野球賭博問題の捜査過程で携帯メールに残されていた八百長相撲の実態が明らかになって日本相撲協会は大慌て。やっぱり八百長相撲は存在していた。無気力相撲という言葉では誤魔化せなくなって、結局、春場所を中止して事実関係を調査することになった。
今までもたびたび八百長問題が取りざたされたことがある。週刊ポストに元小結板井が八百長を告白して何週にも渡って特集されたのを読んだことがある。やり玉にあがっていたのは今回とは違う幕内力士、それも横綱を含む役力士である。
その後、板井は『中盆ー私が見続けた国技・大相撲の“深奥”』(2000年、小学館)を出版した。中盆(なかぼんとは博打場での差配をする人のことだが、角界では、八百長を取り仕切る仲介・工作人の意)として君臨した板井の証言が著されている。
八百長に纏わる隠語が角界に存在するところから、実態と存在していた証左であろう。
「ガチンコ」(真剣勝負)、「注射」(八百長を仕掛けること)、「中盆」、「片八百長」(一方が何かの思惑で負けてやること)、
八百長には大別して3通りある。今回発覚した星の貸し借りをするもの。金を払って勝ち星を得るもの、上位者がやるのは金もあるし大概これである。そして片八百長。
そもそも八百長とは、ウィキペディアの記事によると
「八百長は明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべえ)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が優っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫の機嫌をとっていた。
しかし、その後、回向院近くの碁会所開きの来賓として招かれていた本因坊秀元と互角の勝負をしたため、周囲に長兵衛の本当の実力が知れわたり、以来、真剣に争っているようにみせながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ぶようになった。」