徒然なるままに…建築家のボヤキ。。。

I・N設計スタジオ ブログ

おめでとう、イケクミ。頑張れ、鈴木君。

2008-10-31 16:48:53 | 今日のひとり言・雑談
 いやいや、ホットなビッグニュースが入ってきました。酒田市出身の北京五輪代表であるイケクミこと池田久美子選手が結婚!!おめでとうございます。彼女ももう27歳ですか…。年頃ですね。記録が伸びなかった高校時代。飛躍の大学時代。そして日本記録を樹立した社会時代。父親の死去、五輪での世界との差を痛感と色々ありましたが、非常に喜ばしいことです。ちなみに彼女のお父さんは我が母校の先輩であります。(関係ないか…!?)彼女にとってはこれが一番の金メダルでしょうね。お幸せに、あっスズキを退社すると聞きましたが陸上辞めるんだろうか?やめないでロンドン目指してほしいな、個人的には…。
 そして、スズキとアスリートつながりの話題をもうひとつ。昨日のドラフト会議でソフトバンクに指名された山形中央の鈴木君。今年の夏の大会で、山形中央は2回戦を酒田会場で行いました。その時彼の投球を見ましたが、体にバネがあるというか、運動センスのある子だなあと思って見てました。いいピッチャーでした。確か球場にはプロのスカウトも目を光らせていましたね。ピッチャーをやってまだ1年ぐらいですから、まだまだプロの練習にもまれて伸びるんじゃないでしょうか。ケガだけは十分注意して下さい。これからが本当の意味での勝負です。
 山形県人として、私は彼女、彼らたちを心から応援します。2人とも頑張ってください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

32年前の10月29日の夕刻でした…。

2008-10-29 08:58:22 | 今日のひとり言・雑談
 32年前の10月29日の夕刻でした、けたたましいサイレンが鳴った。そう今日10月29日はあの酒田大火があった日です。酒田市の中心商店街の大部分を焼失した酒田大火は全国ニュースにも取り上げられました。
 私は当時小学校3年生。あの記憶は32年たっても鮮明に覚えています。その大部分を焼失した商店街は、私の通っていた学区内にあったため同級生の家も何件か焼けてしまいました。私は大火の夜、当時住んでた家から現在の家に避難したのを覚えています。(現在の家は大火の前に完成していました。)その避難する車の中から見た空…、あれは空ではなく誰かが描いたような真っ赤な絵のようでした。何故だか、よくわからないのですが涙があふれ出たのを覚えています。
 実はその日、中心商店街にある友達の家に遊びに行ってました。夕方まで友達の家で遊んでいました。次の日学校は臨時休校、2日目に学校に登校すると、大火の日に一緒に遊んでいた友達は出席していない。そう、彼の家は焼けてしまったという現実をその時初めて知ったのです。子供心にもかなりショックだったのを覚えています。大火の数時間前まで彼の家で遊んでいて、数時間後に彼は焼け出された…。
 大火の後に全国から救援物資が多数酒田市に届けられた。それらは解体が決まっていた小学校の体育館に山積みになっていた。数カ月するとその解体が決まっていた小学校のグランドに仮設住宅が建ち並ぶ。焼け出された友達も仮設住宅に入っていった。小学校の体育館に山積みにされた救援物資に登って遊んだりもした。仮設住宅に住んでいる友達のところにも興味本位で遊びに行ったりもした。今となってはいい思い出、そして当時ただ訳もわからなく迷惑をかけたことを、子供の他愛のないことだと許して下さい。ごめんなさい…。
 そしてあれから32年。あの時を覚えている人間が少なくなってきた今、我々は酒田大火という現実を風化させてはならない…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どこへ行く、極小設計事務所。

