このブログでは自己の世界を持つということをテーマにしているが、読者諸兄は自己の世界を既にお持ちだろうか。
そんなものは持っていないという人も実はちゃんと持っているのである。
1自分だけ
2自分と所有物
3自分と家族
4自分と属する集団、その縄張り、人脈、テリトリー等
どこかに生命線と呼ぶべきラインを引いていてそれの内側を自己世界としているものである。そこまでは自分と一体感を持ち自己同一性つまりアイデンティティーを有しているのである。
たとえば、長嶋茂雄は引退式の時「我が読売巨人軍は永久に不滅です」なんておかしな言葉を残したのは有名だが、長嶋にとっては巨人軍と一体であり、巨人軍が永久なら自分も永久というような心情があるのである。
前の大戦でも兵隊が国のために命をかけて戦ったのも国との一体感があったからである。祖国への思いに深いものがあった。
しかし、先日テレビを見ていたら自分の国を誇りに思うかとアンケートで主要国の中で日本は最低ラインで50%を切っていた、100%に最も近く最高値だったオーストラリアの半分という情けない数字。一体感があればどこか誇るべきところに気がつくはずだし、自分のことしか考えていないのだと思う。
で、とにかく広く自己の世界を認識しそれとの一体感を持つことが大切である。
自己の世界と言ってもいいし、自己の国と言ってもいい、是非それを持ってどんな世界を創造して行くかその中に生き甲斐も喜びも得られるはずである。
佛様は皆、自己の世界、国と持っている。阿弥陀佛は極楽浄土、薬師如来は瑠璃光浄土、毘盧舎那佛は蓮華蔵浄土、
釈迦如来は娑婆世界(寂光浄土)、観音菩薩は補陀落浄土といった具合である。
佛教の最終目的は成佛にある。その前提として自己世界を持つこと。これは誰でもできることなのである。