十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

イスラム国人質事件

2015年01月24日 | 共生

イスラム国人質事件で日本中が気を揉んでやきもきしている。

宗教がらみの事件なので知らん顔でやり過ごすのもどうかと思いコメントしてみる。

人質の立場で考えてみる。もう終った、死ぬしかないと考えるべきだろう。何とか助かりたいなんていうのは甘い考えだ。
もしものことがあれば、どれだけ迷惑を懸けるか考えたのだろうか。
助けられてもどの面下げて日本に帰れるというのか、もう、全ては終ってしまったのである。昔なら切腹だ。
命をいうのは単にボデイーだけのことをいうのではない、人としては使命こそが命なのだ。それを誤って使いマイナスにしてしまっては取り返しがつかないのだ。

さて、我々の立場で考えてもどうしようもない。相手のいうように身代金を渡したら、それが資金源となり味をしめて新たな事件の要因となることは目に見えている。人の命は地球より重いなんていってダッカ事件では超法規措置で連合赤軍を釈放、活動資金まで提供したが、結果テルアビブ空港乱射事件を起こすに至っている。
でも、ダッカの時は人質が一般の乗客でまだ何とかしたいいう気持ちは誰にでもあったが、今回は勝手に危険を承知で出かけた奴、覚悟できてるんだろと言いたい。

もう今の2人の命か、誰とも知れないこれから先の10人の命か、見捨てるしかない。見捨てることが日本人の命を守るのである。向こうにしてみたら日本人は金にならないことを知るからである。

冷酷なようなだがそう考える。おい、あんた、佛教徒かといわれそうだが・・・。

コメント
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