2008-10-27 15:23:49 | 建築つれづれ…
 ここ1年余り頭を痛めていることがある。仕事の中で、我々設計事務所は夢を語り、夢のある建築を目指すことが現実として出てくる。夢というには大袈裟かもしれないが、「こんな建築やってみたい」「今回はこういう建築をやってみよう」と思う。少なくとも自分はそう思って自分のやりたい建築に生命を吹き込んでいるつもりだ。しかしである。例の耐震偽造の姉〇さんのおかげで、建築基準法が昨年6月に大幅に改正された。特に構造分野について…。
 我々のような地方の小さな一設計事務所には大きなダメージだった。大きな夢を見て、立案した建築がいざ詳細設計に入ったときに、法改正のあおりから建築(夢)が実現できない。技術的には実現できるのだけど、極小の地方事務所ではリスクが多すぎるものとなってしまった…。構造的な足かせである。スーパーと言われるゼネコン、大手組織事務所では当たり前にできる構法も、極小事務所では計算ソフトが無いからできないとか、大金を払ってまでそのソフトを買うこともできないとか、かといって大手の事務所等に外注すれば外注費だけで設計料がぶっとんでしまう。そんなこんなで結局、夢をあきらめざるを得ない。すごく残念な結果で、やりたいことに制限がかかり、設計事務所の中での格差が広まる結果になっている。この格差は仕方のないものなのか、あきらめざるを得ないものなのか。
 私は常に自分の意図する建築、やりたい建築を実現したいと思っている。昨年の法改正で仕事・建築が面白くない方向に向かってしまったようで残念である。まさに写真の雑誌のタイトルにあるように、一地方事務所は基準法改正の呪縛にがんじがらめになってしまった。この泥沼を抜け出すには何が必要なのか?、極小事務所が生き残っていくために何をしなければならないのか?。他の事務所と差別化を図っても、夢を実現できないのでは八方ふさがりである…。そんな中で色を出さなくてはいけない…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・社会科見学!?

2008-10-24 13:31:15 | PTA・地域活動
 先日のコラムで書いたように、本日の午前中に小学校の子供たちの訪問を受けました。10名の子供たちが先生とお手伝いのPTAの方に引率され私の事務所に来ました。いやいや、思った以上に子供たちは興味津々でテンションが高い。
 一通り私の仕事がどういうものか説明すると、色んな質問が飛び交います。「仕事で一番面白いことは?」「今までどんなものを作ってきましたか?」そんな質問に私の経歴を写真で紹介すると、いいリアクションします、子供は。どこかのリアクション芸人よりいいリアクションします。男の子なんかは事務所に飾ってあるの模型が気になって気になってしょうがない様子。模型を見つめる目が違う…。模型の内容を説明すると、触り出す、触り出す。「ここトイレになってるんだ」「ほらほら、ここベランダだって」歓声とともに模型に子供たちが殺到!内心、焦る自分。じつはこの模型、今日午後の打合せで使う代物。壊すなよ、壊すなよと心のの中で叫ぶ私でした
 時間にして30分~40分。嵐のように子供たちは去って行きました。こうやって、子供たちに自分の仕事をわかってもらうのもいいですね。大人と違って子供は純粋ですから、私のいったことに対してすぐリアクションが返ってくる。これが中学生ぐらいになると変わってくるんですかね。いずれにしても、建築家と言われる仕事の内容を知ってもらういい機会だったと思います。底辺拡大に一役買ったかな?えっ模型どうなったかって?少しのりづけが甘かったところがとれてたけど、大事には至らず一安心。それでは、打合せに行ってきます、例の模型を持って…
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

模型製作

2008-10-23 09:30:51 | 建築つれづれ…
 今週は模型製作に没頭してました。模型を作るとつくづく感じます、建築って3次元だなぁ~と。作っていると図面上ではわからなかったことが見えてきます。納まってなかった箇所や立体としての見え方…。3次元で見るツールにはパース(完成予想図)もありますが、私はこれよりも模型を選びます。なぜなら…、パースは意外に設計者の気に入ってるアングルでしか表現できません。その場でいろいろな方向からは見ることができないのです。どうしても2次元の世界を抜け出せないからなんです。その点模型は色々な角度から見ることが可能。3次元で見れて、スタディできるという訳。この違いはかなり大きいですね。
 模型を作っていると、工事監理してるような感覚になります。自分の考えた(設計した)ものが具体的な立体(建築)になる。形ができていく過程が面白く、徐々にでき上がってくるとワクワクしてきます、次はどうなるんだろうって。
 模型作っているとき、ふと思い出すことがあります。小学校の頃「小学〇年生」という本をよく買ってもらっては、それについてくる付録を作るのが大好きだった自分。本の中身なんかあまり見ず、付録作りに熱中していました。近くの本屋さんに行っては先月号の余った付録だけもらってました。そんな少年時代があったから今こうしてこんな職業に就いているのだろうか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする