十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

宇宙が先か 我が先か

2023年09月15日 | 一法言

「宇宙が先か 我が先か」

 普通に考えたら、宇宙が先に決まっている。宇宙の開闢は138億年前、その中に我は生まれてからわずか数十年、比較するまでもない。

 しかし、我を客観的に観察しただけである。

 そんな我は我ならざるものに取り囲まれてそれから圧迫を受け、日々苦悩の連続である。そこで何とか自由に振る舞える領域、つまりテリトリーを作り、その中で快楽を得ようとしている、それが多くの人の幸福である。

 仏教はそんな人生は苦しみの人生でしかない、煩悩だらけの人生から解脱せよと説く。無我、空、涅槃とか言って我の存在を否定する。そうすることで「安らぎ」の生活、人生が得られるかも知れない。

それでよいという人はそれでよいかも知れない。それも一つの価値観である。

 しかし、そうするためには長年修行に専従しなければならない。多くの人はそんな生き方ができるわけはない。

 世俗に生きる我々は「安らぎ」もほしいが、「生き甲斐」もほしい。生き甲斐は働きによって得る、そのためには働きの場がいる。働きの場といえば、学校、会社、社会といったものが考えられるが、ところが得られないと考え、悩み、不満を訴える人も非常に多い。

 さて、この働きの場、安らぎの場として、誰でも同じ共通の場、宇宙を提示したいのである。

 さて、ここより宇宙より我が先なのか、お話しなければならない。

 1 100年前の宇宙、あったに違いないだろうが我はまだ生まれていない。そんなものがあろうがなかろうが、どうでもいいことであろう。

 2 次に生まれる瞬間を考えてみよう。その前は過去、過去は過ぎ去り、存在しない。我が生まれてその瞬間新しい宇宙が生まれる。我と新生宇宙とは同時である。

 3 我の人生を考えるのであるから我が優先する。

 4 我がいて宇宙もある。我がいなければ宇宙も存在しない。

 5 我が時々刻々宇宙に変更を加えている、宇宙創造を行っているのである。

 6 我の造った宇宙は当然永遠である。我と宇宙は一体である、とすると我の生命も永遠ということになる。

 7 人生の目的は、宇宙創造である。そこに生き甲斐と安らぎがある。

 我がいて宇宙がある・・安らぎ
 我が宇宙を創造する・・生き甲斐
 今ここが宇宙の中心・・働きの場 

 生命力は宇宙力 

  

コメント
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