徒然なるままに…建築家のボヤキ。。。

I・N設計スタジオ ブログ

頑張れ、40代!!

2011-10-14 08:19:03 | 愛しき野球おバカ達
 先日に引き続き、独立前に書いた文章を下記に綴ってみます。この直後に前事務所を辞め独立。内容からすれば、独立をほのめかしていたのかもしれないこの文章。でもこの時は、これっぽっちも独立なんて思っていませんでした…。長文になりますが、我慢して読んで下さい。


  昨日、ある一人のスーパースターが引退した。ピッツバーグパイレーツの桑田真澄である。そうあの元巨人軍の桑田真澄である。1968年4月1日生まれの39歳。巨人で数々の栄光を勝ち取ってきた桑田も限界を感じての引退報告。

 桑田真澄と清原和博は自分にとっては雲の上の人物でした。私も1968年1月生まれの同い年の同学年。高校1年から甲子園で活躍した桑田と清原は、小学校から野球を始め同じ甲子園という舞台を目指していた一野球少年の私にはかけがえのないスーパースターでした。

 もし、チャンスがありこの2人に会うことがあったとしたら、間違いなくこの同期生の2人を「桑田さん」「清原さん」とさん付け若しくは「くん」付けで呼び、敬語で会話をしている自分を想像するのは容易なことである。ファンはいつも選手のことを「桑田」「清原」と呼び捨てにするものだけど、この2人は自分の中では別格なのである。

 23年前の夏、PL学園は甲子園で我が郷土の代表「東海大山形」と1回戦を戦ったのである。そうあの29-7の伝説の甲子園記録となっている試合である。当時の東海大山形のエースは兵庫県姫路市から野球留学をして、1年生から東海大山形のマウンドを守っている藤原安弘。

 彼は1人で県予選を投げぬき甲子園への切符と生まれ故郷への凱旋を実現した。しかし、県予選前から痛みのあった肘は限界を超えていた。3年間1人で投げ抜いてきた代償は想像以上だったのだ。県予選日大山形との決勝戦の7回、藤原がカーブを投げた瞬間「ブチッ」と肘から音がしたそうだ。

 甲子園入りしても藤原の右肘の状態は一向によくならない。マスコミの人々が練習を訪れ、藤原のキャッチボール姿を撮りたいと言われても頑なに拒み続けた。専門医の診察の結果は、「甲子園のマウンドに立つのは無理だ」だった。

 しかし、藤原は投げなければならないのだ。3年間1人で投げ抜いてやっとの思いで勝ち取った甲子園のマウンド、まして相手がPL学園なのだから……。この試合PL学園は1回ワンアウトから、2番安本がレフトに先制のソロ本塁打を叩き込み歴史的猛攻が幕を開けた…。結果しか知らない人は、彼を山形の恥と誹謗中傷したとかしないとか…、藤原もいいピッチャーでしたよ…。

 桑田「さん」は引退の数日前の自身のホームページにこんなことを書いていました…。

結局人間は、朝起きて、寝るまでの間、選択して決断しているんだよね。
今直ぐに、起きるか起きないか、先にご飯を食べるか、顔を洗うか、
どの服を着るか、何時に家を出るのか、挨拶をするかしないか、
電話をするかしないか、質問をするかしないか、意見を言うか言わないか、
練習をサボるか、軽めにするか、
夜は、どこで、誰と何を食べるかなど、とにかく、何をするのも選択の連続だよね。
当然、迷う時もたくさんあるよね。
手術をするかしないか、もう一度投げるか投げないか、
昨年は、短い間だったけど、自分の中ですごく迷ったなぁ。
その時の決断が、今につながり、ここにいるんだけどね。    ~ 中 略 ~
とにかく自分の人生だから、
日常の些細なことや、重大な決断を迫られた時も、
自分の第一感というか、心の思うままに従って決断していきたいよね。

 引退を決断していたんでしょうか? 私にはそう思えてなりません。こんなことも言ってました。これからは野球人桑田真澄ではなく、人間桑田真澄として頑張ると…。

 前述の藤原「君」は社会人野球を12年前に引退し、現在は親のやっていた理容室を引き継いで頑張っています。彼もこんなことを言ってます。

~父親と一緒に店に立った。当たり前のことだが、理容室はただ髪を切るだけではなく、客にリラックスできる空間も提供し、また来ようと思ってもらえる人間関係を築いていくことも大切な仕事だった。最低限の技術がなければ店には立てない。そして、店に立ってから本当の勝負が始まる。まさに野球と同じだった。しっかり性根を据えなければ、店を継いでいくことすらままならないと痛感した。~

 同世代の野球のヒーロー達が違う目標に向かって頑張っている、これから頑張ろうとしている、人生という舞台で。自分も彼らには負けられません。野球では完全に彼らには辛酸をなめさせられましたが…。

 ちなみに藤原君と私は対戦してます。3打数0安打で1-4で優勝候補の前に敢え無く敗戦、23年前の春の県大会でした。このことを書くと長くなりそうなのでやめます…。これからの人生は4打数4安打とは言いませんが4打数2安打ぐらいでいきたいところです。頑張ります!!頑張れ40代!!
                
   
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