毎晩、太鼓のばちの素振りをしている。
曲は何でもありで、ドラえもん音頭もあれば
ベリーズ工房の『ジンギスカン』、マイリトルラバー他
その時聴きたいもの。
着物、和太鼓、枯山水、盆栽が和風とする了見は表面的だ。
本来の和はたし算であり、調和、なごませることだから
モチーフはむしろ全然和風のイメージじゃないものでいい。
対立するものを和して、協力し結び合い
進化した新たしきものを産み出すのが和の本意じゃないか。
そんなコンナで、もしも和太鼓に和が付くならば、
どんな曲にも合わせ、かつすてきで新しいエネルギーを
産み出せるはず。
もちろん、表面的な形から入って、型から心を身に付けるという
考え方もあるけれど、
本当は、そのココロは初めから持っている。
そして、周りからどんな嵐に打たれようとも
変わらずに持ちつづけているもの、そこを知るために
人生のあらゆる経験がある。
みんな、曲にも左右されない自分のリズムを持っている。
細胞から醸し出されるそのリズムは
他とけんかすることがない。
なんて知ったような書き方をしたが、
ただただ僕は太鼓が好きで、小学生時に盆太鼓をはじめた。
20才を過ぎてから歩き方が変わると、パンこねも
餅つきも疲れずにいけるようになり
タイコも天使のように打てるようになった(自分の実感)。
昔は、肩の力が抜けて奔放に打つ
太鼓達人のおじいさんがまだまだいたのに、
現在のたいこたたきの多くは
腕肩の筋肉でバジッとたたきつけてる力まかせが多い。
太鼓がぶたれてるようで痛々しい。
重心が高いんだ。
そういうたたき方は、代謝が大きくて息が切れる。
お客さまも、本当の響き体験が少ないから
見た目の筋肉や音の大きさで感動(した気になる)。
またはふりをしているだけかもしれない。
様々なことが、「っぽさ」というごまかしの沼にはまっている。
何とかそこから這い出したいのだが。
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