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(はじめての?鏡じぶん撮り)

川原に生えてるササと思ってたのは、タケでした。
幹に皮がのこっているのが笹と存じています。

枝葉をウサギにやったり、幹を様々につかわせてもらっている
近所のそれはおそらく篠竹(すずたけ)でしょう。カゴを編むにも便利な竹だす。
先日、草とともに一部苅りたおされてあったのを
いくらか拾い、うら庭に立てかけて竹財(?)している。

竹の生えてる裏山のある人は、それこそうらやましい。
だけど地元の川原の珍竹林がとてもやくだっている。

生長スピードいちじるしく、くらしに多様にやくだつ竹は
宇宙からのおくりものなのか。竹の遺伝子がどこかの星
(こと座かなあ)から月を経由?し、そして大気圏で燃えずに通過して、
いにしえの地球に降りたった可能性。

今まわりにあるものをもっと生かせたらよい。
放置されたままの竹林、人工林、やぶは、
一見大自然が蘇生されていそうでも、人の住みにくい放棄地は
動物だって息くるしくていられない。

カヤ場に手をいれて苅るからこそ、キジがあるけて、野の花がひらく。
くらしの排水が栄養となって河口の貝もゆたかに。

そんな風にしぜんと関われるように、
学生になって街へ下りても、たくさん勉強して、故郷へ
カムバックしたら、かっこよいなあ。

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ここでいうおばあちゃんとは、僕の祖母もふくみつつ
これまで出会った数々のおばあちゃんの集合体といえましょう。
故郷ではぎりぎり、僕の小学校低学年までは
“らしい”おばあちゃんのいらしたもの。
白髪をおだんごをかんざしでまとめ、平生きものを着、
腰をまげて近所をよく散歩しているという。
平成時代にはいり、だんだんとお見かけしなくなったのは、
そんなおばあちゃん以外に、
浦安から自転車で来ていたさかな屋、
きんぎょ売り、だがし屋、
道ばたで煮たきしていた無宿者、
商店街と専門小売り店のにぎわい、
となり町の小学生との抗争、など。

しかしそんな昭和のおばあちゃんは、僕の世代からはひいおばあちゃんにあたる。
明治うまれで、ご存命ならば百歳をこえる。
これから書くのはひとつ下で、昭和初期前後うまれの、
まさに僕の祖母世代。
きものは自分で着られるが、ふだんは洋服。

そのときいつも傍らにある、おばあちゃんのカバンについて。

そのカバンの中身は、予測不能ながら、こまったときはいつでもすけてくださる。

わかっているものは、おさいふ、小さいおしゃれなタオル、仁丹、ひも、のど飴くらいだが、
おばあちゃんのカバンが困ったことはないので、
その層倍の品がこめられているか、
または本人も把握していないが、必要なものが何でもとりだせる
四次元空間かもしれない。

以前、きもちわるくなって休んでいたときに
通りがかりのおばあちゃんが、ふしぎな小型の水筒から
これまた蛇腹のおりたたみコップに、ちめたい
ジンジャーエールを注いでのましてくれた思いでがある。

また、カバンにも多少あるだろうけど、
手首に輪ゴムをはめていることも多い。

財布にごひゃくえん玉を切らしたことはなく、
テーブルのどこかには五円玉を確認できる(単体ではなく、小箱のうえやメモ用紙の脇など)。

ちょっとした洗いものはためすすぎ。

話がそれたが、僕もおばあちゃんカバンのひみつ道具を
うけついで、バッグインバッグたる風呂敷きんちゃくのなかに
輪ゴム、クリップ、ゴムひも、ひも、シュシュ、安全ピン、
メジャー、ペンライト、塩、水のスプレー、非常用浄水ストローなどなど
こまい道具を常備している。

思いだした、おばあちゃんのカバンには
ぬい針と糸もあったろう。ハサミはなくて糸切り歯。
紙をきるときは、折ってからさっとなめて、裂いたね。

メモのはしり書きには、略字そして旧漢字さえ見いだされる。

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