十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

戦争の記憶

2010年08月15日 | 人生

 今日は65回目の終戦の日、武道館で全国戦没者追悼式が行われた。
 皆に合わせて12時に黙祷する。

 昭和20年8月15日当時、私は満3歳になったばかり、わずかながら戦争の記憶を有する最若年者なのである。
 
 米軍による大阪への空襲は20年3月13日から終戦の前日8月14日まで合計8回行われた。当時門真町(現在は市)の古川橋駅近くに住んでいたが、B29の来襲があると空襲警報が発令され変電所のサイレンが鳴らされる。消防団や警察が「空襲警報発令!」とメガホンで周知して回ってくる。あわてて防空頭巾をかぶって防空壕へ避難するのである。隣家は交番で共同の防空壕がなんとか全員逃げ込めるだけの大きさに掘られていた。
 
 いつの空襲だったか覚えていないが、大阪市内方向の空が赤く燃えているのが記憶に残っている。至近距離に爆弾が落ちることはなかったが、後年500mほど離れた田んぼに爆弾が落ちていたことを知った。爆弾で泥が飛ばされ丸く直径10mとまではいかないがけっこう大きな穴が空いて水が溜まっていて、皆は爆弾池と呼んでいた。近くに松下電器の工場があったからそれを狙って落とされた爆弾によってあちこちに池ができていたのである。

 3歳になるかならないかの幼少時のため断片的で不明瞭な記憶であるが、戦争体験を持っているのである。

  

2歳当時の私。

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