北朝鮮がまたミサイルを発射、Jアラートで警報が出た。鬱陶しい話だ。
その昔、3歳になる前に空襲警報を経験しているが、やはり怖かったんだろうね。今でもはっきり覚えていることがある。
当時門真市の古川橋というところに住んでいたが、米軍の接近が分かると近くにある変電所のサイレンが鳴らされ、消防団の人の「空襲警報発令」と触れ回る。身の回りを慌てて整理して家の前に掘られた防空壕に逃げ込むのである。
怖かったのはやはり昭和20年3月13日深夜から翌日にかけて行われた大阪への米軍により大空襲である。深夜の攻撃で大阪の空は防空壕の中から見たが真っ赤だったのを覚えている。
松下電器の工場が門真町にあったのでそれを狙って爆弾を落として行ったことのあって、あちこちの田んぼに直径10mほどの穴が空いていた。戦後も長らくそれらをあちこちで見かけたが、それを皆は爆弾池と呼んでいた。そこで鮒を獲ったりして遊んだものである。
空襲といえば、桂枝雀の「貧乏神」と落語を思い出す。この落語の中で枝雀の空襲体験が語られている、なかなか面白い落語なので紹介したい。
https://www.youtube.com/watch?v=LoC-cPpF8S4
台風18号が接近中でその進路が気になっているところにJアラート、そこでこんな一句が浮かんだ。俳句らしくないが思いついたので記録に留めたい。
「台風や 進路何処へ ミサイルも」