今般の地震津波で多くの家が損壊し家を無くしたりすぐには住めずにいる人が多数出て避難所暮しを余儀なくされている。お気の毒という他はない。
こういう時に宗教を持つことの意義が顕になってくる。諦めが早いのである。持たぬ者より落ち着いていられる。神、佛という任せるものを持つからである。
禅者は自己の世界を持つ、何処に赴こうともその中心に自分がいる。とするとオタオタすることはない。「行先に我が家ありけりかたつむり」である。この家は地震で壊れるような家ではない。ただ、今は家の中に壊れ物が散乱していることは事実だから片付けに精を出すと言ったところか。
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