物の約40%の種が生息しているそうです。島本町は大阪という都会のオアシスといえます。もっと人口を増やし、都市的土地利用を図り「発展」を促す地域ではない。
図書館に隣接する展示室ということで、未就学児の来場者がありました。でも、写真の位置が高くて身近に観られない。幼稚園の多目的ホール、あるいは小学校の多目的ホールで、こどもの背丈にあわせた高さの展示ができれば、こどもたちはきっと「この小さな生き物・植物」の美が感性で理解できる!そんな写真展でした。中村氏は小学校の先生でした。
島本町の魅力は、水と緑と人です。長くなりました。予算編成に向けて、しておくべきことが山積している今、こうしてブログに向き合うことが「現実逃避」でもあり、「新たな活力」でもあります。議会の議論は、ときに「人びとの生」から最も隔たったところにあるように思えて、気が滅入ります。