僧侶というものは本来世の中に寄生して存在するものである。パラサイトであることをよく自覚してそれなりの生活というものをしなければならないはずである。しかるに庶民も羨む贅沢な生活ぶりの坊主がいっぱい、仏法の衰亡も宜なる哉だ。
沢木興道がそういう坊主どもをたしなめる言葉を残されているから4つばかり紹介。
● 金閣寺でも法隆寺の金堂でも、みんな坊主が修行するためにあるのじゃない。ただ坊主が遊んで食えるというだけの話じゃ。
● 東大寺も法隆寺も、その他もろもろの寺は何のために建立されたか。――結果としてはナマクラ坊主を飼うとくために建立したにすぎぬ。してみればこそ金閣寺も延暦寺も、火をつける坊主もでてくるのは当たり前じゃ。銀閣寺しかり。
● 大谷句仏は大正時代、芸者に1万円のポチをやったというので有名だった。それでいて「モタイナヤ祖師は紙衣(かみこ)の九十年」(紙衣とは紙で作った衣服)という句を作った。句はいいが、1万円のポチを芸者にやる人間のつくる句か。
● 銭をためておらんでもりっぱに生きていける世界があるんじゃ。