十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

彼岸になったらいつも思うこと

2023年09月25日 | 一法言

 夕方、花屋の前を通ったら、彼岸用にと花が売られていた。

 そういえば、今日は秋の彼岸の6日目。明日までが彼岸の期間となる。墓参りや寺の行事に参加する人も多い。

 「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉通り、快適な季節ともなり、彼岸のイメージにも合う感じがする。でも、今年は特別暑かった、今日も真夏日、明日も真夏日の予報である。

 彼岸というのは、迷いの世界である此岸との対比として架空の理想世界と想像されたパラレルワールドに過ぎない。

 川によって区切られた二つの世界があって、手前から向こう岸に渡るイメージ。

 そうではない。前にも書いたが我がいて我の世界が展開しているのである。清浄な世界を見つけてその世界に入ることによって自身が清浄になることではない。誰かに連れて行ってもらうことでもない。世界は自分の影のごとく切り離しできない。

 自業自得。自身の世界が汚れているなら、自分自身が浄化しなければならない。

 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(阿含経)である。

 諸悪莫作 衆善奉行は善悪を意識し悪を捨て善を目指す、意識脳を浄める修行法、それはそれで必要なことであるが、善悪という部分に拘ることになる。

 自浄其意は綺麗汚いの話ではない、真に清浄ならそれは透明にして覚知できない。

 瞑想では届かない。つまり、只管打坐の坐禅をするしかないのである。

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