冬に入って寒くなって、
クリスマスが近づきつつ
飾りやイルミネーションもあるのに、
何だか実感が無い。。
世の中に、放射能への不安というものが
はっきりと、又は氣に留めてないようでも
ぼんやりとは存在していて、
折にふれ頭の中、胸の内にて思い巡らす生活がリアルなため
五感の世界、肌ふれあう歓びの感覚から
遠く外れてしまっているようだ。
氣の持ちよう、と言い聞かせても
かたちが安定しなければ心も安定しないだろう。
狂おしく散らかった部屋を見て
「大丈夫。このままでエがな」とニコニコするよりも、
実際にある程度片付けて
自然と心が晴れる、それが自然だ。
問題は、掃除と違って手だてが知られていない。
フィルターで濾しても、そこに溜まったものをどう片付けるのか。
濾過して浄水器の中などに溜めていては、
台所にいながら被爆する。
放射性物質を人間に例えると、淋しがり屋の少年。
不安定で、暴れて周りを傷つけたりする。
危ないからと隔離しても、彼の淋しさは無くならない。
もし彼の状態を安定させることができたら、
みなも怖がらずに共存できる。
悪と見なして永劫に管理監視しつづけるのでなく
問題のないニュートラルな存在に変容さす。
そういう方向でなければ、
真の解決には至らない。
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