十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

脳死は人の死

2009年07月05日 | 生命
 臓器移植法のA案が衆議院で可決し、参議院に送られたが慎重意見が多くて簡単にいかないようだ。死の定義することに引っ掛かっているようだが、人間としての機能を失い回復の見込みがないことを死とすればいいのであって、脳が死ねばそういう状態になるのだから脳死が死でいいのである。

 脳死を死と認めない、認めたくないという人は自分が脳死状態に陥ったことを考えればいいのである。いつまでもそんな状態を続けたいであろうか。私ならノーである。断じてノーである。

 脳死状態で生かしておくことは、その人にとって苦しみでしかではないではないか。チューブをいっぱいくっつけて寝たきり状態、正常に脳が働いていれば痛い、苦しいに違いない。その状態を長く続けることは残酷なことではないか。
 チューブだけではない、周りに親、子、医師、看護士等がくっついて動きがとれない。治療費だって多くかかって多くの人がそれを負担している。そこまで頭が働くなら「もういいよ」というに違いない。

 まあ、一昔なら脳死状態に陥れば皆、短時間のうちに死んだのである。 
 
コメント
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