私が内山老師を知る前に老師は「悪男悪女のための宗教」という本を曹洞宗宗務庁から出されていた。読んでみたかったが残念ながら手にすることができなかった。
私が後に聞いた老師の提唱の中で悪男悪女とは老師の造語で善男善女の反対概念だといわれていた。善男善女とは辞書には「佛法に帰依した男女。また、一般に信仰心のあつい人々や、寺社に参拝する人々をいう」とあるが、悪男悪女とは簡単に神や佛を信じることができない人々ということになる。
現代の科学的な知識を多く身につけた人間にとって簡単に神や佛を信じられるものではない。納得できる合理的な理由が必要とするはずである。
斯く言う私も悪男悪女の一人である。そんな人間でも納得させる佛法というものが説かれなければ信仰に至ることは有り得ない。
その点、内山老師の姿勢は常に真実の探究であり死後の世界なんて妄想の類は語られたことはなく、また、できるだけ佛教語を使わず平言葉で語ろうとされている。そこに私は惹かれたのである。
このブログを来ていただいている方々はどうであろうか。悪男悪女であってほしいと思うし、その人達に見ていただくという姿勢でやっていきたいと思う。
澤木興道老師の言葉に次のようなのがある。
「澤木さんの話を聞いていると、信がさめる」と言う。もっと信を冷ましてやろうと思っているのだ。どうせそんなのは迷信でしかないのだから。「澤木さんの話を聞いても信はおこらぬ」と言う。迷信がおこらんだけの話じゃ。」