ふろしき王子のブログ◎
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きのうの夕飯にうどんをおいしくすすったころから、
疲れがでたのかのどが変だったので、
きょうは朝昼とご飯を抜いて内臓をやすめていた。

帰宅したら、晩ご飯はたべて早めにねれば回復しそうな感じ。

電車ですわりながら想う。
仔タヌキはまだいるかな。
ナマズの赤ちゃん、そして東京ダルマガエルはげんきかな。

こころは健全と思うが、一日たべずに外出していると、
動きはややのろくなる。

スパイスのきいたレンズ豆のカレーがたべたい。
朝はひさしぶりに何かフルーツをいただきたい。
暑くなってきて、からだをスッキリぽんとさせたいようだ。

幼少時代にやりのこした生きものさがし、息子のお蔭でいま、
着々とかなえられている。

子は他者ではあるが、同時に自らのうまれ変わりの面もあって、
親の果たせなかった夢をかなえてくれる。
もちろん、あえて期待などはしないけれど。

からだはいつか風化するが、
思い出は永遠に宇宙にのこって、
愛と進化の教材となろう。

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きのうの夕刻18時ころ、鮒っこなど捕ってみんと
近隣の用水路まで息子と連れだった。

ここの用水路は、分かっておられる方々が管理しているのか、
水のかれている秋~春にかけて川底から繁った草を
水をとおす初夏に皆伐はせず、刈っても根はのこるから、
ヨシや他の水生植物がまたつんぴんとのびてくる。
そこに魚が産卵したり、流れを緩衝して稚魚の
かくれ場として機能している。

これが、ただ水のどうどう直進するだけでは一向にだめで、
有害化学物質の流入うんぬんの前に、物理的な居場所のなきことが
いきものの存続をおびやかしている。

以前書いたように「やさしさは表面積に比例」するから、
水路に植物がざわざわしていれば、
たくさんのいのちを育むゆりかごとなるし、
万が一人が転落しても、引っかかったりつかまることができる。

また、この用水路のよいところは、水の涸れる季節でも
橋の下は深くなっていてそれなりに水がのこるから、
川に逃げおくれた魚が冬を越せる。のぞくと銀鮒たちが寄りそっている。

さて、昨日の話ですが、小魚のいそうな流れのゆるやかな
草の間に網をがさがさすると、
何度めかにどなたかの稚魚がかかった。
シラスほどのちっちゃいので、コイかフナか、ほかの川魚かわからない。

それを口の大きめのペットボトルに入れ、また何度か網を入れたら、
おたまじゃくしが引っかかった。

ちょっとカエルの種類を推測できない面がまえ。
こんな用水路にいるもんだなと、こちらもぽたんと容器におとす。

息子も柄を伸ばした長い網を入れてざばざばしている。

で、ちょいとボトルのいきものを覗いてみたら、あれれ
このおたまじゃくしにはひげがある。
だとだと、こりはなんとまあ、なまずの赤ちゃんであった!
実物を見たのも捕ったのも初体験だ。

先日おなじ水路に、50cm前後のなまずが悠々とおよいでいて、
それを捕れなかった息子がくやしいと同時にあこがれを抱き、
つい3日まえも近くの田んぼでナマズをさがしていたのだが、
ふたり(子と私)のつよい思いが、ナマズと会わせてくれた。

赤ちゃんなまずは大変愛らしい姿で、まさにきのうの日記の
タイトルのように「好Q!」(台湾のわかもの言葉で、とってもキュートの意)
と声をあげたくなるが、
本質は獲物にかぶりつく肉食なので、
おちょぼ口のおたまじゃくしと違って口はあんぐりと大きい。

そこまで氣の至らず、きづいたときにはもう、
先に入れてあった稚魚に食らいついていた。

うちで飼いたいというので、ミミズやミジンコ、
ふえすぎたヌマエビ等を与えてそだてる予定。

もしやすると、なまずがやってきたのは、我が家であまりにふえすぎた
エビやメダカを適切な数にととのえようとする宇宙法則なのかもしれない。

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